
◇◆◇◆◇ burst 花ひらく 事務は 少しの誤りも停滞もなく 塵もたまらず ひそやかに 進行しつづけた。 三十年。 永年勤続表彰式の席上。 雇主の長々しい賛辞を受けていた 従業員の中の一人が 蒼白な顔で 突然 叫んだ。 ――諸君! 魂のはなしをしましょう 魂のはなしを! なんという長い間 ぼくらは 魂のはなしをしなかったんだろう―― 同僚たちの困惑の足下に どっとばかり彼は倒れた。 つめたい汗をふいて。 発狂 花ひらく。 ――又しても 同じ夢。 (詩集『消息』より)
◇◆◇◆◇ 夕焼け いつものことだが 電車は満員だった。 そして いつものことだが 若者と娘が腰をおろし としよりが立っていた。 うつむいていた娘が立って としよりに席をゆずった。 そそくさととしよりが坐った。 礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。 娘は座った。 別のとしよりが娘の前に 横あいから押されてきた。 娘はうつむいた。 しかし 又立って 席を そのとしよりにゆずった。 としよりは次の駅で礼を言って降りた。 娘は坐った。 二度あることは と言う通り 別のとしよりが娘の前に 押し出された。 可哀想に 娘はうつむいて そして今度は席を立たなかった。 次の駅も 次の駅も 下唇をキュッと噛んで 身体をこわばらせて――。 僕は電車を降りた。 固くなってうつむいて 娘はどこまで行ったろう。 やさしい心の持主は いつでもどこでも われにもあらず受難者となる。 何故って やさしい心の持ち主は 他人のつらさを自分のつらさのように 感じるから。 やさしい心に責められながら 娘はどこまでゆけるだろう。 下唇を噛んで つらい気持で 美しい夕焼けも見ないで。 (詩集『幻・方法』より)
◇◆◇◆◇ 記録 首切案の出た当日。 事務所では、いつに変わらぬ談笑が声高に咲いていた。 さりげない その無反応を僕はひそかに あやしんだが 実はその必要もなかったのだ。 翌日、出勤はぐんと早まり 僕は 遅刻者のように捺印した。 ストは挫折した。 小の虫は首刎(は)ねられ、 残った者は見通しの確かさを口にした。 野辺で、牛の密殺されるのを見た。 尺余のメスが心臓を突き、 鉄槌が脳天を割ると、 牛は敢えなく膝を折った。 素早く腹が裂かれ、鮮血がたっぷり、 若草を浸したとき、 牛の尻の穴から先を争って逃げ出す無数の寄生虫を 目撃した。 生き残ったつもりでいた。 (詩集『消息』より)
◇◆◇◆◇ さよなら 割れた皿を捨てたとき ふたつのかけらは 互いにかるく触れあって 涼しい声で さよならをした。 目には侘しく 耳には涼しいさよならが 思いがけなく 身に沁みた。 ちょっとした皿だった。 鮎が一匹泳いでいる。 美しくない皿だった。 ごく ちょっとした皿だったけれど 自分とさよならするのは たいした出来事だったに違いない。 皿のもろさは 皿の息苦しさだったに違いない。 ちょっとした道具だったけれど 皿は 自分とさよならをした。 ついでに 僕にも 涼しいさよなら聞かしてくれた。 さよなら! 人間の告別式は仰山だった。 社内きっての有能社員に ゆらめくあかりと たくさんの花環と むっとする人いきれと 数々の悼辞が捧げられた。 悼辞はほめかたを知らないように どれもみな同じだった。 ――君は有能な道具だつた ――有能な道具 ――道具 ――具 遺族たちは 嬉しさと一緒にすすり泣き 会葬者は もらい泣き 花環たちも しおれた。 ききわけのよい ちょっとした道具だった。 ちょっとした道具だったけれど 黒枠の人は 死ぬ前に 道具と さよなら したかしら。 (詩集『消息』より)
◇◆◇◆◇ 或る位置 樹の位置――それは 偶然が決めたものだろう。 樹高、幹周り、枝の張りかた――それは 樹自身が決めたものだろう。 地上からは見えない根の 緻密な土の抱きかたも。 ある位置に 同意したのではない。 同意するより先に 浅い根はまず土を掴(つか)まねばならなかった。 その樹に私は尋ねる。 偶然が決めた君の位置を 君はどのように受け入れたか? 樹から答は返ってこない。 過ぎた歳月を すべて樹形で語り 来歴の総量だけで立ち それ以外を語らない樹。 (剛直で気むづかしい幹、しかし梢では 風や光と遊ぶ賑やかな葉のきらめき) ――反歌 枝を伸べ根を深めつつ己が位置 うべないゆくや樹々の明け暮れ (詩集『陽を浴びて』より)