
◇◆◇◆◇ 来意 もしもの話この僕が お宅の娘を見たさに来たのであったなら おばさんあなたはなんとおっしゃるか もしもそれゆえはるばると 旗ケ岡には来るのであると申すなら なおさらなんとおっしゃるか もしもの話この話 もしもの話がもしものこと 真実だったらおばさんあなたはなんとおっしゃるか きれいに咲いたあの娘 きれいに咲いたその娘 真実みないでこの僕がこんなにゆっくりお茶をのむもんか (彌生書房・世界の詩60『山之口貘詩集』から)
◇◆◇◆◇ 妹へおくる手紙 なんという妹なんだろう 兄さんはきっと成功なさると 信じています とか 兄さんはいま東京のどこに いるのでしょう とか ひとづてによこしたその音信(たより)のなかに 妹の眼をかんじながら 僕もまた 六、七年振りに手紙を 書こうとはするのです この兄さんは 成功しょうかどうしょうか 結婚でもしたいと思うのです そんなことは書けないのです 東京にいて兄さんは犬のように ものほしげな顔しています そんなことも書かないのです 兄さんは 住所不定なのです とはますます書けないのです 如実的な一切を書けなくなって といつめられているかのように 身動きも出来なくなってしまい 満身の力をこめて やっとのおもいで書いたのです ミナゲンキカ と 書いたのです (彌生書房・世界の詩60『山之口貘詩集』から)
◇◆◇◆◇ 大儀 躓(つまづ)いたら転んでいたいのである する話も咽喉の都合で話していたいのである また 久し振りの友人でも短か振りの友人でも誰とでも 逢えば直ぐに さよならを先に言うて置きたいのである あるいは 食べたその後は 口も拭かないで ぼんやりとしていたいのである すべて おもうだけですませて 頭からふとんを被って 沈澱していたいのである 言いかえると 空でも被って 側には海でもひろげて置いて 人生か何かを尻に敷いて 膝頭を抱いてその上に顎(あご)をのせて 背中をまるめていたいのである (彌生書房・世界の詩60『山之口貘詩集』から)
◇◆◇◆◇ 世はさまざま 人は米を食っている ぼくとおなじ名の 貘という獣は 夢を食うという 羊は紙も食い 南京虫は血を吸いにくる 人にはまた 人を食いに来る人や人を食いに出掛ける人もある そうかとおもうと琉球には うむまあ木という木がある 木としての器量はよくないが詩人みたいな木なんだ いつも墓場に立っていて そこに来ては泣きくずれる かなしい声や涙で育つという うむまあという風変わりな木もある (彌生書房・世界の詩60『山之口貘詩集』から)
◇◆◇◆◇ ねずみ 生死の生をほっぽり出して ねずみが一匹浮彫みたいに 往来のまんなかにもりあがっていた まもなくねずみはひらたくなった いろんな 車輪が すべって来ては あいろんみたいにねずみをのした ねずみはだんだんひらたくなった ひらたくなるにしたがって ねずみは ねずみ一匹の ねずみでもなければ一匹でもなくなって その死の影すら消え果てた ある日往来に来て見ると ひらたい物が一枚 陽にたたかれて反っていた (『歴程詩集』から)
◇◆◇◆◇ 山之口 貘 (やまのぐち・ばく) 明治36年(1903年)、沖縄に生まる。本名は山口重三 郎。 沖縄県立一中に学び、在学中より詩作をはじめた。大 正11年に上京したが、家業の倒産で送金が絶え、永 いあいだ放浪生活を送ることになった。 この間、書籍問屋・暖房屋・お灸屋・汲取屋・ダルマ 船生活など、さまざまな職業を転々としたが、詩作を 続け、昭和6年、「改造」に「夢の後」「発声」の二 篇をはじめて発表する。 その後は、「文芸」「中央公論」その他に、数多くの 作品を発表している。 昭和14年から敗戦まで官吏生活を送る。 詩集は、「思弁の苑」(昭和13年)、「山之口貘詩集」 (昭和15年)、「定本山之口貘詩集」(昭和33年)がある。 (角川文庫「現代詩人全集」第6巻・伊藤信吉/解説から)