
◇◆◇◆◇
時雨(しぐれ)
圭よ たっしゃか。
よんべ あぜをあるいとったら ほたるがいっぴきおった。
わしはてのひらをはわした。
おみいはねぶかをみちきってきて
あなのなかへほたるをはいこました。
ねぶかのなかのあおいひをみて神戸のおっさんや というとったど。
おまえが夏こんなことをしておったのをおもいだして
わしはむねが一ぱいになった。
*
圭よ わしはおみいにはようようあいそうがついてしもうた。
よんべ ねやのなかで なんやごそごそするとおもうてじっと目をつぶって
かんがえとったらねしょうべんをしとるのや。
わしのきもののすそをそろそろひきだして
じぶんのせなかにあてて ぬれたふとんのうえにはしりをあてて
しらんふりしてねてしまうのや。
じぶんのからだのぬくみで朝までにかわかしてしまおうとおもうとるやね。
九つやそこらで こないひねくれてどうなるど
おまえはえんもゆかりもないこんな子をあずかってきて
なんでとしのよったわしにくろうさすのど。
この子についてのくろうは一つや二つではないのやど。
*
うれしいことには女の先生にとまってもらうことになった。
としは十九や。
よんべ おそうまでいろいろはなしした いっしょにねてもろうた。
とけいが一じをうったときに
「一じがぼーんとなった」
とわしはねごとをいうとったそうや。
けさ そないいうて先生はわらいこけてやった。
もうきりの葉がおちてしもうてさびしいと
おもうとるのににぎやかになってうれしいことや。
花がさいたようや。
*
柿をうってしもうた。うらのしらかべのほうをみるとさびしうなった。
先生はかきをおくってあげなさいといわれるが
おまえにはぜにのほうがよいやろとおもうたからぜにをおくる。
米がのうなった。それで早稲を一たんかった。
なりがわるうてしょうがない。
先生がたをひねってくれてやった。
わしがたんぼへでいるあいだ めしごしらえをしてをしてくれてやった。
こんなよい人はいない
おまえといっしょにしたらどれほどよいやろかとおもう。
*
あしたしばいがある。
ながいあいだあおぞらつづきであったのやから
あしたもひよりであればよいがなぁ とだれもいうておる。
きのう 先生におまえがおいていた花さしとおまえのしゃしんをあげた。
たいへんよろこんでやった。
それで きょう そのおれいやというて
おまえに毛糸のじばんをあんでやろうといてやった。
そして身のたけは何尺かとたずねてやった。
「五尺八寸です」
というとびっくりしてやった。そしてりっぱなからだやというて
にこにこして おまえのしゃしんをみとってやった。
圭よ よろこんでくれ。
*
きょう はじめてひこうきが あおぞらをとおった。
あれみいというて ゆびでおせてやるのに
おみいはおとだけで ひこうきはみえへんのや。
どうやら かたわのちかめらしい。
おまえもまつりの日だけはわすれまい。
まい年もどりよったのに今年はなぜもどらんのど。
わしはごちそうをして まちぼうけにおうてしもうた。
先生もこのあいだあげた花さしをだしてきて
きくの花をさしとってやった。
ほんまに みんなで 心まちにどれほどまっとったかわからんど。
なんでてがみを一ぺんもおこさんのど。
*
おまえにも なんべんも てがみでいうた あの女の先生がくにへいんでしもうてやった。
くにからてがみがきたのや。
よめいりしてのらしい。
「もう一日でもおって下さい」
というてなくと 先生も なんにもいわないで ないてばかりいてやった。
たった二タ月やそこらやったけんど。
二人いっしょにねおきしておったのやから情がうつるはずや。
そら いんでやったことについては わけがあるねやろ。
けれども そんなことをかんがえてもなににもならん。
わしはまた おみいと二人でさびしゅうなる。
おみいは このごろ ひよりがよいもんで まいにちまいにち
たんぼで とやまのくすりやからもろうたかみふうせんばっかりあげて
しごとをちょっともせん。
わしは もう あかんとおもう。
ひどい霜が菜をくてしもうた。
*
お母さん
もう 度々時雨(しぐれ)が渡るでしょう。
座敷の北の隅から二つ目の畳をあげておいて下さい。
すぐあげないと 雨が漏っていましたからすぐに腐ってしまいますよ。
時雨にぬれて風邪をひかぬように気をつけて下さい。
(詩集『たんぽぽ』から)
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春
おかんはたった一人
峠田のてっぺんで鍬(くわ)にもたれ
大きな空に
小ちゃいからだを
ぴょっくり浮かして
空いっぱいになく雲雀(ひばり)の声を
じっと聞いているやろで
里の方で牛がないたら
じっと余韻(ひびき)に耳をかたむけているやろで
大きい 美しい
春がまわってくるたんびに
おかんの年がよるのが
目に見えるようで かなしい
おかんがみたい
(詩集『たんぽぽ』から)
◇◆◇◆◇
たんぽぽ
圭よ たっしゃか
つめとうなって あさ こおりをわって
ちょうずつかうのがつろうてならん
おみいを子もりにやろうとおもうが
おまえはどうおもうど
こない大きいもんをあそばしといたらもったいない
はよう返事をくれ
*
先月の五日に おみいは子もりに行た
月八円のわりや
これで うちのくらしもらくになった
わしもげんきがでてまいにちはたらいとるど
おまえも からだをたっしゃにしてよう働いてくれ
このごろのくらしむきはどうど
きものがほしかったら おくるからいうておこせ
*
もうはやから大池へかいつぶりがわたってきたといやい
こおりもとけてしもうたから ひばりもじきにくるやろ
ひばりのこえきいたら せわしゅうなってむねがつまる
わしは ひよりのよい日には むぎ田へでよる
おみいがおらんから とうげ田へ一人いくとさびしいわ
*
圭よ わしは おみいにはようよう あいそがついてしもうた
おみいはもどされてきた
おみいのあほうめが ごりょうにんさんのモスのおこしをぬすんで
じぶんがしとったんやといやい
こんな どとぼけがどうなるど
らいげつのついたちに わしが行てあやまってこうとおもうとる
おまえはどないおもうのど
一ぺんぐらいてがみおこせ
わしがこない くろうするのも おまえがえんもゆかりもない
こんな子をあずかってくるさかいじゃ
*
ついたちの日 つらいおもいで あやまりにいた
それで またおみいもげんきよう子もりにいた
わしは きんの れんげ田のなかではちにさされた
それで目がはれて ひだりのほうはふさがってしもうた
まいにちまいにちおまえのことをおもわん日とてない
まいあさ 大阪のほうをむいて おひいさんをおがみよる
*
うちの したん田でひばりが子うんだ
一日一日大きくなりよる
わしは まいにちこれをみにいくのがたのしみや
がっこうのせいとが みつけへんかとおもうてしんぱいや
おみいとこの ご主人が大びょうでねとってや
たまごがでけたら それをもって みまいに行こうとおもうとるが
にわとりは たまごうまへんし
わしは きがあせるいっぽうや
これもおみいのためや
ゆわば おまえのためや
なんべんもいうたことやが おまえが えんもゆかりもないこんな子を
あずかってきたさかいや
*
えらいことがわいてきた
おみいとこの ご主人がしんでしもうてやった
そのとき また おみいが ぶちょうほうしたのや
まだしんどってやないのに しんどってやとおもうて
おみいのどあほめが なまんだなまんだ よいほとけになりなはれよ
いうて 目をなでて 目をつぶらしてあげようとしたんやとい
ほっといたらそれでよいのに どあほめがのう
ご主人はどえらいおこって 死んどらんばかめが いうて
くすりびんを ぶちつけてやったんやとい
おみいのかおにいまでも きずがついとる
わしのしんちゅうを さっしてみてくれ
わしは あなへでもはいりたい
どあほにつけるくすりがない とはこのこっちゃ
わしがこない くろうしとるのに なんでてがみを 一ぺんもおこさんのど
*
もうどうにもしょうがないわ
おみいのがきが またもどされてきた
わしははらがたついっぽうや
一つわるいことがおこったら なんぼでもわるいことがでけてくる
わしのたのしみのたのしみの ひばりの子をだれやらがぬすんでしまいやがった
がっこのせいとやろとおもうのや
もうだれやってもかまへんわ
もうどないなろとかまへん
圭よ なるようにかなるもんかい のう
*
圭よ もう どえらいことがわいてきたがい
わしは こんなつらい はらのたつめをみるのなら しんだほうがましや
おみいのどあほめが 子をはらみやがったど
さあ おまえはどないするのど
えんもゆかりもないおみいの子をどないするのど
どこの だれそれの子かは わしには わかっとる
けんど わしは そないな あほうなことをいうてよういかん
おとこより おみいのどあほめがわるいのや
こんな どあほめが よのなかにあるやろか
圭よ おまえは どないするつもりど
わしは もう なんにもしらんど
わしはしんだほうがましじゃ
にしのかきの木をみたら くびつろかおもうこともあるわ
*
おみいはそのまま家においてやって下さい
どこまでも私が後をみます
おみいもお母さんも苦しんでおられましょう
が私も工場からかえってからも いろいろ仕事があって
手紙をかけませんでした
先日工場でジー・エム・シーのスプリングという十七貫ほどの
鉄の棒が足の甲に落ちてきて
骨がくだけて 今病院にいます
会社の病院を出てからでも一月ばかり仕事ができません
それで どうしても金が十円ばかりいりますので
ここ半カ月ばかりのうちに送って下さい。
後できっと返します
おみいのことは くれぐれもひきうけました
さようなら
*
おまえが びょういん はいっとるのをよんで
おみいとわしは なきぐらしや
けんど わしは 大阪へひとりでよういかん
はようこっちもどってこい
なんにも そないな あむないかいしゃにおらんでもよいわ
そないな あむないしごとをして
ひょっとよか ちんをくれんような かいしゃが どうなるど
おみいとわしがまっとるさかい はようもどれ
うちのほうでは もう たんぽぽもさいとる
そないな いきうまの目をくりぬくような 大阪がどうなるど
(季刊『コスモス』から)
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坂本 遼(さかもと・りょう)
明治37年(1904年)、兵庫県に生まれる。朝日新聞社に
勤務し、社会部、学芸部、論説委員などを経て退社した。
草野心平らの「銅鑼」および「先駆」同人となって作品
を発表。著作には、詩集「たんぽぽ」(昭和2年)のほか、
小説集「百姓の話」などがあが、小説もまた散文詩風で
ある。
「たんぽぽ」の作品は、播磨地方の方言を農民的感覚の
裏づけによって生かしたもので、作品全体に農民的な、
ややアナーキスティックな情操が感じられる。
その後、児童詩や綴り方運動に努力し、大阪で竹中郁と
ともに、雑誌「きりん」を永い年月にわたって経営して
いる。この方面の著作に「こどもの詩・綴り方」その他
がある。
(角川文庫「現代詩人全集」第5巻・伊藤信吉/解説から)