
◇◆◇◆◇
河口
船が錨(いかり)をおろす
船乗の心も錨をおろす
鴎が淡水(まみず)から 軋(きし)る帆索に挨拶する
魚がビルジの孔(あな)に寄ってくる
船長は潮風に染まった服を着換えて上陸する
夜が来ても街から帰らなくなる
もう船腹に牡蠣殻(かきがら)がいくつかふえたろう?
夕暮が濃くなるたびに
息子の水夫がひとり舳(へさき)に青いランプを灯す
(詩集『帆・ランプ・鴎』から)
◇◆◇◆◇ 汽車に乗って 汽車に乗って あいるらんどのような田舎へ行こう ひとびとが祭りの日傘をくるくるまわし 日が照りながら雨のふる あいるらんどのような田舎へゆこう 車窓(まど)に映った自分の顔を道ずれにして 湖水をわたり 隧道(とんねる)をくぐり 珍しい少女や牛の歩いている あいるらんどのような田舎へゆこう (詩集『幼年』から)
◇◆◇◆◇ 犀と獅子 犀(さい)が走っていた その背に獅子が乗り縋(すが)っていた 彼は噛(か)みついていた 血が噴き上がり 苦痛の頸(くび)をねじって 犀は天を仰いでいた 天は蒼くひっそりとしていた 昼間の月が浮かんでいた これは絵だった 遠く密林の国の一瞬の椿事だった だから風景は黙し 二頭の野獣の姿もそのままだった ただ しじまの中で 獅子は刻々殺そうとしていた 犀は永遠に死のうとしていた (『物象詩集』から)
◇◆◇◆◇ 未来へ 父が語った 御覧 この絵の中を 橇(そり)が疾く走っているのを 狼の群が追い駈(か)けているのを 馭者(ぎょしゃ)は必死でトナカイに鞭(むち)を当て 旅人はふり向いて荷物のかげから 休みなく銃を狙(ねら)っているのを いま 銃口から紅く火が閃(ひらめ)いたのを 息子が語った 一匹が仕止められて倒れたね ああ また一匹躍(おど)りかかったが それも血に染まってもんどり打った 夜だね 涯(はて)ない曠野(こうや)が雪に埋れている だが旅人は追いつかれないないだろうか? 橇はどこまで走ってゆくのだろう? 父が語った こうして夜の明けるまで 昨日の悔いの一つ一つを撃ち殺して 時間のように明日へ走るのさ やがて太陽が昇る路のゆくてに 未来の街はかがやいて現れる 御覧 丘の空がもう白みかけている (詩集『涙した神』から)
◇◆◇◆◇ 雪がつもる 雪がつもる 山の上の小さな学校で けさも始業の鐘が鳴る オルガンがひびき 子供達の 本を読むこえや 手を挙げるこえが かん高くきこえる そして しばらく しんとする ああ ああ しずかだ まったくしずかだ 木々が黙って それを聴いている 何処(どこ)か谷を隔てて遠くの 雪に埋れた根株や葉の蔭で 山々の兎や栗鼠(りす)達が 耳を立てて じっと それを聴いている (詩集『北国』から)
◇◆◇◆◇ 母の傘 お母さん あなたが亡くなられてから きょうで二十日目 山の村には侘(わび)しく 秋の雨がふっています その雨の中を あなたが形見として遺された あの小さな傘をさして 私は生活(たつき)のために出かけます 年寄られてから いつも外出には手から離し給わず はるばるとこのさびしい北の山国まで 死出の旅にさしてこられた 老人用の黒い絹張りの傘! お手製のふくろにしまわれた 少女のパラソルのように 柄の短いコウモリ傘! それを翳(かざ)せば 雨も私の頭と肩にはふらず 私はあなたと一緒にいるようです そのうえ 未だ私が子供で あなたが若かったむかしから 媼(おうな)となって ひっそりと暮らされるまで 終始 私達の気持に投げかけていた あの柔らかな慈愛の蔭にかくれるようで 私の胸はせつなく温まり 甘い思い出にうるむのです お母さん 私はいま この小さい傘の中から 現世にしぶく冷たい雨の脚を眺め 雨にけぶる遠い山の紅葉を眺めます (詩集『仙境』から)
◇◆◇◆◇ 北の春 どうだろう この沢鳴りの音は 山々の雪をあつめて 轟々(ごうごう)と谷にあふれて流れくだる この凄(すさま)じい水音は 緩(ゆる)みかけた雪の下から 一つ一つ木の枝がはね起きる それらは固い芽の珠をつけ 不敵な鞭(むち)のように 人の額を打つ やがて 山裾(やますそ)の林はうっすらと 緑いろに色付くだろう その中に 早くも 辛夷(こぶし)の白い花もひらくだろう 朝早く授業の始めに 一人の女の子が手を挙げた ――先生 燕がきました (詩集『仙境』から)
◇◆◇◆◇ 狼群 狼の群が旅人を追っていた 日没になると かれらは 野営の焚火(たきび)をとりまいて迫った 旅人は薪(まき)を投げて防いだが 朝になると 犬が一頭ずつ姿を消した 犬の仲間に紛(まぎ)れこんできた 犬とも狼とも見分かぬ獣達が しだいにその数を増してきた かれらは唸(うな)り 噛(か)み合い 牙を剥(む)いてぶつかり合い 橇(そり)はかれらに導かれ 曳(ひ)かれて 雪の曠野を走りつづけた ――犬はさらわれて狼になったろうか? ――狼は繋(つな)がれて犬になったろうか? ともあれ この思考は 私の頭を痛くする (詩集『花の芯』から)
◇◆◇◆◇ 丸山 薫(まるやま・かおる) 明治32年(1899年)、大分県に生れる。 幼少時は、父の転任に従って地方を転々としたが、冒険 小説を愛読し、中学時代にはキングスレイやスティヴン スンに熱中した。 高等学校に入ると唯美主義文学に惹かれ、ポーやワイル ド、潤一郎、春夫、朔太郎を耽読した。豊橋中学を卒え、 東京高等商船学校に入学したが、健康を害して退学。 志を転じて、三高より東大国文科に学び、再び中退する。 東大在学中、第9次「新思潮」に参加、のち「椎の木」 の同人となるにいたって新しい抒情詩の方向を辿る。 昭和7年、処女詩集「帆・ランプ・鴎」を刊行。昭和9年 堀辰雄、三好達治と「四季」を創刊する。詩集は他に「十 年」(昭和23年)、「仙境」(昭和23年)、「青春不在」(昭 和27年)などがある。 (角川文庫「現代詩人全集」第8巻・村野四郎/解説から)