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子ども虐待死事件の
構造論
「責任回避」という
ジャパニーズ・スタンス

件文{責任主体Aが責任準体Bを家に呼び込んだために、公的機関Dの介入も空しく、愛児Cは虐待の末に殺された}

「件文」とは、その事件を表す時の、最小単位の文をいう。
「責任主体」とは、件文の絶対主語として表される、不動の主犯格
「責任準体」とは、件文の動格語として表される、実行犯である。
     B
{A・−−・−−・C (Aは始点格、Bは動格、Cは終点格    :関係式は、母親の彩被告と愛児の勇樹君は死を機に、親子の関係は逸脱したが、中点であるバタラーBを介することで、線的意味が劇的に回復することを示す。式の持つ意味は、AはAと一体関係にあるBを、C点まで運んだ。この場合のゴールCとは、虐殺された勇樹君の死である。)
結論1:園児の死はプログラムに書き込まれた、セットされた死である。
結論2:公的機関のヘルプ機能が作動しなかったことによる、システマチックな死である。
結論3:プログラムすら読まれることもなかった、二重の死である。両・親(リョウ・オヤ)も加わった組織がかりの多重の死である。

 写真は、昭和35年10月13日付けの毎日新聞の記事(管理人所有)。犯人の山口二矢(おとや)は17歳の右翼少年で、この事件がきっかけで、その当時「切れやすい17歳」が話題になる。山口は、大江健三郎の作品の主人公のモデルになったとも噂されている。








 初めての投稿

 インターネットの掲示板にはじめて投稿したのは、昨年の平成16年の3月26日。デビュー作品(題名は「母親の愛が問題」)はひとりよがっていて、いま読み返してみると恥ずかしくなる。
 もともと情報に頼るのが嫌いなところがあるため、ややもすると、見当違いの書き込みを行って失敗することがある。「そもそも詳細も調べずに限定口調で独り語りされても(笑う)。みんな真面目にいろいろ話してるんだからさあ、勝手に小説作んないでね」とある人から揶揄された。
 初投稿のトピは、近畿ヤフーの大阪小六男子虐待死事件である。投稿するまでに、かなりの時間をかけた。かけたというより、ボタンの押し違いから、イチからの打ち直しを再三強いられたという方があたっているかも。IDコードやパスワードの意味が分からず、侵入するのに壁ができていた。何とかクリアしてみると、そこで待っていたのは、見るからに狭苦しい長方形のスペースであった。投稿の内容は、メモにとっているので、そのままを入力してみた。すると、行が繰り上がっていき、はじめの行がすぐに隠れて見えなくなった。これでは文章のイメージが分からなくなると思って、何度も横のスクロールボタンを操作して伝えたいイメージを確認しながら入力を行った。とにかく、生まれて初めての経験は、戸惑うことばかりである。
 新しいパソコンを買ってひと月を過ぎており、入力の方はもう大丈夫と思ってのことだったが、まだまだ使い切れていなかった。長い時間、画面を見詰めすぎて、眼が痛くなった。まあ、こんなとこだな、で、原稿が出来上がると、手に震えがきていた。投稿ボタンを押すには、かなりの勇気を要した。少し間をおいた後、ええい、と気合を入れながらボタンをクリックした。
 本格的なデビューは、九日後の4月4日(4のぞろ目の日、つまり、「聖」なる日)。「無謬性への固執」と題するもので、これがその後に歩き出す私的な児童虐待論の出発の原点となった。

 数日前の子供虐待死事件の報道記事に「母親は、暴行を傍観」とあり、これが事実ならば、「無びゅう性への固執」と「神格化」という事件の本質がみえてくる。
 「無びゅう性固執」型犯罪は、オウム教の犯罪において顕著である。彼らは発生した損害をすすぐためにのみ殺害を繰り返したのだ。ひとつのトク聖行為から始まってえた「大義」は、その後「利失」にも適用され、暴走行為は加速したと推理。
 この見方を採用すると、母親は神格化しており、少年はその信者となる。

 そもそも母親の無びゅう性とは何か?

 これは過ちを繰り返してやまない人間への寛容さをキープすることで、母親は神格化の道を歩みだしたと考えられる。これが母子の間のことならば、何の問題もなかった。母親の宗教的な寛容さは、聖母マリアそのものであったろう。
 母親と少年の間の聖俗一体の関係は、アルバイト先での少年の悪事に対する、上司たる母親の寛大な処置によって成立したとみている。少年は自己の犯した罪に対して何のとがめだてもしない上司の態度に神々しい姿を見たのだ。こうして彼は帰依する者となった。
 一方のわが子とは、神格化した母親の目には、どのような者として映っただろうか。
 少なくとも彼は少年のような信者ではない。反対に、神性を犯す汚らわしき者として映った可能性が強い。「損害の発生」が母子の間では日常化している以上、すすぎとしての制裁は日常化していて当然。

 事件のあつた日、母親は生理前のヒステリー状態にあったのではないか。ジャンプした状況が考えられる。めくるめく高みに自己の身をワープさせた後、少年にお告げを出したのだ。それがポアだったかどうか。どちらにしろ、神の言葉に翻訳や暗号解読は当然。少年はそれをそれと読んだ後、実行に移したのだ。

 一読すると、前提はさておき、展開に明らかな無理がある。けれど、一本の筋が通っている。だから、もし展開が間違っているのならば、前提の「母親は、暴行を傍観」、つまり、「見殺し」にしたとする見出しのほうが狂っているとしなければならない。
 対象とする事件は、大阪・住吉区の小六男子虐待死事件ではなく、名古屋・昭和区で起きた園児の森島勇樹君虐待死事件である。どちらにしろ、児童虐待死事件はすべて、流れる深層水は同じ水だと思っていたから、トピの要求する話題と違っていても全然平気であった。

 その後の私の足取りは、この一点の確認のためにあるといっても過言ではない。いや、この言い方は、厳密に言うと、正確ではない。四月四日に私を襲った観念の目に見えた光景こそがすべてなのだ。わざわざ道ならぬ道に足を踏み外し、もってその日を記念すべき逸脱の日とし、その後の足取りを「回復」のために生きようと決意したのだ。罪人のごとく手枷足枷を身に付けて。


真は、04年の8月13日付けの中日の新聞記事。勇樹君と同じ名古屋の昭和区で浜田恵一君(当時5歳)が母親の恵子容疑者(同36歳)から虐待の末に殺されている。「浜田容疑者は調べに対して意味の通らないことを話しており、精神鑑定で刑事責任能力が慎重に調べられる」と同記事は伝えるが、「構造的な関係」が個人において現われた特殊のケースと見ていいだろう。容疑者は外からの「声が聞こえてくる」というから、アチラの世界に片足を突っ込んだ女性であり、ある日を境にわが身を(別の人格に)乗っ取られての凶行の様子が私の目には視えてくる。
 この事件でも名古屋の児童相談所は通報があったにも拘らず、傍観に終始して結果的に見殺しにしている。この場合の「指示」を巡っての責任追及も弊論の持つもう一つのテーマではある。


第一章 傍聴日記
高3少年が証言台に  6月15日勇樹君虐待死事件・名古屋地裁公判
遠足の日の弁当 7月9日雄起君衰弱死事件・大阪地裁公判
園長先生が証言台に立つ  7月14日勇樹君虐待死事件・名古屋地裁公判
大迫被告の母親が証言台に 8月4日雄起君衰弱死事件・大阪地裁公判
鑑定医が証言台に 9月8日勇樹君虐待死事件・名古屋地裁公判
栄養学の専門家が証言台に 9月24日雄起君衰弱死事件・大阪地裁公判
森島彩被告が証言台に  9月29日勇樹君虐待死事件・名古屋地裁公判
第二章 名古屋発・森島勇樹君虐待死事件

この虐待死事件は、彩被告の遠隔操作によって起こされた?

1森島彩被告の超越者ぶり
2少年の暴力と彩被告の二面性(面従腹背?)
3高3男子の責任論
4母親彩被告のの責任論

5児童相談所の責任論
事件の本質を照らす責任問題
ネジレていた愛人関係
「債権者」という怪物

森島彩被告のある「主導」説?
「責任回避」というジャパニーズ・スタンス
第三章 大阪発・大迫雄起君衰弱死事件
死ぬまで<治療>の手を緩めなかった母親と知人女性
1 事件の概要
2 この事件は、オカルト論抜きでは、語れない
3 
超越者による監禁致死事件
4 遠足の日の「弁当不持参」の件

5 もう一人の超越者  
6 ザ・ネグレクト

どれもこれも信じがたい話ばかり?


ある「構造的」な関係
ある構造論的考察
ある家庭内暴力のバタラー

第四章 アジア的共生
「ハン」という潜在的火種
1 二重のネジレを記号として読み解け
2 アジア的共生
3 検証 森島勇樹君虐待死事件
別巻

1初期通報 
2債権回収
3乳房の意味
4三つの疑問点
5撤退する勇気
6棒書きの実態

子どもの虐待を目撃した際の
イジメのメカニズム
盗まれる果実


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