1968年6月11日 日大全共闘にとって忘れることの出来ない日  
     
   
6/11  日大闘争年表 より

   

日本大学学生会議、全共闘を「実力で粉砕する」と声明。
経闘委、法闘委、文闘委、商闘委、芸闘委など各学部で決起集会を開く。

経済学部では、ヘルメットを被った吉田寛学部長が、地下ホールに体育会系学生250名を集めて「不逞の輩から経済学部を守れ」と訓示。
守衛が経済学部一号館正面玄関のシャッターを突然閉めはじめる。学友20名がシャッターに取りつき素手と旗竿で阻止。その時、学内に立て籠もった体育会系学生を発見、学友150名が学内になだれこむ。これを見た職員は体育会系学生を指揮して、木刀を振りかざし、無防備の学友に殴る蹴るの暴行を加えた。

   

さらに一号館の上階から、体育会系学生はもちろん守衛までが、集会に参加し座込んだ学友をねらって、石やコーラビンなどをつぎつぎに投げ込む。一瞬、5000名は総立ちとなったが、そこにも机、椅子、鉄製の灰皿などが見境もなく投げ落とされ、地獄絵さながらの惨状。頭蓋骨や肩甲骨を損傷した負傷者が続出する。

   

「やめろ!人殺し!」の怒号が乱れ飛ぶが、二階のバルコニーでは、体育会系学生がこれ見よがしに日本刀(白鞘)を振りまわし威嚇。この間も放水や消火器、催涙ガス液を浴びせ、重さ10kg、幅60cmのスチール製ごみ箱やロッカー、果ては砲丸の鉄球までもがデモ隊にむかって投げ落とされた(砲丸の鉄球は証拠品として弁護団が押収)
全共闘は態勢を立直すため、一旦、本部へ抗議のデモ。ここで秋田議長はスト突入を宣言。この時、白山通りから経済学部二号館前の路上に赤白モヒカンのヘルメットが投出される。周辺の学友が急いで装着、50名の行動隊が編成され、つぎつぎと正面玄関から学内に突入。缶ビールが 投げつけられるなか、体育会系学生の築いた手前のバリケードを突破。奥側のバリケードに取りつくが、日本刀や木刀、ゴルフクラブやチェーンなどの凶器を振 りかざし、消火器を吹きつける職員と体育会系学生に阻止され、正面玄関や守衛室付近まで押しもどされる。
この間、100名ほどの学友が白山通りの窓からも一号館に突入。しかし、立て籠もった体育会系学生の暴力に抗し得ず、顔面を血だらけにした学友や殴打され気絶した学友を搬送するため、撤退。

   

大学当局は機動隊800名の出動を要請。学友らは機動隊が加害者の体育会系学生を排除してくれるものと誤認、拍手と歓声で迎えたが、機動隊は体育会系学生の暴力行為を制止するどころか、被害者の学友たちを規制する暴挙にでる。怒りの抗議をする学友らが排除され、規制に抵抗する学友6名が検挙された。
法闘委は、法学部三号館前でスト権を確立。三号館を占拠し、バリケードを構築。
経済学部前で機動隊に規制され、分断された学友らは本部前で抗議のデモを展開。その後、法学部三号館に結集し、
200名が泊まり込み態勢を取る。
この日、負傷した学友は入院40名、全治二週間の重傷者60名をふくめ200名にのぼる。
この事態を鈴木勝学生局担当理事は、記者会見で「体育会の気持ちは本学の精神である」と得意気に語り、居合わせた記者団の顰蹙をかった。
この「暴言」を憂慮した下稲葉耕吉警視庁警備部長は「体育会を紛争解決の手段にせず、大学当局は学生と話合い、円満に解決してほしい」ときわめて異例の談話を発表した。