
◇◆◇◆◇
乳母車
母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花(あじさい)いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり
時はたそがれ
母よ 私の乳母車(うばぐるま)を押せ
泣きぬれる夕陽にむかって
轔轔(りんりん)と私の乳母車を押せ
赤い総(ふさ)のある天鵞絨(びろうど)の帽子を
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり
淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知っている
この道は遠く遠くはてしない道
(詩集『測量船』から)
◇◆◇◆◇ 雪 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 (詩集『測量船』から)
◇◆◇◆◇ 甃(いし)のうえ あわれ花びらながれ おみなごに花びらながれ おみなごしめやかに語らいあゆみ うららかの跫(あし)音 空にながれ おりふしに瞳をあげて 翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり み寺の甍(いらか)みどりにうるおい 廂(ひさし)々に 風鐸(ふうたく)のすがたしずかなれば ひとりなる わが身の影をあゆまする甃のうえ (詩集『測量船』から)
◇◆◇◆◇ 蝉 蝉は鳴く 神さまが竜頭(ねじ)をお捲(ま)きになっただけ 蝉は忙しいのだ 夏が行ってしまわないうちに ぜんまいがすっかりほどけるように 蝉が鳴いている 私はそれを聞きながら つぎつぎに昔のことを思い出す それもおおかたは悲しいこと ああ これではいけない! (詩集『開花集』から)
◇◆◇◆◇ 村 鹿は角に麻縄をしばられて、暗い物置小屋に いれられていた。 何も見えないところで、 その青い眼はすみ、きちんと風雅に坐ってい た。 芋が一つころがっていた。 そとでは桜の花が散り、山の方から、ひとす じそれを自転車がしいていった。 背中を見せて少女は藪を眺めていた。 羽織の肩に、黒いリボンをとめて。 (詩集『測量船』から)
◇◆◇◆◇ 三好 達治 (みよし・たつじ) 明治33年(1900年)、大阪市に生まれる。 最初、軍人を志して幼年学校、士官学校に進んだが、途 中で放擲。京都の三高に入り、東大仏文科に学ぶ。 ここで梶井基次郎、丸山薫、小林秀雄、中島健蔵などを 知る。東大在学中、梶井を中心とする「青空」の同人と なって詩を発表。同時に、萩原朔太郎、室生犀星の詩に 親しみ、その影響を受けた。 昭和9年、堀辰雄、丸山薫と詩誌「四季」をおこす。そ の後、「四季」は昭和抒情詩の主流となり、昭和18年 まで続刊した。昭和5年、処女詩集「測量船」を上梓。 詩集は他に、「南窗」(昭和7年刊)、「開花集」(昭和9 年刊)、「朝菜集」(昭和18年)など。戦後では、「駱駝 にまたがって」(昭和27年刊)がある。昭和28年に芸術 院賞受賞。 (角川文庫「現代詩人全集」第8巻・村野四郎/解説から)