月組隊長の思惑

 「では、失礼します、指令」
「おう、ご苦労だったな加山」
 机に頬杖をつき、書類ごしにオレを見る米田指令に一礼し、帝劇司令室のドアを出る。
 大掛かりな蒸気仕掛けの暖房設備のおかげで帝劇内は暖かかったが、温度差で曇った窓の外はすっかり冬だ。期日通りに書類を指令に提出できた安堵感から、溜息を一つ。
 先月、気の早い雪の降った日に、大規模なクーデターが起きた。ここ帝劇も太正維新軍に制圧され、地下の設備だけでなく舞台や楽屋など、劇場部分も軍靴に踏み荒らされた。無類の芝居好きで、何より花組ファンであるオレの心は、ひどく痛んだのだ。しかし、クーデターも海軍が鎮圧、首謀者であった陸軍大臣京極の自決死体が発見される、という結末を迎えた。
 帝檄管轄の事件の事後処理を任される月組隊長として、山積みの書類を片付けるのにはかなりの労力が要った。デスクワークは苦手なのだが、文句を言っても誰が処理してくれるわけでもない。継続の任務もあることだし、師走に入る前に片付けてしまいたかったが、それにしては量が膨大すぎた。

 凝り固まった首をぐるぐると回しながら、開放感からかふと帝劇内を散歩して帰ろうという気が起きる。今まで自分の立場は月組の性質上、花組内には極秘だったのだが、先月の事件の際にオレが月組隊長であることは明かされたので、特に不都合もない。軽く大神の顔でも見て、あわよくば花組のお嬢さん方にご挨拶でも…という下心があることは、否定しないどころか隠すつもりもないのだが。

 事務局の前を通りかかったときに、風組隊員のかすみさん、由里さんに挨拶をする。…2人の美女に惑わされてここに長居をすると、事務仕事を手伝わされるはめになるのだ。少々残念だが、さらっと通り過ぎるのが吉。
 食堂に入ると、すごい勢いで食事をしているカンナさんに会った。まあ、いつものことなのは知っているので、テーブルの上に積み重ねられた食器の数を見ても、驚きはしないのだが。よう加山、アンタの体術には隊長もかなわねえって聞いたぜ?今から組み手に付き合ってくれよ!と豪快に誘われたが、丁重にお断りした。カンナさんには申し訳ないが、熊やら牛やらと素手で戦う彼女との組み手に、毎度毎度律儀に付き合う大神の気が知れない…まあ、それだけ信頼し合っているということなのだろうが。
 玄関ロビィの売店には、これまた風組隊員の椿さん。年上お姉さんなかすみさん、モダンガールな由里さんも素敵だが、素朴で元気いっぱいの椿さんも、なかなかどうしてかわいらしく、好みである。とびきりの営業スマイルでブロマイド買っていってくださいよ!と言われたが、帝劇の女優さんグッズは、闇ルートで格安に手に入れることができるのだ。断じて職権濫用などではない。勿論、既に入手済みなオレは、爽やかな笑顔でそれをかわした。

 広いロビィから続く2階客席への階段をゆっくりと上る。敷き詰められた絨毯や壁紙、豪奢なシャンデリアにも、クーデターの爪跡はほとんど残されていない。帝劇内の改修やらも月組の管轄なので、こうして確かめるまでもないのだが。
 ぐるりと吹き抜けの回廊を歩き、階下を覗くと、食堂では満足そうなカンナさんが椅子から立ち上がるところだった。机の上には食器が山積みだ。…間食と言うには少し、いやかなり、量が多い気がする。やはりカンナさんは1日5食とか6食とか食べるのだろうか…
 本人のみぞ知るカンナさんの食事事情を推察しながらサロンに差し掛かると、そのカンナさんの宿敵、すみれさんがお茶を飲んでいた。オレと目が合うと、こちらが口を開くより先に、ちょっっっと加山さん!とヒステリックに呼び止められる。

 「どうしたんですか〜すみれさん。どうもご機嫌麗しくないように、お見受けしますが?」
「そんなもの、麗しいわけないじゃありませんか!」
 軽口を叩きながら彼女の方に歩み寄ると、すみれさんは怒り心頭、といった様子で、乱暴にティーカップとソーサーをテーブルに置いた。がちゃん、と高級そうな白い食器が音を立てる。
「今度のクリスマス公演の主役にわたくしを選ばないなんて……少尉はどうかしているのですわ!」
乱暴にポットから紅茶を注ぐと、一気に飲み干す。よほど腹を立てているのだろう。
「……それはそれは。トップスタァのすみれさんが演じるには、天使では少し控え目すぎますか?」
失礼します、と言ってすみれさんの向かいに腰掛けると、彼女は急に押し黙り、うつむいた。
 「………わたくしだって、子供ではありませんわ。与えられた天使役、聖母を引き立たせるよう完璧に演じきって見せます。ですが………!」
吐き出すように言うと、きっと顔を上げる。
「……そもそも少尉が優柔不断なのですわ!このわたくしに、気を持たせるようなことを………殿方からのこのような屈辱、産まれて初めてです!」
 それだけ言うと、ふいっと横を向いてしまった。プライドの高い彼女のこと、きっと大神や、皆さんの前では気丈に微笑んで、素晴らしい舞台にしましょうね、などと言ったのだろう。これだけ怒っているところを見ると、どうも大神と彼女には何か、あったのではないだろうか…しかし、大神は恋愛に対して、恐ろしいほどの鈍感さを発揮し続けている。奴はおそらく、無意識なのだろうが……年頃の女性には、奴の優しさはときに、期待を抱かせてしまうだろう。

 「……加山さん、わたくしのことを、うるさい勘違い女だと思ってらっしゃるのでしょう?」
「…すみれさん……」
いつも自信たっぷりな彼女らしくない台詞に、はっとして身を乗り出す。
「そんなこと……」
 「加山さん、喋らせてくださいな………わたくし神崎すみれ、交際したいと申し出てくださっている殿方は、両手に余るほどおりますの……」
ほう、と溜息をつくと、彼女は椅子の背もたれに身をあずけ、視線を落とす。
「ですが皆さん、本当のわたくしのことなど、見てくださってはいないのですわ。あの方々が見ているのは、神崎家の娘……わたくし自身を見てくださっているわけではないのです。
 でも……少尉は違った。初めてわたくしと向かい合い、きちんとわたくしという人間を、認めてくださった………それが、どんなに嬉しかったことでしょう!」
すみれさんは大胆に露出された肩を震わせると、わっと泣き出した。
「わたくしは……わたくしは初めて、恋をしたのですわ………あの、方に……」
 いつもの強い口調は、あの態度はどこにいったのだろう。目の前にいるのは、華奢な肩を震わせて涙をこぼす、一人の乙女だった。プライドの高い彼女がこのような告白をした挙句、人前で涙を流すなど……もしも自分が花組の隊員であったならば、絶対に見られない場面であったに違いない。オレは、自分に与えられた役割を少し、呪った。しかし、目の前の泣き濡れる乙女に、自然に身体が動いていた。

 「……すみれさん、美しい乙女に胸を貸したいという男が、ここにいます…」
 椅子を立ち上がり、彼女の横に移動すると、彼女の座る椅子の背もたれに手を添えた。涙に濡れる瞳がゆっくりとオレを見上げたので、絶妙な優しさで微笑んで見せる。
「…っ…加山さん…!」
すみれさんは耐え切れないように小さく叫ぶと、立ち上がりオレの胸に顔をうずめた。優しい、女性の香りが大きく開いた襟元から立ち上ってくる。震える身体をそっと抱きしめると、華奢な肩が冷たく冷えていた。
 まったく、どうしてオレが別の男に恋をする女性を、なぐさめる羽目になるのだ……こんなに美しいひとならば、普通に恋愛を楽しませていただきたいものなのに。つくづく、大神は罪な奴だと思う。後で思い切り嫌味やらを言ってやるとしよう……
 「………すみれさん。今日、あなたに会えて良かった……オレがここを通らなければ、美しいあなたを一人で涙させてしまうことになった……と、自惚れてもよろしいですか?」
 涙のようやく止まったらしい彼女は、赤い目でオレを見上げると、くすりと笑った。
「…加山さんは、随分と女性の扱いに慣れていらっしゃるのね……。本当に、誰かさんとは大違い」
「自分でもまったく、そう思いますよ」
軽口を叩くと、くすくすと胸元で彼女が笑う。美しい女性が泣いているのはやはり、心が痛むので、笑ってくれたことを素直に嬉しいと感じる。そして、抱きしめる腕に少し力を込め、耳元でささやく。
「オレだったら今頃、あなたの罠にかかって虫の息、なんですがね…」
「まあ、加山さんったら……。ねえ、わたくしの部屋に行きましょう。もう少し…お付き合いいただけないかしら?」


 誘われるままにすみれさんの部屋に行き、そこでまあ、オレは与えられた役割をきちんと果たした。
 傷ついた女性をやさしくなぐさめ、口説いてその気にさせる。そして、やさしく抱いてやる。
 …まあ、オレもいい思いをしているわけだし、役得と言えばそうなのだろうが。
 直接的に彼女たちを支えるのは、隊長である大神への想いでなければならない。だからオレは、こういう場合でも決して恋愛にはしないし、ほどよい刺激を与えてやって、大神の元へ返す。すみれさんなら大丈夫だ。今後はオレにこういったことを求めることはないだろうし、もしあるとすれば、完全な遊びだろう。それなら喜んでお付き合いさせていただこうか。
 たまに、そんな役割が嫌になることもある。
 真剣に恋愛のひとつもしてみたい、オレだけを見てくれる女性が欲しいと、思わないわけじゃない。  だけど。オレは。

 今のオレの身体には、すみれさんの香りが残っているだろう。こんな状態で大神にはちあわせでもしたら、殺されるかもしれない。素早く屋根裏に上ると、月組専用の帝劇内隠し通路に潜り込んだ。
 ……大神の前に姿を現すと決めた、そのときに心に思ったのだ。こいつを影から支えていこうと。できることなら、ずっと。その思いを貫くためには、女性と恋愛を楽しんでいる暇などないのかもしれない。
 だから、オレはこれでいい。こんな自分に満足できる。

 隠し通路の梯子を降りていくごとに、気温が下がっていくのがわかる。寒いというほどではないが、その暖かさに逆に今が冬であることを実感する。
 もうすぐクリスマス。問題の公演もあるが、すみれさんは素晴らしい天使役を演じるだろう。きちんと客席で観劇できるよう、支配人に席を融通してもらわなければ。
 願わくば、皆が幸せな聖夜を。
 皆が幸せな顔をしていることが、オレにとっては何よりの幸せだ。

モドル