憲法9条改正?〜憲法とは、どんな法律なのか
|
|
2003年11月01日(土) |
今回の選挙において、一応の争点になってるらしい、憲法改正、厳密には、憲法9条改正について。
まず、9条とは別に、改正一般の話・・・というよりも、今回は「憲法」についてのお話。
ものすごい、大きな誤解が世の中にはある。
憲法を国民に対する命令と誤解している人が多いということである。
そうではない、憲法とは、「国に対する命令」である。
一般的には、法律のイメージとして、刑法のイメージが強すぎるため、「人を殺してはいけない」と命令する刑法と同じように憲法を捉えてしまうのだろう。 だから、憲法も、国民に対して、「人権を守るべきだ!」と述べている、と。
だが、それは大きな間違いだ。 憲法は、国家に対する命令なのである。
憲法とは、国家の権力を抑制されるために生まれた装置だ。歴史的には、国王が無茶な請求を国民にするのを、出来る限り止める、そのために生まれたのが憲法なのである。 国王がいなくなった場合であっても、「権力」は止まらないのが通常だ。だからこそ、常に、国家権力にブレーキをかけるための装置が必要となる。その中心に位置するものが憲法なのだ。
「国民の人権を守りなさい」「国民の人権を侵害してはいけない」と国家に命令するのが憲法なのである。なので、一般的に、「僕」が「あなた」の人権を侵害しても、それは憲法違反とはならない(刑法や民法上違法になることはあるけど)。 また、したがって、憲法を改正して「国民の義務」を明記しようとか言っている人もいるが、それは、あまりにナンセンスな主張だ。「国民の義務」は国民への命令であって、憲法の守備範囲外の話だからである(「権利には義務が伴うべき」という主張がナンセンスだと言っているわけではない。憲法にそれを明記することがナンセンスだと言っていることを誤解なきよう)。
ちなみに、勤労の義務、納税の義務などが憲法上は書かれているが、あれは、「注意規定」と言って、特段憲法上の意味はないとされている(詳細に述べれば全く無意味というのではないが、話の逸脱が激しいので、ここまで)。
ついでに言うと、「法の支配」「法治主義」と言う時、一般的なレベルでは、「法治主義の日本では、法律があるのだから、泥棒は認められない」という言い方をされることが多い。
ただ、法律の専門用語としては、これは意味が違う。 上記のように、憲法が国家の権力を抑制する装置であることから、法学の世界では、法治主義、法の支配ともに、「法律によって、国家権力を統制する必要がある」という概念とされている。
注)専門用語と一般用語で使い方が違う場合、一般用語の使い方が間違っていると言うつもりもない。言語は「慣用」に中心があるわけだから、その慣用が根付いている以上は、その慣用も意味も正しいと捉えるべきであろう。
注)おまけとして、法律用語と一般用語で違う使い方をする有名なものに、「確信犯」という言葉がある。一般用語としては、「自分は悪いことをしていることをわかって、悪いことをする」という意味で使うが、法律用語では「自分は正しいことを確信して、法に違反することをする」ことを意味する。「一般用語の確信犯」は、法律用語的には、むしろ「故意犯」に近いと言える。
と、一向に9条の話に辿り着かないのだが、とりあえず、以下の結論を押さえておいて欲しい。「憲法は、国民の権利を保護するために、国家権力を抑制するための法律である」。
そして、本論には、辿り着かないまま、今回はここまで(^^;)。
|
|