順法山行 鋸岳


     四半世紀以前、当時の国鉄が労働闘争の戦術として行っていた順法闘争。言葉さえ過去のものになりつつある昨今。いみじくも、山行前から順法(尊法)にするにはどうしたら良いだろうかと、頭を悩ますことになった。順法とはかっこ良いが、要はトラブルにならない、体の良い詭弁を考えているにすぎないのだが…。

     南アルプスの北部に位置する鋸岳は、おおらかな山容の多い南アルプスの中では、非常に特異な存在だ。その縦走路は、小ギャップ 大ギャップ 鹿窓ルンゼ等の悪場を持ち、ある程度の岩登りのルートになっている。無理をしたくない年齢になった私に残った唯一のコースは、釜無川を溯って横岳峠に1泊して登るものだった。
     しかし、ここで問題がある。泊まろうとしている横岳峠は、国立公園の特別保護地区の中にあることだ。(正確には境界線が峠を横切っている)国立公園は、2つの目的で指定される。1つは、優れた自然を守り、それをそのままの状態で後世に残すこと。もう1つは、国立公園を保健休養の場として利用することである。自然保護計画の中でも、最も厳しい規制がある地区が上記の特別保護地区のことで、落ち葉の採取さえ禁止していのである。

     何年か前の北アルプスで、某企業の社員が指定地以外で幕営をして、新聞に報道された事件をご存じの読者の方も多いように、公園の中では指定地以外は幕営禁止なのである。横岳峠に監視員が常駐しているわけでも無いため、『ばれなきゃいいや』と思うのだが、小心者のため詭弁でも良いから後ろ盾が欲しいのである。そこで考えたのがビバーク案。正規の幕営では駄目でも、緊急のビバークならば許されるのなら、テントも簡易テントと呼ばれるツエルトでのビバークにすれば良かろう、との結論になった。山行日は8月のお盆にする。これも長い林道通行中に、砂防ダム建設のための工事車両とのトラブルを避けるための方策のひとつとした。

     いよいよ山行当日の8月15日の朝、ガイドブックに載っていた釜無川のゲートの前に停車してビックリ。ゲート半分ほどの看板に『台風15号の雨で山腹崩壊が発生しました。… 関係者以外の通行を禁止します。諏訪警察署』。さらにその横に小さな看板で、『これより先釜無山の入山を禁止する。 茸組合』ともある。しかし今更、はいそうですかと素直に帰るわけにも行かない。とにかく、それぞれの言い訳を考えなければ、前に進めない。『茸組合』の方は地図を確認して解決。林道から右側の釜無山に踏み込まなければ良いのだ。林道は、あくまで釜無川の河原と解釈したことにすれば良い。

     問題は、『林道通行禁止』の看板。そうだ、関係者ならば通行が出来るなら、適当な名目の関係者になれば良いのだ。無線業務関係者なんかどうだろう。無線の試験のとき、遊びの無線がなんで業務なのか不思議だったが、これを逆手にとって林道歩行途中に「通行禁止」と制止されたら、業務と強調してやろう。一般的には、業務=仕事となっているから。と、勝手な詭弁が出来上がったのである。理論武装?はできた。いよいよ禁断の地に踏み出す。着いてから1時間が経過した、午前8時だった。

     大型車両も通行可能な立派な林道は、ガイドブックに載っていた本谷第5ダムはおろか第6ダムまで延びていて、飯場小屋はそこから15分程の距離だった。お盆にしたのは正解で、工事関係の影は全く無く、静かな林道歩きを楽しめた。驚いたことに、林道終点側にも、『通行禁止』の看板があった。甲斐駒から縦走してきた者たちに「帰れ!」と言っているのか、とんでもない看板だ。しかし、鋸岳からの、唯一のエスケープルートである角兵衛沢の分岐に、「通行禁止」の説明がなければ、帰りの林道通行の免罪符は貰ったようなものである。

     釜無川の源流部には『富士川水源』の標柱があり、そのわずか下の沢の水は、暑い林道を歩いてきた喉にはこたえられない味がした。丁度お昼時だったので、ゆっくりと行動食を摂ることにする。1時間程昼寝をしていると、先程まで陽射しが強かった空から雨が落ちてきた。雨に追い立てられるように、3L程の水で重くなったザックを背負って、横岳峠まで1時間弱の急坂に足を踏み入れる。

     横岳峠は東西に細長い草原で、南側が開けている。峠には、登ってきた道を指して『富士川水源』と記してある道標があり、今回の山行の初めて見つけた道標であった。この日は南風が強く、時々雨もありビバークの条件にはぴったりだが、僅か450gでフライシートも無いツエルトで、快適に過ごせるのか心配になってしまう。しかし、頼りにならないようなツエルトの薄い生地も、しっかりと雨、風をシャットアウトしてくれて、ひと安心。腐葉土のスポンジのような大地も雨を十分吸収してくれて、下からの浸水もない。全く快適なビバークだ。結局この日は、わたし独りの貸し切りになった。

     *  *  *  *  *

     翌朝4時ごろ目覚め、外の明るさと鳥の鳴声で天気の好転を確信する。しかし、最初にする事は、トイレでも朝食の支度でもなく、結露したツエルトの生地を乾かす事。そのままだと、頭や顔が露で濡れてしまい、気持ちが悪いのである。横になったままで、顔の横にストーブを置いて、酸欠に注意して点火。ツエルトの生地が乾くまで、ストーブの炎を見ながら、これから始まる1日の期待にワクワクするひとときは、ツエルト泊をする時の嬉しい儀式になっている。仙丈岳、北岳を見ながら、5時30分に出発。

     最初の展望地三角点ピークの岩に登れば、中部山岳の高峰たちが、真夏の青空の下にそれぞれの高さを競っていた。目指す鋸岳は南アルプスの岩峰らしく、岩場と樹林帯が微妙なバランスの美しさを見せている。この稜線は山梨県と長野県の分水嶺になっていて、山梨県側に落ちると県警のヘリが来て無料だが、転落しやすい岩場の長野県側で遭難すると民間のヘリが来る確率が高く、70万円以上の費用がかかる。世の中、うまく出来ているものだ。山岳保険が切れているので、より慎重に岩稜地帯を進む。気になっていた角兵衛沢の分岐には、注意書きはおろか道標さえ無く、帰りの林道の通行手形を確保した安堵感と、核心部に踏み込む緊張感が入り交じる。核心部といっても、右側の角兵衛沢に落ちる岩場の高度感さえ克服すれば、案外たやすく山頂に達する。

     夏場の8時過ぎのためか、三角点ピークからの展望にくらべて、南アルプスは塩見岳から先が見えなくなり、北アルプスの槍穂高連峰も雲の中に隠れてしまった。写真を撮ってようやくひと息いれていると、先客の単独の男性から写真撮影を頼まれた。しかし、シャッターを押してもシャッターが切れない。不審に思っていると『○×○夫 60才 ただ今、鋸岳の山頂 角兵衛沢から登りました。』とアナウンスを始めた。ビデオだったようで、年が分かってしまった。それにしても、上から見ても踏み跡さえない岩のゴロゴロした角兵衛沢を登降するとは。少しばかり、自分の年が恥ずかしくなってしまった。さてここからは無線業務の時間。他の二人の登山者に無線をする事を告げてから、山頂の端で430のハンディ機にホイップ直付けで運用を始める。ほとんど、携帯電話と変わらない運用である。J*1C*T/0 J*0W*X J*0L*Tの3局と手短にQSO。

     目的は全て終了。改めて周囲を見回すと、いつの間にか山梨県側からガスが上がって来て、八ヶ岳が雲の海に沈んでしまった。さあ、そろそろ下ろう。山頂という小宇宙から、人間界のくだらない掟が満々た世界に向かって、重い腰を上げた。

     

     2002年8月15日〜16日歩く

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