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綻びの歌
百合(ゆり)は
神の思召しのままに石の中に
一輪の花をさかせてゆれていたが
とある日の貧しい私への
こよない贈物のように手折られて
渇いたこころの丁度まうえの
胸の小さな綻(ほころ)びの穴に挿されて旅をした
それからまた神の思召しのままに
まもなく百合の花はかれ
匂いも影もなくなったが
私のこころをかざった美しい死の
幻の花を永遠に挿すように
胸の綻びの穴だけがすこし大きくなっていた
(詩集『旅愁』から)
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夏の花嫁
野百合は歩けないので
裸の少女のようだ
きびしい陽の波にのって遊びにくる
やさしい天使達を待って日を暮す
夏の日と共に此の野に果てよという
神の声が恐いので
時折り伏目をかるのだが
誰もしらない
(詩集『旅情』から)
◇◆◇◆◇ 遠い太陽のように 想いはときに昼間のような 明るさの中に私を佇(たたず)ませる 私の影は菫色(すみれいろ)に細長く 寒い風に竪琴のように慄(ふる)えて鳴る しかし日向に面した片側で 私は言葉もなく幸福を捕らえている 危い地球のように 私の若い命が仄(ほの)かな光の中で廻っている 廻りながら月日をかぞえ むなしく昼と夜とを染め分けている こんな時私の言葉が哀しいのは たったひとつの太陽があまりに遠くあるからだ (詩集『旅愁』から)
◇◆◇◆◇ 蝶を追う あざみの花の群落に身をなげて 少年は蝶を捕る 蝶は死んで逝く 海盤車(ひとで)に似た少年の掌のなかで萎える花のように その翅粉を白い花粉に間違える 少年には 蝶も一輪の花なのだが (月日の中で智慧がすこしずつ少年の透明な 皮膚を染めてゆく) やがて忘却が夢みる掌から蝶を逃す 死んだ筈の蝶を、海のあちらへ遠く そのかげを見送りながら 少年は大人になる 何時しか胸の奥で 羽博いたり、掌のように祈ったりする 疲れて睡るものをかなしもうとも それが蝶だと誰が考えよう (詩集『旅愁』から)
◇◆◇◆◇ 銀木犀の花咲く小径 そこら一面匂いを撒きちらす この一本の贅(おご)りのような花の木 秋の滅びへの季節が来て せめてひとときの誇りのために生きている この一本の贅りのような匂いの木 このひそかな小径(こみち)を辿る人の眼を誘い 立ちどまれば 生命(いのち)のみちのりを想い出させる この一本の匂う花の木 (詩集『黄昏に』から)
◇◆◇◆◇ 野田 宇太郎(のだ・うたろう) 明治42年(1909年)、福岡県に生れる。 朝倉中学在学の頃から詩作をはじめ、久留米在住時代に は、詩誌「糧」「抒情詩」などを発行した。 昭和8年、「北の部屋」、10年には「音楽」「菫歌」 を、いずれも小部数の自家蔵版としてまとめた。17年 に処女詩集とも言える「旅愁」を上梓。 新古典主義的抒情詩人として、以上の詩集のほかに、久 留米時代の三詩集を集めた「すみれうた」(昭和21年)、 自選詩集「感情」(昭和21年)、「黄昏に」(昭和29年)な どがある。 定本「文学散歩全集」12巻をはじめ、「日本耽美派の 誕生」「瓦斯灯文学考」などの研究書を上梓するととも に、成城大学で近代文学史を講じた。 (角川文庫「現代詩人全集」第8巻・村野四郎/解説から)