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二月
鈍い鉛の海を背景(うしろ)に
冷たい空に凍って居る、
税関の圓屋根と会館の塔・錆びた緑を流す陽の色。
郵便局の前の時計が疲れた様に指す八時半・
電話娘(ハローガール)が帰って行く
燕のやうに囀(さえず)る声・露西亜(ロシア)人の群・
走しる電車・逓信馬車の鈴が鳴る音。
揸打銀行(チャータードバンク)と海岸教会・
鋪石(しきいし)の上の薄い氷に
アンナベルリイの滑らす右足(あし)・
あっと立てる大きな声・するりと滑るもう片一方、
あわてて躰をなほす拍子に
うちあけてしまふ糖菓(キャンディ)の紙箱(はこ)。
南京街の細い道路(みち)には
もうひろげられる沢山な店・
萵苣(レタス)・豆(ビインズ)・甘藍(キャベヂ)・
西洋胡籮蔔(キャロット)・菠薐草(スピネイジ)・
支那の乾物・魚・肉・七面鳥と鵞鳥との最後の叫び・
飛びちる羽毛(はね)・それに値をよぶ人々の声。
ヤコブペルティの店の戸口に、
まだついて居る霜華(フロストフラワー)、
息がかかるとわづかに曇る硝子の中の鮭と腸詰・
白い鬚(ひげ)の主人の手には
ちらりと光る朝の包丁・犬・荷馬車・
手籠をさげて帰る厨夫(コック)。
オテルプレザンタンの二階の窓が
静かに開く丁度その頃、
二人がとほる鋪道の上に落ちる日光・
きらめく石・そして早める足のはこび。
( 二月が二人の前に笑ひ、喜びあふれた、
おお、その時。
世界を両手にささへながら、
私たちは二人は幸福でした。
私たちは二人は幸福でした。
眼には涙があったけれど。
・・・・・・ )
(詩集『海港』から)
◇◆◇◆◇
七月
アンナベルリイの午后(ひる)の寝顔に
風が落す淡紅色(ときいろ)の花・
身軽に逃げる小魚(こうを)の後をおひまわして居る私の手・
可愛い猫・一羽の鸚鵡(あうむ)・
それに沢山の糖菓(キャンディ)と
チョコレェトとをのせて居る、
合歓(ねむ)の葉かげの白いボオト。
緑色の「コロンビア」と
形姿(かたち)のいい「エンプレスオブエイシア」・
桟橋のカッフェの卓子(テイブル)では、
帽子をまげたアメリカ人と陶器(せともの)の様な支那人との
切れめの多いのろい会話・
間のびな音をひびかせるNYKの汽艇(ランチ)の笛。
川口の石崖(いしがけ)・警視所の屋根・
広い芝生をのぞいている、
海軍病院の病室(へや)の窓に一つ置かれたアマリリスの花・
旗竿(ポール)をとりまく木椅子の群・
ユニオンジャックをゆるがす風・
RとFを組みあはせた仏蘭西(フランス)領事館の門の金具が、
まぶしい程にうつる水。
ボオトの中にはいま醒(お)きたアンナベルリイの
可愛い瞳(め)・ふりかかる髪をはらひながら
陽にむけておくる優しい微笑(えみ)・
私の両手に音たてる櫂(かい)・
海鳥(みづどり)たちのゆるいはばたき、
その時に山をこぼれて来るクライストチャーチの鐘の響。
水先案内(パイロット)の船の小さな旗と、
グランドホテルの日徐(ひよけ)の影をよりあはせては
踊らす波・海堡の口にならんで居る赤い燈台と白い燈台・
帆(カンバス)の上にもたれる雲・示午球の柱・
碧い海・鸚鵡(おうむ)の声が長く引く、
GO AHEADにおどろく猫。
( 七月が二人の前に笑ひ、喜びあふれた、
おお、その時。
世界を両手にささへながら、
私たちは二人は幸福でした。
私たちは二人は幸福でした。
眼には涙があったけれど。
・・・・・・ )
(詩集『海港』から)
◇◆◇◆◇
十月
小さな思ひを海におくる葉鶏頭(ペリウインクル)の葉から
かすかに燃える秋の日光・
泪(なみだ)する程ふりそそぐ日に、
さしぐむ心・サルビヤの花。
からむ常春蔦(きづた)・もつれる蔓(つる)・
大理石の十字架の白い素膚に、
彫まれた少女の聖名(なまへ)の上を、
囀(さへず)りすぎる空の小鳥・
寂しい金の四行の詩句・花環・甲虫・憩ふ赤蜻蛉・
それに帆船のとほざかる影。
アンナベルリイのよりそって居る山手公園の
東屋(アーバア)の椅子と、
低いシダアの枝の間をやっとぬける黒い子犬・
木の葉がとまる八角の屋根・弾(はず)まなくなったテニスの球・
何かの紅い実を集めては
それを目あてに投げる遊び。
走(か)け出す後に追いついて来て
芝生の中をころがる犬・
着物にのこる足跡の土をはらひながらに
叱る言葉・杳(はるか)な空の雲のかたち・
今日も左にめぐって居る、
ヴイラサクソニアの山の風車。
真門(まかど)の丘の木の間には
明るい海がよせる光・
足もとで鳴る草のすがれにをりをり切れる夢の話を、
またつぎ合はせて続けながら
静かに歩く夕方の人。
競馬の道の橡(とち)の落葉・何処(どこ)かの牧場で牛のなく声・
軽い馬車の走しるはづみ・
貴方(おまへ)の歌ふカルメンのハバネラ・
そして楽しく空に上げる秋の歌声・
秋の頌歌。
( 十月が二人の前に笑ひ、喜びあふれた、
おお、その時。
世界を両手にささへながら、
私たちは二人は幸福でした。
私たちは二人は幸福でした。
眼には涙があったけれど。
・・・・・・ )
(詩集『海港』から)
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熊田 精華(くまだ・せいか)
明治31年(1898年)、宇都宮市に生まれ、横浜市に人と成る。
上智大学を卒業。柳沢健、北村初雄と共に、「海港」にすぐ
れた作品をつらね、一挙にして世に知られた。
ある傾向をもつグループのなかで、その傾向を最も正直につ
きつめて、他に走ることの出来ない詩人。
その後、柳澤健らの編集する雑誌「詩王」に作品を発表して
いたが、大正期の詩作家たちと運命をともにして才華をかく
し、その後、詩壇の表面立った運動からは退いている。
(角川文庫「現代詩人全集」第3巻・村野四郎/解説から)