つぶたま
Last Update 2003/11/06

憲法9条改正?


憲法9条改正?〜憲法とは、どんな法律なのか
2003年11月01日(土)




 今回の選挙において、一応の争点になってるらしい、憲法改正、厳密には、憲法9条改正について。


 まず、9条とは別に、改正一般の話・・・というよりも、今回は「憲法」についてのお話。



 ものすごい、大きな誤解が世の中にはある。

 憲法を国民に対する命令と誤解している人が多いということである。

 そうではない、憲法とは、「国に対する命令」である。


 一般的には、法律のイメージとして、刑法のイメージが強すぎるため、「人を殺してはいけない」と命令する刑法と同じように憲法を捉えてしまうのだろう。
 だから、憲法も、国民に対して、「人権を守るべきだ!」と述べている、と。



 だが、それは大きな間違いだ。
 憲法は、国家に対する命令なのである。

 憲法とは、国家の権力を抑制されるために生まれた装置だ。歴史的には、国王が無茶な請求を国民にするのを、出来る限り止める、そのために生まれたのが憲法なのである。
 国王がいなくなった場合であっても、「権力」は止まらないのが通常だ。だからこそ、常に、国家権力にブレーキをかけるための装置が必要となる。その中心に位置するものが憲法なのだ。


  「国民の人権を守りなさい」「国民の人権を侵害してはいけない」と国家に命令するのが憲法なのである。なので、一般的に、「僕」が「あなた」の人権を侵害しても、それは憲法違反とはならない(刑法や民法上違法になることはあるけど)。
 また、したがって、憲法を改正して「国民の義務」を明記しようとか言っている人もいるが、それは、あまりにナンセンスな主張だ。「国民の義務」は国民への命令であって、憲法の守備範囲外の話だからである(「権利には義務が伴うべき」という主張がナンセンスだと言っているわけではない。憲法にそれを明記することがナンセンスだと言っていることを誤解なきよう)。

 ちなみに、勤労の義務、納税の義務などが憲法上は書かれているが、あれは、「注意規定」と言って、特段憲法上の意味はないとされている(詳細に述べれば全く無意味というのではないが、話の逸脱が激しいので、ここまで)。



 ついでに言うと、「法の支配」「法治主義」と言う時、一般的なレベルでは、「法治主義の日本では、法律があるのだから、泥棒は認められない」という言い方をされることが多い。

 ただ、法律の専門用語としては、これは意味が違う。
 上記のように、憲法が国家の権力を抑制する装置であることから、法学の世界では、法治主義、法の支配ともに、「法律によって、国家権力を統制する必要がある」という概念とされている。


注)専門用語と一般用語で使い方が違う場合、一般用語の使い方が間違っていると言うつもりもない。言語は「慣用」に中心があるわけだから、その慣用が根付いている以上は、その慣用も意味も正しいと捉えるべきであろう。


注)おまけとして、法律用語と一般用語で違う使い方をする有名なものに、「確信犯」という言葉がある。一般用語としては、「自分は悪いことをしていることをわかって、悪いことをする」という意味で使うが、法律用語では「自分は正しいことを確信して、法に違反することをする」ことを意味する。「一般用語の確信犯」は、法律用語的には、むしろ「故意犯」に近いと言える。


 と、一向に9条の話に辿り着かないのだが、とりあえず、以下の結論を押さえておいて欲しい。「憲法は、国民の権利を保護するために、国家権力を抑制するための法律である」。

 そして、本論には、辿り着かないまま、今回はここまで(^^;)。




憲法改正?〜憲法は誰が作ったのか?
2003年11月02日(日)


 なんだか、小泉首相(&自民党の大半?)は憲法9条を改正したくてしょうがないらしい。


 とにもかくにも、憲法を改正するという話が出る時に、僕が、それだけはダメだろうと思うのは、「アメリカが作ったからだ」という理由だ。

 そういう人達に聞きたい。それならば、誰が作ったら、満足をするのか?。自分が作らないと満足しないのではないのか?。


 憲法は、システムだ。国家権力から国民を守るためのシステムである。
 誰が作ったのかではなく、その憲法自身を見るべきだ。憲法自身がシステムとして、どのような実質を備えているのかを論じなければならないのだ。


 「法とは手続である」というデュープロセス的な考え方から言えば、憲法を支える正統性が一切要らないというわけではないが、だとしても、約50年間機能し続けてきた憲法ということで、その正統性は認められると考えるのが合理的であるし、そのような合理性が理解できない人間ばかりであるなら、憲法の改正を論じるべきではないと僕は考えている。「合理的装置」たる憲法が「合理的に機能しているかどうか」を論じるには、感情論で憲法を論じられても合理的な判断がなしえないからである(感情論が全ていけないというわけではない。感情論で憲法改正を論じるのはダメだと言っているのである)。


 誤解されても困るが、50年間機能し続けてきたから、改正の必要がないということではない。改正の必要があるか否かは、憲法の条文がいかなるものとして機能しているかを論じるべきであって、アメリカが作ったからという今となってはどうでも良いことを理由にしてはいけないのだということだ。それを理由にするつもりであるなら、「俺が作ったわけじゃないからダメ」という理論すら認めていくことになりかねない。


 憲法には、憲法の歴史があり、日本の憲法自体は、過去の数々の国々の憲法の歴史を踏まえた、(それなりに)よくできた憲法であり、アメリカが作ったから、という理由で退けて良いような憲法ではない。そもそも、改正規定が存在している以上、50年間改正されていない時点で、正統性は保たれていると考えられるのだ(日本国憲法の制定には、「アメリカ人が作った」というより、アメリカの監修のもと、多くの日本人が関わって作ったのだが、むしろ、そんなことすらどうでもいいという風に考えるべきだろう。正統性自体をそもそも論じる合理性が薄い、ということの方が重要だということは付け加えておく)。

 憲法はアメリカが作ったというよりも、歴史が作ったのである。今日の結論。「誰が作ったのかは問題ではない、論じるべきは、現在の憲法の姿が、現実に、どこが良く、どこが悪いかである」。


 とりあえず、オプションとなる議論の方から片付けているため、いきなり脱線気味だが、今日も、ここで終わる。本論は次回(たぶん(笑))。


 暇な人、もっと考えたい人は、こちらもクリックして読んでみてください

 反論、自分なりの思い・考えなどもあれば、メールフォームとかからメールをください。たぶん、あなたの、そのメールは、僕にとって、何か考えを発展させるきっかけになるはずですので。

 今日はここまで。



憲法9条改正?〜9条改正は、何のため?
2003年11月04日(火)

 はっきり言って、ノリノリに軍隊作りたい小泉君率いる自民党に、今回投票するのはマズイだろ・・・(小声)


 右翼・左翼の話で、近い話を書いたが、現在、一番多い日本に溢れる短絡は「強くなりたい」だ。


 少なくとも小泉を中心とした改正論の根底にあるのは、ドラゴンボールの悟空のような子供じみた「オラ、強くなりてぇ」という意識としか思えない。スカウターの数値を上げたくてしょうがないという、それだけだ。


 昭和の左翼的短絡「平和が良いよね、暴力は良くないよね」と、最近の「強くなりたい」「自分の身は守らなきゃ、だから軍隊必要でしょ」「怖い、むかつくよ、やっちまおうよ」という短絡、どちらがマシなんだ、とあなたは考えるのだろうか?。


 もちろん、短絡自体を僕は好まないわけだが・・・



 さて、短絡ではない、実質的な議論への糸口を示していきたい。



 憲法9条改正をしたいということの理由については、大きく二つの論点が問題となる。

1)改正をすることが(軍隊を持つことが)、国民の安全につながる!

2)立派な国と見られたい、思いたい、国連での国際社会での発言権を強めたい(「アメリカの手先はイヤだ」も同趣旨。つまり、アイデンティティ・誇り・プライドの問題)。


 これ以外に、軍隊持って戦争あった方が経済的に潤いそうとか、アジアを侵略したいとかいう、それはどうなの?、というような理由もありそうだが、そういうのは、無視させてもらう(苦笑)<そんな人もいるかもしれないと思うと、うんざりだが。


 ポイントはやはり、上記の二点であろう。

 そして、僕は問いたい。
 「軍隊を持つことは、国民の安全になるのか?」と。

 そして「立派な国と見られたいのか?」と問いたい。
 「立派な国に見られたいとして、軍隊がなければ立派な国と見られないのか?」と。



 さて、問題提起を終えて、本論は明日にでも(またかよ)。

 できれば、これを読んだ、あなたも考えてください。前回・前々回の分も含めて、反論、自分なりの思い・考えなどもあれば、メールフォームなどからメールをください。たぶん、その言葉は、僕にとって、何か考えを発展させるきっかけになるはずですので。

 今日はここまで。



憲法9条改正?〜軍隊を持つことで安全になるの?
2003年11月05日(水)


 9条を改正するか否かの話。改正を主張する人の理由は、大きく二つ。
1)改正をすることが(軍隊を持つことが)、国民の安全につながる!

2)立派な国と見られたい、思いたい、国連での国際社会での発言権を強めたい(「アメリカの手先はイヤだ」も同趣旨。つまり、アイデンティティ・誇り・プライドの問題)。


 この二点であることは、既に述べた。



 さて、9条維持を主張する側(護憲派)が、感情論でしかモノを語れなくなっている現状を、僕は憂えている。

 改憲派の「国民の命は大事だろ!」という主張に、「でも平和は大事だよ!」という反論しかできない護憲派に対して、もっと考えて欲しいと思って、この文章を書く。
 もちろん、「国民の命が大事だから、軍隊が必要」という「安全」のために「武力」しか思いつかない思考パターンを持つ改憲派に対しても、同様に、もっと考えて欲しいと思う。


 「国民の安全を守らなければいけないのに、護憲だなんてリアリティがない・理想論である」という言葉に対して、ここでは反論を試みることが、今回の主眼である。

 「軍隊を持てば安全である」という言葉よりは、もう少しリアリティのある言葉を紡いでみたい。



 さて、国民の安全ということを考えた時に、現在、日本は、何に脅かされるのであろうか?。

 冷戦時代を考えれば、ソ連である。共産主義と自由主義側が綱引きをやっていた時代であり、ソ連が日本を攻める可能性が無かったとは言えないであろう。そう考えれば、国民の安全のためには軍隊による防衛にも、それなりに理由がある。


 現在は、どうだろうか?。韓国・アメリカが攻めてくることまで想定している人はいないであろう。自由主義陣営でいる限りは、さすがのアメリカも日本を侵略したりはしない(経済的侵略は別として)。ロシア?、共産主義でもなくなったロシアが、今更、日本に攻め入ることもないであろう。中国?、旧ソ連と比べて、「世界に社会主義を波及させよう!」という意欲の薄い中国が、かつ、資本主義の導入に忙しい中国が、わざわざ海を越えて日本に攻め入ってくる?。それこそリアリティがない。


 これらの国々が、日本に戦争をしかけてくるとしたら、隕石が落ちたとか、地軸がひっくり返ったとか、天変地異によって、世界的に大飢饉になるなど、そういう場合であろう。そこまで想定するべきだろうか?。それは個々人の判断だと思うが、そんなことまで想定してもしょうがない、と大半の人は考えるのではないか?(「一寸先は闇」という思考パターンだと、そうでもないのか?)。この辺りは、もちろん、「絶対にアメリカが日本に攻め入ることはない」などと誰も断言はできない。世の中何が起こるか分からないからだ。ただ、可能性は、低いと考えるのが普通ではないのか?。



 さて、リアリティという意味では、やはり、憂うべきは「北朝鮮」である。


 問題は、北朝鮮は、日本が軍隊を持てば、日本に戦争をしかけてこないのであろうか?ということだ。



 僕の考えは、こうだ。

 あなたの隣に、人が住んでいます。

 その人は、
「うひょぉぉぉぉ」、とか
「うっきゃぁぁぁ」とか叫びながら、うろうろしている。
目がイっちゃってる人、それでいて、なんか切羽詰まってる感じ。
しかも、拳銃を持っています。



 どうしますか?。

 ドアには鍵をかけましょう。

 ドアが木製なら、金属製のもっと頑丈なものに変えたいところです。

 防犯カメラもあった方がいい気がします。



 では、拳銃を買ってきて「撃ったら撃つぞ」と彼に拳銃をちらつかせるのは、どうでしょう?。


 ・・・たぶん、最悪です。撃たれます(苦笑)。
 相手は、そういう話が通じる相手ではないのです(苦笑)。


 僕が言いたいのは、そういうことです。



 出来ることは何か?。(せいぜい後ろポケットにナイフをしのばせつつ)ニコニコ「大丈夫、大丈夫」と近づいていって、「これは危ないから離そうね」と拳銃を受け取る。

 その方が明らかに安全なのです。


 もちろん、この「危ない隣人」は、北朝鮮のメタファーです。


 軍隊を持つことが安全に結びつくのか?。
 脅しとして効力はあるかもしれません、ないかもしれません。どちらとも断言できないでしょう。

 でも、持たない場合の方が、安全かもしれません。相手はキチ△イなのだから(放送禁止用語)。むしろ、重要なのは、ニコニコしながら、いかに相手の武器をとりあげるのかの外交手腕でしょう。この外交手腕が足りないというのが、日本の政治家の致命的なところなわけでしょうけれども・・・。


 とりあえず、軍隊を持つことが、持たないことが、どちらが、安全なのかを断言することはできないと思うのです。


 ただ、「軍隊を持てば安全」と断言できないということは断言できるということです。だから、もっと考えて欲しいと言っているのです。

 日本国民が、もっと考えた末に、それでも軍隊を持った方が安全だと思えるのであれば、改正もありでしょう。しかし、「軍隊を持てば安全」という程度の考えで「リアリティ」を語るのであれば、そんな短絡で、国民の安全を侵害するのはやめて欲しい、ということです。


 「9条に殉じて、たとえ、攻められて死んでもいいじゃないか!」と僕は言う気はないのです。

 国民の安全は重要です。

 その上で、「軍隊を持つのが安全なのか」を、皆が、もう一度考えて欲しい。そういうことです。


 ちなみに、国内におけるテロ活動や、北朝鮮による拉致などに対しては、軍隊の問題ではなく、警察力の強化こそが問題なのです。警察が、どれだけテロ活動に対抗できるのか。その対抗力を備えることは、国民の安全にとって非常に重要です。それは、自衛隊や警察が共同して行ってくれれば、それはとても嬉しいことです。が、9条を改正しての軍隊は要らないのです。



 さて、今日の主張の骨子はこうです。

 「軍隊を持つことで安全になる」というのは短絡ではないのか?。キ◎ガイに軍隊の脅しをしても、逆効果の可能性も高いぞ。


 ということで、今日はここまで。

 明日は、立派な国うんぬんのお話。

 今日はここまで。



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