
◇◆◇◆◇ 無為の世界の相について ながいあひだ私は寝ている。 何事もせず、何物も思はない、心の無為の世界は、 生き生きとして花のさかりの如く静かであった。 わたしは日頃から、眼に見えないものへ、 また形のないものへあこがれを抱いていたのであった。 この願ひはいつ果たされるともなく、 わたくしの前に白く燃え続けていた。 偶然にとらへられてその白く燃えている思念が、 この無為の世界のなかに此上もなくふさはしく 現れてきたのであった。 その時、心の「外へのよそほひ」は凡てとりさらわれ、 心は心みづからの真の姿にかへって、 ほがらかに動きはじめたのであった。 心は表面の影を失ひ、 内面の自由な動きの流れへ移ったのである。 わたくしは見知らぬ透明な路をあるいてゆくのである。 心のおもては閉ざされていて暗い。 けれど形よりはなれようとする絶えざる内心の窓は らうらうとして白日よりもなほ明らかである。 感情は青色の僧衣をきて、かたはらに佇んでおり、 たえず眠りの横ぶえを吹いてなぐさめているではないか。 (詩集「藍色の蟇」から)
◇◆◇◆◇ 春のかなしみ かなしみよ、 なんともいへない 深いふかい春のかなしみよ、 やせほそった幹に春はたうとうふうはりした生きもののかなしみをつけた。 のたりのたりした海原のはてしないとほくの方へゆくやうに ああ このとめどもない悔恨のかなしみよ、 温室のなかに長いもすそをひく草のやうに かなしみはよわよわしい頼り気をなびかしている。 空想の階段にうかぶ鳩の足どりに かなしみはだんだんに虚無の宮殿にちかよってゆく。 (詩集「藍色の蟇」から)