
◇◆◇◆◇
母
母って云うものは不思議な強迫感にも似た、
かなしいもので
私の意識の底ではいつも痛みを伴っている。
母はほんとに貝殻みたいにもろく、
こわれやすく
しかも母の影を負って生まれたことが、
私にはどうすることも出来ない。
つらい、なつかしい夢みたいなもので、
眼がさめてもいつまでも神経がおぼえている。
どこへ自由に行くことも出来はしない。
一寸動くとすぐこわれて、
とげのようにささる気がする。
実に痛い。どうすることも出来ない。
(詩集『グレンデルの母親』から)
◇◆◇◆◇ 夜 一日に一度ずつ色彩の無くなることは ほんとにいいことだ あすのあさ鮮らしく生れ出るのを こんなに待ちどおしくよろこぶ心を持っている私には この空間に在りと思われ まだ姿をあらわさぬわがひとよ その人が今私に見えないこともいいことだ 地球のまるみだけぼんやりみえるつめたい空気の中で 翼のない鳥のかたちの影をおとしながら ただひとりのあの樅の木が だんだん輝いてくるのを待っているように 新しい朝の光を待ちこがれている私には―― (『薔薇詩集』から)
◇◆◇◆◇ 夏終わる 今は、健康な九月に近い自分を感じる あらわな腕は地平線のように 靭(しな)やかに陽を吸いこんでいる 朝の草原で禾本科(かほんか)の草みたいに 満身に風をうけていると レースの衿(えり)ははたはたと頬にはばたいている 誰か窓に腰かけて青りんごを齧っているよ 道いっぱいの夕日の中に子供の椅子が置き忘れてある。 麦藁色にまぶしくかがやき、 その翳(かげ)は半透明にあおい あおい 遠くの屋根が片かげりして紫色の海のようだ。 女の子はそこに、忘られたすいさしの煙草みたいに あおむけに空をみている (詩集『グレンデルの母親』から)
◇◆◇◆◇ 雨フレバタマシイノ 雨フレバタマシイノ ウルミテ春ヲタダオモウ キヨイツメタイ暁ガ 次第ニアケテユクヨウナ ウツクシイ手品ガイマハジマル マダ来ヌ時間ノ豊富サヨ 私ハ小サイ種子ノヨウニ ヤサシイモノニタダコガレル 春ヲミタコトモナイヨウデ アア私ハ何ニ逢ウ 時クレバ私モ髪挿(カザシ)ニナルダロウ 或ハ花輪ニ編マレルダロウ 風ニユラメク樹々ノ上デ。 雨ニケムロウ梢ノサヤギ イマダ花ヲユルサヌ 一ト時ウツクシイ渇望ノスガタ ワタシノココロトソレガミエル (詩集『諸国の天女』から)
◇◆◇◆◇ めぐってくる五月には めぐってくる五月には 野ばらの匂いを身につけて ふたたび私もあたらしくなる さびしい別れに羽をたたんでいた扇を そっと一ひらずつひらきはじめ しずかなあけ方の雲の移りに やさしい目ざめの笛がきかれて 白く装ったこころの船出をかんじ かすかなきん色の炎が ちらちら燃えている青麦の中で 私の頬はけし色に染まってくる 夕ぐれのしめった樅の梢に 月と星とは見えない電波をかわし いまなつかしく まぼろしこそ私に力を与えると 見えぬ者に旗振ろう (『薔薇詩集』から)
◇◆◇◆◇ 永瀬 清子 (ながせ・きよこ) 明治39年(1906年)、岡山県に生れる。 愛知県第一高女、高等科英語部卒。女学校時代から詩作 をはじめ、佐藤惣之助の「詩の家」同人となり、さらに 北川冬彦らの第一次「時間」「磁場」「麺麭」などの同 人となった。 戦後、「日本未来派」に加入し、また昭和27年以来、 「黄薔薇」を主宰している。 詩集には、「グレンデルの母親」(昭和3年)、「諸国の天 女」(昭和14年)、「大いなる樹木」(昭和22年)、「焰に ついて」(昭和25年)、「薔薇詩集」(昭和33年)などがあ り、随筆集「糸針抄」その他がある。 アジア諸国会議出席のため、昭和30年にインドを旅行 した。農業に従事しながら詩作している。 (角川文庫「現代詩人全集」第5巻・伊藤信吉/解説から)