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立原 道造

(たちはら・みちぞう)


その1: はじめてのものに

その2: わかれる昼に

その3: のちのおもいに

メモ: 作者紹介

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詩人インデクス


 ◇◆◇◆◇ 


          はじめてのものに


      ささやかな地異は そのかたみに
      灰を降らした この村に ひとしきり
      灰はかなしい追憶のように 音立てて
      樹木の梢(こずえ)に 家々の屋根に 降りしきった

      その夜 月は明るかったが 私はひとと
      窓に凭(もた)れて語りあった
       (この窓からは山の姿が見えた)
      部屋の隅々に 峡谷のように 光と
      よくひびく笑い声が溢(あふ)れていた

      ――人の心を知ることは  ・・・人の心とは・・・
      私は そのひとが蛾(が)を追う手つきを あれは蛾を
      把(とら)えようとするのだろうか 何かいぶかしかった
      いかな日にみねに灰の煙の立ち初(そ)めたか
      火の山の物語と ・・・また幾夜さかは 果たして夢に
      その夜習ったエリザベートの物語を織った

                    

 

 ◇◆◇◆◇ 


          わかれる昼に


      ひさぶれ 青い梢(こずえ)を
      もぎとれ 青い木の実を
      ひとよ 昼はとおく澄みわたるので
      私のかえって行く故里が どこかにとおくあるようだ
      
      何もみな うっとりと今は親切にしてくれる
      追憶よりも淡く すこしもちがわない静かさで
      単調な 浮雲と風のもつれあいも
      きのうの私のうたっていたままに

      弱い心を 投げあげろ
      噛(か)みすてた青くさい核(たね)を放るように
      ゆさぶれ ゆさぶれ 
      ひとよ
      いろいろなものがやさしく見いるので
      唇を噛んで 私は憤ることが出来ないようだ



 

 ◇◆◇◆◇ 


          のちのおもいに


      夢はいつもかえって行った 山の麓(ふもと)のさびしい村に
      水引草に風が立ち
      草ひばりのうたいやまない
      しずまりかえった午(ひる)さがりの林道を

      うららかに青い空には陽がてり 火山は眠っていた
      ―――そして私は
      見て来たものを 島々を 波を 岬を日光月光
      だれもきいていないと知りながら 語りつづけた・・・
      夢は そのさきには もうゆかない
      なにもかも 忘れ果てようとおもい
      忘れつくしたことさえ 忘れてしまったときには
      夢は 真冬の追憶のうちに凍るであろう
      そして それは戸をあけて 寂寥(せきりょう)のなかに
      星くずにてらさた道を過ぎ去るであろう


              (以上、詩集「萱草に寄す」、同期未刊詩篇より)


 

 ◇◆◇◆◇ 


          立原 道造 (たちはら・みちぞう)


   大正3年(1914年) ― 昭和14年(1939年)。東京日本橋に生まれる。
   東大建築科卒。一高在学中から堀辰雄に師事して詩作をつづける。
   寺田透、杉浦明平らと同人詩『未成年』を出版した。
   堀辰雄、三好達治らの「四季」創刊の際、その同人となり、四季派の
   代表的詩人の一人として活動。
   昭和12年、大学卒業と同時に建築事務所に勤務したが、結核のため、
   信州追分に遊んだ。
   同年5月、第一詩集『萱草に寄す』を、続いて12月に『暁と夕の詩』
   を刊行する。
   翌13年、東京市療養所に入院。この年、第1回「中原中也賞」を
   受賞。14年3月、同療養所にて逝去。26歳。

   (角川文庫「現代詩人全集」第8巻・村野四郎/解説から)






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更新 13/10/01