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山村 暮鳥

(やまむら・ぼちょう)


その1: 風景

その2: 自分はさみしく考へてゐる

その3: 自分はいまこそ言はう

その4: 朝

その5: 雲

メモ: 作者紹介

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詩人インデクス


 ◇◆◇◆◇ 

       風景


     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     かすかなるむぎぶえ
     いちめんのなのはな


     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     ひばりのおしゃべり
     いちめんのなのはな


     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     やめるはひるのつき
     いちめんのなのはな

          (詩集『聖三稜玻璃』から)

 

 ◇◆◇◆◇ 

       自分はさみしく考へてゐる


       ひとびとを喜ばすのは善いことである
     自分を喜ばすのは更に善いことである
     ひとびとをよろこばすことは
     或いは出来るかも知れぬ
     自分をよろこばすことは大切であるが容易でない
     物といふあらゆる物の正しさ
     みなその位置を正しく占めてゐる秋の一日
     すつきりと冴えた此の手よ
     痩せほそった指指よ
     こんなことを自分はひとり考へてゐる
     なんといふさみしい自分の陰影(かげ)であらう

                (詩集『風は草木にささやいた』から)

 

 ◇◆◇◆◇

           自分はいまこそ言はう


       なんであんなにいそぐのだらう
     どこまでゆかうとするのだらう
     どこで此の道がつきるのだらう
     此の生の一本みちがどこかでつきたら
     人間はそこでどうなるだらう
     おお此の道はどこまでも人間とともにつきないのではないか
     谿間(たにま)をながれる泉のやうに
     自分はいまこそ言はう
     人生はのろさにあれ
     のろのろと蝸牛(ででむし)のやうであれ
     そしてやすまず
     一生に二どと通らぬみちなのだからつつしんで
     自分は行かうと思ふと

                (詩集『風は草木にささやいた』から)

 

 ◇◆◇◆◇

        


       なんといふ麗(うらら)かな朝だらうよ
     娘達の一塊(ひとかたまり)がみちばたで
     たちばなししてゐる
     うれしさうにわらつてゐる
     そこだけが馬鹿に明るい
     だれもかれもそこをとほるのが
     まぶしさうにみえる

            (詩集『雲』から)

 

 ◇◆◇◆◇

           


     おうい 雲よ

     ゆうゆうと

     ばかに のんきさうぢやないか

     どこまで ゆくんだ

     ずつと 磐城平(いわきだいら)のほうまで

     ゆくんか

               (詩集『雲』から)
 

 ◇◆◇◆◇ 


          山村 暮鳥 (やまむら・ぼちょう)


   明治17年(1844年)−大正13年(1924年)。
   群馬県に生まる。本名は木暮八九十。
   東京築地聖31学校卒。日露戦争に際し、戦時補充兵
   として11カ月ばかり満州にあった。帰国後、作詩を
   はじめ、明治45年あたりから盛んに作品を発表し、
   詩集「三人の処女」(大正2年)、「聖三稜玻璃」(大正
   4年)を出した。
  
   この当時の作品はイマジズム風の特異な詩で、萩原朔
   太郎はこれを「日本における未来派の詩」と呼んだ。
   大正3年に室生犀星、萩原朔太郎と「卓上噴水」を出
   し、その後身である「感情」に参加した。

   第三詩集「風は草木にささやいた」(大正7年)から、
   人道的詩風に一転し、「梢の巣にて」(大正10年)、そ
   の他を出した。さらに、自然に同化したような枯淡な
   心境に没入して「雲」(死後、大正14年)の詩をつくっ
   た。

   25歳のときから伝道師となって、秋田・仙台・水戸
   その他に赴任。生活的に困苦の生涯であったが、その
   中から詩集のほか、童謡集・童話集・翻訳・小説・随
   筆など数多くの著作を残した。

   (角川文庫「現代詩人全集」第2巻・伊藤信吉/解説から)


 


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更新 06/03/01