甲斐駒ガ岳研究 


     21世紀最初の夏山は 2回目となる甲斐駒ガ岳の黒戸尾根に決定。予約を受け付けない、時代と逆行したような七丈小屋の世話になっての身軽な山行にする。しかし 標高差が2200m近くあるため登りはともかく、下りの険しさに果たして膝が持つのだろうか不安の中の出発となった。

     発見その1

      それは山小屋の雰囲気。急峻な尾根の50人程の小屋だが食事は旨いし、何よりそこに集う登山者のキャラクターが暖かい。8月の中旬の山が一番にぎわう時期なのに15名の宿泊者で、私が到着した午後1時からすぐ後に激しい雷雨になっり外に出られず、のんびり世間話をしたためかひとりひとりの個性が鮮明になったのだ。あの人は西堀栄三郎、この人は上条恒彦、黒柳徹子に梅原猛。はたして私は名修験者かあるいは乞食坊主に写ったのか。

     発見その2

      古くから修験道によって開かれたこの山の黒戸尾根は、いたる所にそのモニュメントが残っている。それらは過去の物かと思っていたが、まだまだ現代にもいきずいている事を知った。五合目の上の屏風岩を梯子を頼りに登っていると、遥か上の方がカランカランと金属音が聞こえてきた。熊避けの鈴の音より遥かに大きな音で何だろうと思っていると、白装束の3人の行者が梯子の上で待っている。狭い道で擦れ違いざまに彼等を観察して驚いたのは履いている地下足袋。それも富士山で小屋番が履いているごつい黒の地下足袋でなく、華奢な室内で履くような白い物だった。所々が破れたそれはこの尾根の厳しさを物語っていた。

     黒戸尾根は修験道のテーマパークの側面と地獄谷奥壁を代表するアルピニズムが共存している不思議な空間である。もっともそのどちらもかじったことのある自分にとっては、本質的には両者同じ土壌の上に咲いた花のように思えてしまう。この土壌の豊かさこそ、八百万の神々を生み出した日本に自然の豊かさの証明ではないのか。植物の垂直分布を観察しながら自分のDNAにある遠い記憶と会話しながらの4次元の旅は忙しい現代を生きる私のオアシスになっている。

     発見その3

     標高差2200mのこの尾根を日帰りで登降する人の多さにも驚いた。話してみると気負ったところもなく、笑顔が素敵な普通の人達である。自分もチャレンジしてみたいなと思うのだが、もうひとりの自分が『カモシカ山行は勿体ない登り方』とささやくのである。日和見主義の私はすぐにその意見を受け入れてしまうのである。

     深田久弥が日本の十名山でも落とさないと言っているが、黒戸尾根が無かったら果たしてどうだったのだろう。私にとっての名山の条件は第一に近いことである。第二に色々なテーマを受け入れてくれる懐の広い山である。第三に人間とのかかわりが豊かな山である。私にとって甲斐駒は名山中の名山である。

     

     2000年8月15〜16日歩く

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