
◇◆◇◆◇ 猟銃 なぜかその中年男は村人の顰蹙(ひんしゅく)を買い、彼に 集まる不評判は子供の私の耳にさえも入っていた。 ある冬の朝、私は、その人がかたく銃弾の腰帯(バンド)をしめ、 コールテンの上衣の上に猟銃を重くくいこませ、長靴で 霜柱を踏みしだきながら、天城(あまぎ)への間道の叢(くさむら)を ゆっくりと分け登ってゆくのを見たことがあった。 それから二十余年、その人はとうに故人になったが、その時の その人の背後姿はいまでも私の瞼(まぶた)から消えない。 生きものの命断つ白い鋼鉄の器具で、あのように冷たく 武装しなければならなかったものは何であったろうか。 私はいまでも都会の雑沓の中にある時、ふと、あの猟人(ひと)の ように歩きたいと思うことがある。 ゆっくりと、静かに、つめたく━━━。 そして、人生の白い河床をのぞき見た中年の孤独なる精神と肉体 の双方に、同時にしみ入るような重量感を捺印(スタンプ)するものは、 やはりあの磨き光れる一個の猟銃をおいてはないかと思うのだ。
◇◆◇◆◇ 海辺 土地の中学生の一団と、これは避暑に来ているらしい 都会の学生の一団とがすれ違った。 海辺は大方の涼み客も引揚げ、暗い海面からの波の音が 急に高く耳についてくる頃であった。 すれ違った、とただそれだけの理由で、彼らは忽(たちま)ち 入り乱れて決闘を開始した。 驚くべきこの敵意の繊細さ。 浜明かりの淡い照明の中でバンドが円を描き、帽子がとび、 小石が降った。三つの影が倒れたが、また起き上がってた。 そして星屑のような何かひどく贅沢(ぜいたく)なものを 一面に撒(ま)きちらし、一群の狼藉者(ろうぜきもの)どもは 乱れた体型のまま、松林の方へ駆けぬけて行った。 すべては三分とはかからなかった。 青春無頼の演じた無意味にして無益なる闘争の眩(まぶ)しさ。 やがて海辺はまたもとの静けさにかえった。 私は次第に深まりゆく悲哀の念に打たれながら、その夜ほど 遠い青春への嫉妬(しっと)を烈しく感じたことはなかった。
◇◆◇◆◇ 瞳 七歳ごろであったろうか。明るい春の、風の強い日、 私は誰かに背後から抱いて貰(もら)って庭の隅の古井戸を 覗(のぞ)き込んだことがある。 苔むした古い石組と生い茂った羊歯(しだ)、ひやりとする冷たい 空気、地上から落込んだその方形の空洞の底には、動かぬ 水が銹(さ)びた鏡のように置かれてあった。 思うに、私の生涯に大きい関係をもつ何ものかが、初めて私の躯(からだ) の中に這入(はい)り込んできたのはその時であった。 若(も)し私が幼時のその春の日の一刻を持たなかったら、刺客の冷たい 瞳を埋めた地中の暗処をのぞかなかったら、 ━━私は二十歳の時友の眉間(みけん)を割り、二十五歳の時思想運動に奔(はし)り、 三十歳の時恋愛に生命をかけ、三十五歳の時絶望の思いをもって永定河を渡り、 四十歳にして或は市井に名をなしていたかも知れない。 併(しか)し、すべては違っていた。 あの北支永定河の川波に乱れ散るこの世ならぬ白い陽の輝きに、ふと生命 惜しからぬ戦いの陶酔(とうすい)を味わった以外、あらゆることに、私は 怠惰であり、常に傍観者でしかなかったようだ。
◇◆◇◆◇ 比良のシャクナゲ むかし写真画報という雑誌で "比良のシャクナゲ" の写真を みたことがある。そこははるか眼下に鏡のような湖面の一部が望まれる 比良山系の頂きで、あの香り高く白い高山植物の群落が、 その急峻な斜面を美しくおおっていた。 その写真を見た時、私はいつか自分が、人の世の生活の 疲労と悲しみをリュックにいっぱいに詰め、まなかいに立つ比良の稜線を 仰ぎながら、湖畔の小さな軽便鉄道にゆられ、この美しい山巓(さんてん)の 一角に辿(たど)りつく日があるであろうことを、ひそかに心に期して疑わなかった。 絶望と孤独の日、必ずや自分はこの山に登るであろうと━━━。 それからおそらく十年になるだろうが、私はいまだに比良のシャクナゲを 知らない。忘れていたわけではない。 年々歳々、その高い峯の白い花を瞼(まぶた)に描く機会は私に多くなっている。 ただあの比良の峯の頂き、香り高い花の群落のもとで、 星に顔を向けて眠る己が睡りを想うと、その時の自分の 姿の持つ、幸とか不幸とかに無縁な、ひたすらなる悲しみのようなものに 触れると、なぜか、下界のいかなる絶望も、いかなる孤独も、 なお猥雑なくだらぬものに思えてくるのであった。 (以上、詩集「北国」から)
◇◆◇◆◇ 井上 靖(いのうえ・やすし) 明治40年(1907年)−平成3年(1991年)。 北海道に生れる。 六歳の時から伊豆・湯ヶ島の祖母の許(もと)で成長した。 昭和11年京都大学美学科を卒業。 サンデー毎日の懸賞小説に応募し、「流転」で千葉亀雄賞を 受けたが、同年毎日新聞社に入社。 以降、創作の筆をとらず、専ら詩作と美術評論を行った。 戦後、創作を再開、昭和25年「闘牛」により芥川賞を受賞。 以後、作家生活に入る。 詩は中学の頃より折に触れ書かれたもので、昭和33年、 詩集「北国」として刊行された。 (角川文庫「現代詩人全集」第7巻・村野四郎/解説から)