
◇◆◇◆◇ 港市の秋 石崖に、朝陽が射して 秋空は美しいかぎり。 むこうに見える港は、 蝸牛(かたつむり)の角でもあるのか 町では人々煙管(きせる)の掃除。 甍(いらか)は伸びをし 空は割れる。 役人の休み日――どてら姿だ。 『今度生まれたら・・・・』 海員が唄う。 『ぎーこたん、ばったりしょ・・・・』 狸婆々(たぬきばば)がうたう。 港の市(まち)の秋の日は、 大人しい発狂。 私はその日人生に、 椅子を失くした。 (詩集「山羊の歌」から)
◇◆◇◆◇ 冬の日の記憶 昼、寒い是の中で雀を手にとって 愛していた子供が、 夜になって、急に死んだ。 次の朝は霜が降った。 その子の兄が電報打ちに行った。 夜になっても、母親は泣いた。 父親は、遠洋航海していた。 雀はどうなったか、誰も知らなかった。 (詩集「在りし日の歌」から)
◇◆◇◆◇ 北の海 海にいるのは、 あれは人魚ではないのです。 海にいるのは、 あれは、浪ばかり。 曇った北海の空の下 浪はところどころ歯をむいて、 空を呪(のろ)っているのです。 いつはてるとも知れない呪。 海にいるのは、 あれは人魚ではないのです。 海にいるのは、 あれは、浪ばかり。 (詩集「在りし日の歌」から)
◇◆◇◆◇ 中原 中也 (なかはら・ちゅうや) 明治40年(1907年) ― 昭和12年(1937年)。山口市に生まれる。 東京外語専修科卒。中学時代に高橋新吉『ダダイスト新吉の詩』を 読んで、短歌から詩に転じ、上京。のち、小林秀雄、富永太郎等を 知る。 大正15年の詩「朝の歌」の頃からダダイズムを脱し、フランス象 徴派の詩人、とくにランボーやヴェルレーヌに傾倒した。 昭和4年、同人誌『白群』を河上徹太郎、大岡昇平等と創刊。 『紀元』『歴程』『四季』などの同人として詩を発表した。 昭和11年末ごろから健康を害し、療養に努めたが、翌12年10月 急性脳膜炎となり病没。 (角川文庫「現代詩人全集」第8巻・村野四郎/解説から)