溶月浮影 5

 「………あ、あれは………!」
「まさか………!」

 モニタの中でずるずるとその姿を現すもの。あまりのことに、かえでと加山は息をのんだ。

「………あやめ、姉さん………?!」

 どろどろとした黒い水たまりの中から出現したのは、紛れもない彼女の姿。長い髪が濡れてべったりと顔にはりつき、悪魔的に美しい裸の身体の上を、黒い泥のようなものがずるずると滑り落ちていく。

 神剣白羽鳥を代々受け継ぎ守る藤枝家は、女系の傾向にあった。その長子として生まれ育ち、まったく申し分のない教養と武芸を身に付けた姉。性格も温厚で誰にでもやさしく、妹のかえででさえ欠点を見出すことは難しかった。誰よりも尊敬し、愛していた姉は、先の大戦で帝都のために命を落とした。
 しかし、一度は降魔となり帝撃を裏切ったのだ、と副司令に就任してから聞かされた。そのときには苦しくて悲しくて、泣きやむことができないのではないかと思うくらいに泣き、そして立ち直った。
 それは、かえでが真に神剣白羽鳥を受け継ぐ者としての決意を固めた瞬間でもあった。

 「副司令!」

 両肩をつかまれ、かえでははっと我に返る。気づくと、頬には涙が流れ、両腕ががくがくと震えていた。

「副司令……、大丈夫です。水狐程度の妖力で、完全な反魂はできないと推察します。……冷たい男だと言ってくださって構いません。あなたが惑わされてはいけない!」

 強く自分を見据える加山の瞳の中に、かえでは一瞬のうちに様々なものを見た。
 そうだ、あれは、あやかしの術。あれは、姉の形だけを模倣したもの。
 何よりも、大切なものを見失ってはいけない。今は自分が、帝撃の副司令なのだ。
 かえでは目の前の加山にうなずき、通信機に向かって叫んだ。

「大神くん!惑わされてはダメ!!それは……それは姉さんじゃないわ!!」



 「あ……やめ、さん…………?」

 操縦席の前部モニタに、信じられない光景が映し出されている。
 強くやさしく、美しかった女性。叉丹に利用され降魔となり、自分が2度殺した。

 大神は気づくと光武のハッチを開け、外に歩み出ていた。どろどろと渦巻く水たまりの上に、穢れた美しい女性が立っている。その左胸を、真っ赤な泥が流れていた。

「………お……大神さん!!行ってはダメです………!」

息をのみ、動けずにいる花組から、さくらの弱々しい泣き声が上がった。皆、衝撃のあまり目の前の光景を見つめることしかできない。あやめを直接的には知らない織姫とレニも、その場の禍々しく悲しい妖力にあてられ、顔色をなくしていた。

 自分が撃たなければ、もっと安らかにこの人は眠れたのではないか。
 想う人をこの手で撃ち殺すなど、どうしてできたのだろう。
 何が正しかったのか。何が間違っていたのか。大神にはもうわからなくなっていた。

 「フフ………ウフフフフフ………狂え、大神一郎。裏切られ、狂えばいい…………」

 無理な反魂によって自分の持てる力以上の妖力を使い果たした水狐が、がくりと膝をついた。
 すると、水たまりの上の彼女がゆらりと揺らぐ。

「……あやめさん!!」

大神が差し伸べた腕の中で、抱きとめられたあやめの形。水狐の妖力が尽き始め、反魂しきれなかったあやめの肉体がどろどろと腐り、崩れ始めた。

「あやめさん…………」

 大神が抱きしめればその肋骨はへこみ、肉はひしゃげて皮膚がずるりと剥がれ落ちる。
 そこにはもう、彼女の面影はないというのに、大神は腐った肉に顔を埋めた。崩れた胸を流れる真っ赤な液体が、大神の顔を赤く汚す。

「……アナタは、本当は死にたいんでしょう?ずっと。この女を、殺したときから」

水狐が自分の吐く血にむせながら、大神をあざけるように笑う。

「そうやって戦って、死ねるのを待っているんでしょう………?このヒトのところに、行きたいって」

 自分は、死に近づくために戦っているというのか。あやめの元へ行くために。
 帝都のため、正義のためと偽って、自殺願望から巧みに自分の目をあざむいていたのか。

 ぐずぐずと崩れ落ちていくあやめの身体を愛しげに抱きしめ、大神はただ祈った。
 彼女が安らかであるように。悲しい姿で、こちらに呼び戻されることがないように。

「望みどおり、殺してあげるワ。そのヒトのところへ、行きなさい!」

 地中から大型の魔操機兵が現れ、水狐を取り込み鈍く動き出す。
 そのぎらぎらと光る鉄扇が大神に振り下ろされようとしたそのとき、後方からの銃弾がその攻撃を弾いた。


 「隊長!!どうか、こちらに戻ってください………私たちを、花組を率いて、戦ってください!!」

マリアの声が響く。赤い光武と桜色の光武が、大神を守るように水狐との間に滑り込んできた。

「大神さん!!あたしたちを見てください!」
「そうだぜ隊長!あたいたちが、帝都を守るんだろ?」

大神が顔を上げたとき、その腕の中から既に人の姿をしていなかったものが、すうと消えた。
気づけば、皆が大神を、大神の光武を守るような陣形を取っている。

「マリア、カンナ、さくらくん、みんな………、そうだな。俺たちは、守りたい人がいるから、戦うんだ」

 白い光武が主を迎え入れ、白々と明ける空に花組の勇姿が踊った。

→6へ

モドル