昼間は帝都一と言っても過言ではないほどの賑わいを見せる銀座も、深夜ともなればしんと静まり返っている。帝都の名所として名を馳せる大帝国劇場も、夜の闇に溶け込むように静かに佇んでいた。
しかし、いつ何時この帝国華檄団銀座本部に、異変が起きないとも限らない。帝国華檄団隠密行動部隊・月組は、今夜もこの帝劇の見回りに余念がない。
外回りコースから見上げた、灯りの落とされた2階のテラスに、人影が一人分。
(……あれは、レニさんか?)
標準の女性よりも一回り小柄な、ショートヘアのシルエットでレニと気づいた加山は、訝しげに眉根を寄せる。
(……こんな時間に、一人で?もう消灯時間も過ぎているというのに。……気になっちゃうなぁ〜)
交代要員の月組隊員に目配せをすると、素早く物陰に配された地下通路に姿を消す。勿論、帝劇地下の月組本部に繋がっているのだ。
「レニさん、こんな時間にお一人で、どうされたんですか?」
月組本部に戻り、普段のスーツに着替えてからやってきてみると、テラスにはまだレニの姿があった。
「…加山隊長。加山隊長こそ、どうしてこんな時間に?任務?」
ぼんやりと窓の外を眺めていたレニだったが、加山の声に少し驚いたように振り向く。しかし、相変わらず感情の読み取りにくい表情をしていた。
「ええ、さっき任務を終えたところなんですよ。外から、レニさんが見えたものですから……もう、夜景も見えないでしょう?こう夜も深まっては……」
加山はレニに向かって歩を進めると、自然な距離を保って止まった。ふと、雲の隙間から月が顔を出し、テラスの大きな窓からその光りが降ってくる。
「……夜景なんて、街並みなんて…以前はきれいだと思わなかった。だけど、今は違う。きれいだと感じるし……なんだか、安心する」
白い月の光に照らされるレニの横顔は、まるで精巧な人形のようだった。柔らかく光る銀髪に、抜けるような白い肌。青い瞳は、さながら澄んだ水面を閉じ込めた硝子玉のようだ。
「………加山隊長は、誰か一人のことで頭がいっぱいになるようなこと、ある?」
可憐な、薄紅色の唇が動く。どこか人間味を感じさせない容姿、静かな口調。それが紡ぐ少し意外な質問に、加山は少したじろぐ。
「……そりゃ、ありますよ。…何をしても手につかなくて、その人のことしか考えられない、とか。……レニさん、そう思う人が、いるんですか?」
レニがこんなふうに話を向けてくるのは、何か話したいことがあるからに違いない――ならば、それを聞くのが自分の役目だ、と、加山はさりげなくレニを促す。
「……隊長。大神隊長のこと、なんだ。……思い返してみると、隊長がボクを水狐から助けてくれたときから少しずつ、隊長のことが気になるようになった。こんなの……初めてだ」
窓の外を見つめる青い瞳は、まっすぐに静かな光を放つ。だが今夜は、ガラスを透過した月光のせいなのか、その瞳の中の水面が僅かに波立っているように見えた。
「苦しいんだ……じわじわと、胸がしめつけられるようで………。こんなに苦しいんだったら、こんな気持ち、………いっそ忘れてしまいたい」
レニが苦しげにうつむく。すると、音もなく月が雲に隠れた。静かなテラスは、闇に包まれる。
ふわり、と少し離れた位置にいた加山の気配が揺れ、レニのすぐ隣へと動いてくる。
顔を上げたレニを黙って見つめ、少し微笑むと、加山はレニを腕の中にやさしく抱き込んだ。
お互いが何も言葉を発しないまま、暫しの時間が流れる。
「………あったかい……」
レニが、微かな呟きでその沈黙を破った。安心したように、加山の胸に身をあずけている。
「……大神の胸も、温かかったでしょう?」
細く、小さなレニの身体。戦場での戦いぶりからは想像もできないほどに、その身体はやわらかく、心は繊細だ。儚げなその風情に、加山はとても抱きしめずにはいられなかった。
「…うん。隊長の抱きしめてくれた腕……心臓の鼓動。はっきりと思い出すことができる……」
隠れていた月がまた顔を出し、やわらかく白い光が、2人の上に降り注ぐ。
「……その腕の中で、苦しかった、ですか?レニさん………忘れてしまいたい?」
レニが、はっとしたように顔を上げた。揺れる青い瞳が、月光に輝いている。
加山が少し微笑むと、レニはほっとしたように口元を緩めた。
「……忘れたくない。隊長がボクを、思ってくれた気持ち………ボクが隊長を、想う気持ち……」
レニはこぼれるような笑みを浮かべ、甘えるように加山の胸に頬を寄せると、目を閉じる。
「…ありがとう、加山隊長。ボクは、忘れない………」
自分の気持ちに戸惑い、苦しむあまりにそれを捨ててしまおうなど、思ったのは遠い昔。
昔の自分を見ているようだ――などとは、加山は特に思わなかったが、レニの花の咲くような笑顔を見ることができて、かなり満足していた。
(……かわいかったなぁ〜♪うん、あれは稀少だぞぅ〜。まさに役得、だな)
軽い足取りながらも、足音ひとつ立てないのは、さすが月組隊長と言うべきか。
(また大神にひとつ、貸しができたなぁ。ま、オレは良い奴だから、さりげな〜く返してもらうにとどまるけどなぁ〜)
花組乙女たちの霊力の安定に月組も一役かっていることは、本人たちと夜の闇、そして輝く月しか知らないのだ。
帝劇地下通路に潜り込みながら、加山は一人微笑む。
――オレの周囲の人たちがやさしい想いで微笑んでいるのは、実に良いものだ。