ブ□ツケンの山 位牌岳


     ニューイヤーQSOパーティーの2日目、年末に八ヶ岳の冬を楽しんだ反動で地元の山に登りたくなり、登山口まで30分の愛鷹連峰位牌岳に向かう。沼津ICから登山口までのアプローチの間になんと野生の鹿に遭遇する。その距離約5m。立派な雌の鹿でゴルフ場のグリーンを植林の間からじっと見ている。脅かさないようにそっとカメラを向けると好奇心一杯の瞳でこちらを見つめている。。猪や猿には出会った事があったがこんな長い時間、それも至近距離で鹿にあったのは今までには無かった事であった。登山口である『水神社』先の林道終点に車を止めて歩き始めたのは午前8時ジヤスト。空模様は今ひとつはっきリせずだが、雨が降るようでもないため予定通り池の平に向かって登る。

     長泉町が整備した池の平は自然公園になっており標高846m。ここから雲の上に出る。朝霧は好天の証し、この先が非常に楽しみで自然に足取りも軽くなる。。この尾根は私の住む三島市から見ると位牌岳の山腹に入ってしまってまったく目立たないが、東側の東名裾野IC付近から見ると、非常に緩やかなスカイラインを見せている。藪があったりやせ尾根があったリ、はたまた原生林があったリと変化があって楽しい道である。

     2時聞近く、だれにも会わない道を山頂直下のブナの原生林が非常に美しい通称ブナの平まで登ってみて驚いた。あんなに豊かだったブナの樹々が、台風の強い東風で無残にも根こそぎ倒されている。直径が3m以上の根元ごと大地から剥ぎ取られたような姿は、まるで樹木の墓場を思わせる光景だった。倒木のため登山道は大きく北東側に迂回して付けられ踏み跡も何本かあり、うっかりすると道を見失う恐れがある。それぞれの分岐では来た方の道にはっきり印を付けながら歩くため、少々時間がかかってしまった。迷いやすい道は、時々振り返って帰りの風景をインプットしなけれぱいけない。しかし縦走路に出てしまえぱ、山頂まではよく踏まれていて15分とかからない。白く輝く南アルプス全山を正面に見ながら、雪が残っている道をゆっくり辿る。10時20分、不思議な事に1本の倒木もない静かな位牌岳山頂に到着。

     最初にする事は、恒例になっている富士山の写真を撮ることだが、山頂は展望が今ひとつのため鋸岳への降リロまで下って撮る。登りで息が上がっているところに、写真の手振れが起こらないようにじっと息を止めてシャッターを押す作業は、追い詰めた獲物を狙う猟師の様でとても好きな一瞬だ。沈黙の時間はここまで、ここからは足に変わって口が活躍する無線タイム。ペディションアワードのノルマはこの山頂ではとっくに達成しているので、のんぴりとした交信をする。それでも瞬く間に10局との交信が出来るのは、この場所のロケーションの良さを物語っている。

     一息ついて山頂に居る5〜6人の他の登山者との交流をするが、さすがに冬の位牌岳。賑やかなオバサマ達は一人もいない。山そのものが好きな人たちだけで、遠く大阪からの単独の人もいた。彼は鋸岳の通過が厳しかったのか、何時の間にか横浜からの単独行者と一緒になって二人で愛鷹山まで縦走するとの事。彼等は帰りのバスまでの時間がないため早々と山頂を後にしていった。午後1時、たっぷり雪の山頂を楽しんだら新春の山行も下るだけだ。

     

     ブナの平では、倒れた樹々の悲鳴をなんとか写真に切リ取ろうと何枚かシャッターを押したが、後日出来上がってきたフィルムを見て自分のカ不足を痛感させられた。その光景を見ていると、4年前脳卒中で倒れた父の脳のCTスキャンの写真を見せられた時と同じような深い悲しみを感じた。「この黒いところが脳の欠落したところです。」主治医の説明も上の空で、何層かに輪切りされた白黒の父の脳の断面を見つめていた自分を思い出した。

     父が倒れた後は、以前と違ってあきらかに自分の山歩きの質が変わった。。それまでは樹がそれぞれ1本づつ単独でしか観れなかったのが、あの頃からその周りの自然条件まで観れるようになった気がする。「木霊」という言葉があるが森林限界までの山には確かに感じることが出来るようになった。それは緑の山ではあまりにもあたリまえで感じにくくなっているが、富士山やアルプスなどの岩と雪だけの雰囲気を知って初めて気が付くものではないだろうか。寒さとか気圧の低さという科学的な違いではなく言葉がうまく見つからないが「生の気配」とでもいおうか。その反対の、「死の気配」を手っ取り早く体験できる場所は夏山シーズンの終わった富士山頂であろう。だれもいない山頂で独リで静かに目を閉じてみるがよい。自分の周リの感覚が普段のものとは異質な事に気づくと思う。それはたぷん命のネットワークが無い状態、生命が恒久的に生きられない環境、すなわち「死の世界」ではあるまいか。

     江戸時代に富士講が盛んになったのは、太平の世が長く続き、感じにくくなった「生」に渇望していた人々の反動ではなかったのか。それは富士山での疑似死によってあらためて自分が生き、生かされている事を再確認したのではあるまいか。今は言語機能が全く無くなった父とも、私の「生の気配」を感じる能カがもっともっと研ぎ澄まされてくれぱ、きっとコミニュケーションができると信じている。入院中の父を訪ねるごとに、精一杯の笑顔を見せて歓迎してくれる姿を見るにつけ、障害者は自分の方ではないのかという疑問にいつもぷつかるのだ。出来ることを出来ないことのままにしておくのが障害者なのではないか…。

     とりとめもない事を考えながら長い尾根を半分も下った頃、裾野市側に急に霧が掛かってきたと思ったら、そのスクリーンに突然ブロッケンが現れた。愛鷹連峰で見るブロッケンは初めてで、樹林帯から見るのも初めてである。自分の影より樹木のほうがはっきり現れているのは、愛鷹山の樹々が自分に何かのメッセージを送っているような気がしてならなかった。いつかは、お前たちの発している「気」を解読してみたい。

     池の平まで下ってくると展望が一気に開け、正面に穏やかな駿河湾が冬の太陽の光を反射してキラキラ輝いていた。静かな山と巨大な富士山、そして黄金色に輝く海と、私の希望を全て叶えてくれる山。それは私にとって初恋の山でもある。



 1998年1月3日(快晴)

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