高1〜高2 部活とバイト
「趣味」が欲しいなぁ〜
エレキギターに出会う
「JUDY AND MARY」と「文化祭」
作詞・作曲・歌
高3〜進路について考える?〜
大嫌いなスピーチ、友達
「勉強」することと「ギターを弾くこと」
こんな「先生」ってどうなの?
登校拒否
母子家庭、大学進学、夢
友人からの電話
残された高校生活
卒業
今までの「バンド」を通しての自分の音楽についての出来事をまとめてみようと思いました。 最初は、簡単にバンドのことを書こうと思っていたんですが、書いてるうちに高校時代の思い出みたいに なってしまいました。まぁ、順を追ってゆっくり書いていこうと思います。僕の高校時代の話なんて興味ないかも しれませんが、気が向いたら読んでみてください。
僕がギターを始めたのは、高2の夏くらいでした。高1の頃は部活に明け暮れる毎日でした。気楽に入ったつもりの部活だった のだが、平日は毎日、そんで土日も当たり前の様に「練習・試合」。朝練もしょっちゅう。サボれば、顧問にしつこく理由を問いただされる。 周りを見れば、バイトをして好きにお金を使って高校生活をエンジョイしてる友達。僕は、こんな生活にうんざりでした。もちろん部活を やることは、無意味じゃないけど、その当時は窮屈で仕方なかった。高2になって、バイトをはじめた。部活はやめました。やめたら、急に友達も離れていきました。まぁ、そんなもんです(笑) 別に、「何が欲しい」ってのはなかったけど、ただ「お金」が欲しかった。うちは貧乏だったから、普通の友達が持ってるようなものは ほとんど買えませんでした。みんながCDやらウォークマンだとかポケベルだとかもってるのに、うちはそんなもの買えません。部活をやってる 時もそんな劣等感があったんでしょうね。多分。だから、お金をとりあえず稼ごうって思って。何のバイト?いや、普通のコンビニの バイトですよ。
ただバイトをして、お金は稼ぐのだが、いざお金があると「使い道がない」。同じバイト仲間は、服を買ったり、ケータイ買ったりしてる。 だが、当時からファッションとかそういうのに全く無頓着だった僕は、そんなものも興味なく。ポケベルだとか、ウォークマンも別にどうでも よくなってしまってた。そして、バイトと学校に明け暮れる日々に虚しさも感じてた。部活に明け暮れて、充実してたあの頃。 ないものねだりかもしれないけど、あの頃は友達もたくさんできたし、勉強もそこそこできて、結構いい生活だったのかな、なんて。 まぁ、お金がなかったのも辛かったけど。学校の中じゃ、確実に自分の居場所を失ってたな。趣味は、「ゲーム」と「マンガ」。あぁ、何か書いてて自分でも寂しくなってきたな。なんとなくイメージできそうな感じでしょ?(笑)
ゲームは、好きだったんだけど、一通りクリアしちゃうともうできないでしょ?それが何かイヤで。もともと向上心のあった僕は、 「一生、極められる趣味が欲しいな。」って何となく思っていたんです。ゲームって、やればやるほどうまくなるじゃないですか。 だんだんハイスコアとか上げていって。だけど、そんなもの極めても誰も誉めてくれないし、認めてもくれない。それなら、もっと やりがいのある趣味の方がいいな〜って思って。なんとなく閃いたのが、「音楽」。あの頃、タイピングソフトってのにはまってて。キーボードを1分間で何文字打てるかってやつ ね。(もちろんパソコンの”キーボード”ね。)それで、僕はかなり上達して。あぁ、なんかこういう感じのかっこいい趣味って ないかなぁ〜?? って思ったら、「楽器」っていいかな。って思いました。
そんで、楽器屋さんに行ってみました。僕は、楽器といえば小学校1年のときに無理やり習わされた「ピアノ」くらいしか 経験がないくらい音楽無知でした。しかも、それさえも1年ちょいで辞めちゃう始末です。
店員さんは、「エレキギター」を勧めてくれました。僕にとって、ギター=ロック=不良のイメージがあり、抵抗がありました。 しかし、「かっこよさそうだな。」と思い、エレキギターをやることにしました。もちろん、ギターのことなんて知らかったし、 とりあえずZO-3っていう、カワイらしいギターを買いました。「ギター入門」なる本とチューナーを買い、ひたすら練習。あの頃は、とにかく楽しかったなぁ(笑)
でも、ギター入門とかいって あれ、入門じゃないね。いきなり当たり前のように「開放弦で弾こう」とか、書いてあるんだよね。「っていうか、開放弦って何?」って 。今思えばアホらしいけど、当時はそれだけがずっと謎で。「だから、開放弦って何やねん!!」って、「開放弦」って言葉が出てくる たびにイライラしてました(^_^;
しばらくして、「ギター熱」も冷めてしまい、ギターはケースに入れたまま部屋の隅っこに置きっぱなし。 空しい日々を過ごしながら、秋になりました。秋といえば、「文化祭」です。有志バンドが出るってことで、ギターをやってた 僕は多少なりとも興味があったので、そのステージを見ることにしました。 ・・・とんでもなくひどいバンドばかりでした(笑)。わけのわからないオリジナルバンド、歌詞カードを堂々と見ながら歌うミスチルのコピバン 、僕はちょっと絶望しかけていた。そんな中、女の子ボーカルのバンドが出てきました。4人組のバンドで、みんな生き生きと 楽しそうに演奏している。そして、何より心に響くメロディー。どっかで聞いたことあるな、この歌。でも、わかんないけどいい!! 僕は、感動でいっぱいでした。やっぱいいな、音楽って、ギターっていいな!!って思いました。「いつかは、バンドをやろう!」と 漠然と思いました。それから数日後。「ミュージックステーション」に「JUDY AND MARY」ってなバンドが出てきました。僕は、あの時の文化祭で見たバンドが JUDY AND MARYのコピーだったってことを後から知ってたので、何となく興味はありました。もちろん、それまでもなんとなく存在は知ってた けど、「眼中にない」って感じだったかな、あの頃は。 そして、ミュージックステーションで演奏する4人を見て、僕は鳥肌が立つほど感動した。メンバー同士の楽しげな雰囲気、なによりも 音楽を「楽しんでる」ってのが、ひしひしと伝わってきた。いいな、バンドって!!僕は、心から確信した。
そして、ジュディマリのCDを買った。当時の一番新しいアルバム「パワーソース」。とにかく、感動!!あぁ、バンドってこういう もんなんだ!って思いました。今までは、「歌」しか聴いてませんでした。僕にとって、ギターベースドラムって、ただの背景でしか なかったんです。しかし、JAMを聴いたら、「ボーカル」もひとつの楽器になってて、4人でひとつの音楽を作り出してるっていうのを すごく感じました。その感動って、本当に言葉にできないくらいのものでした。どの曲も、CMやテレビで聞き覚えもあったっていうのも あってか、何度も何度も何十回とCDを聴きまくりました。
バンドに憧れる一方で、僕は「シンガーソングライター」なるものにも憧れてました。(どっちやねん!!)
当時でいえば、河村隆一とか川本真琴とかね。自分で作詞・作曲して、それを自分で歌う。最高にカッコイイじゃないですか。 僕もそうなりたいって思ってた。バンドでギター弾きつつ、ソロでシンガーソングライターっぽくやりたいとか、 ろくに練習もしてないくせに、変な夢ばっかり持ってました。あの頃は(笑)作詞・作曲してみたいな、と思い、楽器屋さんでカセット式の「マルチトラックレコーダー」なるものを買いました。ギターを録って、 それを聴きつつ自分で歌を入れるっていうね。まぁ、何かギターの重ね取りしてるだけでも楽しかったな。歌は、家族が外出したときに こっそりと歌入れします。コードの使い方とか、歌の構成とか何もわかってないから、ほんとめちゃくちゃ。だけど、何か作ってるっていう ことだけで本当に楽しかった。まぁ、そこで自分の歌の下手さに気付きましたが(笑)歌は、ほんとダメ。自分の声に吐き気すら感じるくらいに(^_^;
高3になった。特にバンドを組むでもなく、ただひとりでこっそりギターを弾き続けていた。そろそろ「進路」について考えるべき 時だ。僕は、自分でいうのもなんですが、成績優秀な生徒でした。で、選択授業ってのを選ぶんだけど、「理数系」を選んだ。ほんとは、文系の方が好きだったんだけど、 周りの、自分と同じくらい頭のいい人たちがみんな理数系をとるので、なんか意地とプライド だけで好きでもない理数系の選択をしてしまいました。正直、進路なんて何にも考えてなかったし眼中にありませんでした。 ただ、なんとなく、「音楽」やりたいなって思うようになりはじめてました。
国語の授業で「スピーチ」なるものがあった。自分の日常思ったことを、みんなの前に出て、ひとりずつ喋るというものだ。 人見知りで、しゃべり下手な僕にとっては「最悪」な授業だ!! もう、何も話すネタなんてないし、逃げ出したくなるくらいに イヤだった。僕は、自分の趣味について話した。そう、ギターをやってるって。みんな意外そうな感じだった。まぁ、僕がギターなんて やってるようには見えなかったんだろうね。成績優秀で、何を考えてるのかわからないおとなしいやつ。そんなイメージだったん でしょうね。そんな話をしたら、友達が何人か話しかけてきてくれた。「実は、オレもベースやってるんだ。」とか、「ギターって何持ってるの?」とか。 別に他愛ない話だったけど、学校の友人たちと音楽の話が少しでもできたことが何となく嬉しかった。
それから、その中のひとりの友人Mがエレキギターを学校に持ってきて、僕と一緒に演奏したりした。 僕とは全く正反対のタイプの友人だ。明るくて誰とでも気軽に話すやつ。はじめに会った頃は、「絶対に友達になれないタイプだな」と 思っていた。ほとんど口をきいたこともなかった。しかし、音楽を通じて次第に一言二言話したりするようになっていった。 そいつと、昼休みになると屋上に行きギターを弾いてた。屋上のすぐ近くに、物理の教室があるのだが、演奏する度に物理の先生に「静かにしろ!」 と怒られていた。
だんだん日々、音楽への思いはつのる。別にバンドを組んだりしてるわけじゃないけど、勉強にも身が入らない。少しでもギターを 弾いていたい、この学校で勉強してる時間さえも惜しい。そんな風に思うようになっていった。成績はみるみる落ちていく。高2の頃は、 上から数えた方が早いくらいの成績が、下から数えて何番目ってくらいに落ちた。だんだん、僕は勉強とかどうでもいいように思えてきた。勉強そのものは、好きなんです。いい先生にめぐり会い、その熱心な指導に触れると本当に感動するし勉強の楽しさがわかります。 本を読むことも好きだし、何より未知の世界に触れ、自分が向上していくことが楽しかったんですよね。世界史とか、英語とか、国語とか、数学とか、 僕はいい先生にめぐり会えたから好きになれたんだと思う。
だけどね、良い先生もいれば良くない先生もいるんですよ。「化学」の選択の授業。教師は、毎回ただプリントを配るだけ。 化学の授業だから、 実験があるでしょ? だから毎回2時間連続で授業があるんですよ。そんで、実際はほとんど「実験」なんてなくって。 だから、アホ教師が授業の最初にプリントを配って、2時間ボーっとしてるんですよ。みんな。 別にプリントの解説とか、答え合わせなんてしません。最初に一方的に「配るだけ」。寝てるやつがほとんど。そんな生徒たちを 見て見ぬ振りのアホ教師。僕は、その無意味すぎる時間が苦痛でしょうがなかった。無気力な教師の態度が許せなかった。明らかに、「教育」、「教職」という仕事をバカにしてる。そして、そんな楽をしてしっかり「給料」をもらってる。リストラされたりして、ホームレスになってるやつもいるのに、 こいつは、プリントコピーして、適当に配って、2時間ぼけーっとイスに座ってるだけで、毎月きっちり「給料」貰えてるんですよ? なにこれ?? こんな楽な仕事ってあるんすか??結局そのアホ教師は、1年間、数回の実験を除いては、ずっとそんな 授業でしたよ。こんなやつが、クビにならずにのほほんと居座ってる「学校」ってどうなの??
担任に相談もしたけど、「事なかれ主義」のアホ公務員はそんな話は聞いて聞かぬフリ。せめて、僕は「選択」を取り消したいといったのだが 「それは無理」とのこと。「選択」なんだから、別に受けなくてもいいはずなのに、一度選んだ授業は出ないと卒業できない、などと いうわけのわからないことを言われた。
そんならじゃあ授業に出ない。卒業できなくてもいいや。と思った。もう、その頃は勉強にも興味を持てなくなっていたし、 そんな無駄な時間を過ごすくらいなら、さっさと辞めてギターの練習をした方がいいやって思った。 別に「プロになる」とかそんな計画なんて全くなかったし、将来のこととかなんて全く考えてなかったけど、その時はもう 本当にどうしようもない矛盾した怒りとか、そういうのでいっぱいだった。学校に行かなくなった。いわゆる登校拒否ってやつ。まさか、自分がそんな「落ちこぼれ」になるなんて夢にも思わなかった。
中学生のころから、勉強だけが生き甲斐で、将来は有名大学に入って、親を幸せにする。とか思ってたのに。
母子家庭だった僕は、親戚の集まりがある度にいろいろ言われていた。僕がおとなしい性格だからってことで、母親は周りから いろいろ言われていた。僕に直接言えばいいのに、どうして母に言うんだろう。母はいつも泣いていた。 矛盾した気持ちと大人への不信感。そして、 何も反論できない自分自身への怒り。僕は、絶対に有名大学へ入って、一流企業に就職して、いつか絶対そんな親戚達を見返してやろう。 だから、勉強を一生懸命頑張ろう。って、そんな思いだけで、何とか生きてきた。僕は、「高校辞めて、音楽やる」って母親に言った。母親には、泣かれた。「高校だけは、卒業しろ」って。あの頃、僕が 「音楽やってく」って言ったのは、正直何の確信もなかった。今思えば、何の知識もなかったし、ただただ音楽をしたいっていう 本当に純粋な気持ちだった。
今まで積み上げたものが全てなくなる? 高校3年、あとちょっと行けば「卒業」なのに。 そんなものは、どうでもよかった。「卒業」だとか、そんな称号はいらない。大切なのは、「何を学んだか」ってことなのに。 だけど、世間はそんなもの認めてくれないって。頭ではわかってるけど、僕の感情はどうにもならなかった。今辞めれば、 大学に行けなくなる。高校出てなきゃ、仕事も選べないって。あのまま順調に行ってれば、そこそこの大学に入れて、そこそこの就職ができたかもしれない。だけど、 あの時はそんなこともうどうでもよくなっていた。理性なんてなかった。全てが無意味に思えて、もうどうでもよくなっていた。絶望感と、矛盾、 わけのわからない怒り、そんな気持ちだけだった。将来なんて何にもなかった。
学校に行かなくなって数週間後、友人Mから電話があった。僕は出たくなかったが、せっかく電話くれたんだしと思い、出た。 「どうしたんだよ。」って話から、僕は何にも言えなかった。僕が「音楽やりたい」なんて、誰かに言ったらきっとバカに されるだろうなって思ってたから。それから毎日のように夜になるとそいつが電話かけてきた。どうでもいい話してるうちに、 「実は、音楽やりたいんだ。」って話をするようになっていった。「そっか。でも、高校は出ておこうよ。」とそいつは言う。 冷静になって考えると、高校出た方がいいかなって思うようになっていった。だけど、もう今更行けるわけないとも思った。Mは言った。「別に人の目なんて気にしないでいいよ。オレがついてるからさ。」って。僕は正直嬉しかった。 友達なんていらないって思ってたのに、そんな風に言ってくれる人がいるってことが。
僕は、迷ったが学校にもう一度行くことにした。 もちろん、周りの冷たい嘲笑まじりの視線があると思うと辛かったが、みんな意外にすんなり受け入れてくれた。 担任や、他の先生も何にもなかったように接してくれた。「よぅ、久しぶり!」ってな感じで。気をつかってくれたんだな、 みんな。誰も別に、「どうして休んでたの。」とは言わなかった。 何にも変わらない学校だった。あと数ヶ月だけだし、とりあえず行こうかなって思った。もちろん、長期欠席した事実は今更取り消せない。もう、僕は一流大学にすんなり入る道は選べない。 自分で選んだことだからしょうがないし、後悔なんてしてない。この先のこと?卒業してからのことなんて 本当に何も考えていなかった。ただ、残りの高校生活をできるだけ楽しもうって思っていただけだったから。 そんで、卒業したらバンドしよう。音楽しようって、思ってた。仕事とか就職、、、?そんなことは考えてもいなかった。
卒業するまで、朝早く登校し、毎日のようにMとギターを弾いていた。周りも僕が音楽好きだってことを、わかってくれたのか、 少しずつ音楽の話しもしたりした。私はピアノ弾いてるけど、ギターって難しい?とか。 教室にミニアンプ持ち込んで、休み時間の度にギター弾いてた。今考えると、相当迷惑な話だね(笑) 国語の授業、例のスピーチの時間に、Mと2人でミスチルの「終わりなき旅」を演奏した。国語の時間になんでギター?(笑) クラスメイトも半ばあきれ顔で、そんな様子を見ていたんでしょう。髪の毛を茶色にして、担任に怒られた。あの頃の僕だったらたぶん考えられなかっただろうな。 自分を押し殺して、ただただ「真面目」な生徒を演じて、勉強をしっかり頑張って。 でも、もう僕にとっての「学校」は、どうでもいい場所だった。だって、もともと辞めるはずだったから。 って、そう考えたらくだらない規則とか、そんなのどうでもよくなってきた。自分らしく生きようってね。
ついに卒業です。なんか、いろいろあったけどやっと卒業できる。自由になれる! 進路決めてなかったけど、まぁ、どうにかなるさって感じだった。別に泣くこともなかったけど。 無表情で無口な担任は、「卒業できてよかったな。」とぼそっと言った。よく屋上でギター弾いてて、怒られてた物理の先生に、「ギター頑張れよ」って言われた。いや、実際に言われたわけ じゃないんだけど。物理の授業のプリントに、1年間の授業の感想を書く欄があって、そこにコメントを書いたんですよ。 「最近の授業は一方的な授業ばかりでうんざりだけど、物理の授業は、生徒が興味のもてる内容で、生徒に考えさせる授業があり有意義だった。これからも 頑張ってください。」みたいな、高校生らしからぬ生意気なコメントを書いたわけですよ。 そしたら、「お前もギター頑張れよ!」って書いてあって。その先生と、まともに口きいたことなかったんですよ。物理なんてたまに ある程度で、向こうは僕の名前なんて知らないだろうな、って思っていたから。ちょっと感動した。
・・・そっか、卒業か・・・卒業なんだな。
これから先、どうなるかわからないけど、僕は自由になれる。
その喜び、そして一方で不安も抱えつつも、これからの僕のバンド人生がはじまるのです。
つづく。