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草
草が延びる。
草花は余り延ばさないで、早く摘んで、
末を止めて置く方が好い花の咲くと云ふことは知っている。
けれども見す見す青い葉を開いて、
茎が延びてゆくのに、
何(どう)も摘まれない、
延びるだけ延ばしても花は咲くだろう。
こんなに延ばしてはいけない、
自分には摘みにくいものだ、
僕が摘んでやらうと、
友人の一人はコスモスの先を皆摘んで行った。
摘まれた草は早く莟(つぼみ)を持った、
株も張った。
摘まない方は、
ひょろ長く延びて未だ莟を持たない、
風が吹くたびにひょろひょろしている。
早く痛めて置けば宜(よ)かったと思ふ、
でも今更摘まれない。
(詩集「霧」M43.から)
◇◆◇◆◇
ある朝
我身の上に苦しい事件(こと)がふりかかって来た。
けれども自分には勤めがある。
いつもの同じ時刻、同じ電車に乗る。
今朝は妙に人の顔が遠くで動いているやうに見える、
毎(いつ)の朝も馴染みのやうな意(き)がしている乗客(のりて)の人々が、
何だかそらぞらしく、
急に他人になったやうで、
自分一人だけ運ばれてゆくやうだ。
女学生が掛けて居る幅広のリボンも、
中学生の帽子の徽章(しるし)も一向気に留まらぬ、
動いているものに見えぬ。
車掌も運転手も旗振も、
皆自分に関係の無いことをしているやうで、
坂は上ったのか、下りたのか、
今は何処を通って居るのか、
考えてみないと分からぬ。
両側の屋並も、街路(まち)の日影も、
今朝に限って知らぬ顔をしている、
世の中とうとうとしくなった、
よそよそしくなった。
明るい光線が不思議になって来た、
新聞読んで居る人が羨(うらや)ましくなった、
皆人が苦労なささうな顔をして居るのが嫉(ねた)ましくなった、
昨日まではそんなことは何ともなかった、
只(ただ)明るいものは明るく、
美しいものは美しかった。
今朝は明るいものに暗い影があるやうに思ひ、
美しいものに偽りがあるやうに思はれてならぬ。
違った道を歩くやうに思ひながら、
毎朝来る自分の勤め場所に入った。
(詩集「霧」M43.から)
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球根
霜の降りた朝
球根を掘り出した。
日に照らした
水分を去った。
乾いた
干した魚のやうに
生気が抜けた。
併(しか)し、
球根は生きている。
土塊(つちくれ)のやうな
乾いたかたまりの中に
燃えるやうな色も
覚めるやうな色も
酔ふやうな香りも
みんな隠れている。
さてそれが何(ど)う隠れているかと
何うみても、かうみても、
呼吸(いき)もせぬ
土塊のやうな乾いたかたまり。
(詩集「彌生集」T10.から)
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ゆずり葉
子供たちよ。
これは譲り葉の木です。
この譲り葉は
新しい葉が出来ると
入り代わってふるい葉が落ちてしまふのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きな葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちを譲って――。
子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
凡(すべ)てのものがお前たちに譲られるのです。
太陽の廻るかぎり
譲られるものは絶えません。
輝ける大都会も
そっくりお前たちが譲り受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど――。
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちに譲ってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。
今、お前たちは気が附かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のやうにうたひ、花のやうに笑っている間に
気が附いてきます。
そしたら子供たちよ。
もう一度譲り葉の木の下に立って
譲り葉を見る時が来るでせう。
(詩集「紫羅欄花」S7.から)