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冬が来る
冬が来る
寒い、鋭い、強い、透明な冬が来る
ほら、又ろろろんとひびいた
連発銃の音
泣いても泣いても張りがある
つめたい夜明の霜のこころ
不思議な生をつくづくと考へれば
ふと角兵衛が逆立ちをする
私の愛を愛といってしまふのは止さう
も少し修道的で、も少し自由だ
冬が来る、冬が来る
魂をとどろかして、あの強い、鋭い、
力の権化の冬が来る
(詩集『道程』から)
◇◆◇◆◇ 冬が来た きっぱりと冬が来た 八つ手の白い花も消え 公孫樹(いちょう)の木も箒(ほうき)になった きりきりともみ込むやうな冬が来た 人にいやがられる冬 草木に背(そむ)かれ、虫類に逃げられる冬が来た 冬よ 僕に来い、僕に来い 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ しみ透れ、つきぬけ 火事を出せ、雪で埋めろ 刃物のやうな冬が来た (詩集『道程』から)
◇◆◇◆◇ 道程 僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る ああ、自然よ 父よ 僕を一人立ちにさせた広大な父よ 僕から目を離さないで守る事をせよ 常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ この遠い道程のため この遠い道程のため (詩集『道程』から)
◇◆◇◆◇ 葱 立川の友達から届いた葱は、 長さ二尺の白根を横たへて ぐっすりアトリエに寝込んでいる。 三多摩平野をかけめぐる 風の申し子、冬の精鋭。 俵を敷いた大胆不敵な葱を見ると、 ちきしょう、 造形なんて影がうすいぞ。 友がくれた一束の葱に 俺が感謝するのはその抽象無視だ。 (詩集『道程・以後』から)
◇◆◇◆◇ レモン哀歌 そんなにもあなたはレモンを待っていた かなしく白いあかるい死の床で わたしの手からとった一つのレモンを あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ トパアズいろの香気が立つ その数滴の天のものなるレモンの汁は ぱっとあなたの意識を正常にした あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ わたしの手を握るあなたの力の健康さよ あなたの咽喉に嵐はあるが かういふ命の瀬戸ぎはに 智惠子はもとの智惠子となり 生涯の愛を一瞬にかたむけた それからひと時 昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして あなたの機関はそれなり止まった 写真の前に挿した桜の花かげに すずしく光るレモンを今日も置かう (詩集『智惠子抄』から)
◇◆◇◆◇ 高村 光太郎 (たかむら・こうたろう) 明治16年(1883年)、東京都に生れる。 東京美術学校彫刻科卒。父光雲が著名な木彫家であった ため幼年時代から彫刻家たるべく教育され、生涯にわた って詩と美術との両面の仕事をした。 明治39年から42年にかけてアメリカ、イギリス、フ ランス各地を巡遊、近代彫刻について学んだ。 帰国後は、「明星」その他の諸雑誌に詩ならびに美術評 論を発表。ヨーロッパの詩・文学・芸術に関する翻訳、 紹介も多い。総じて、モラリストとして生涯を送ったが 太平洋戦争中は、積極的に戦争詩を作り、敗戦と同時に 岩手の山にこもって七年間にわたり独居自炊の生活をし た。 著書は、詩集に「道程」(大正3年)、「智惠子抄」(昭和 16年)、「典型」(昭和25年)その他があり、美術評論「 美について」(昭和16年)、「造形美論」(昭和17年)のほ か、翻訳「ロダンの言葉」(大正5年)、「続ロダンの言 葉」(大正9年)などがある。 (角川文庫「現代詩人全集」第4巻・伊藤信吉/解説から)