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準備中
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よりよい政治を求めて
序 三種のキーワード
戦後政治の流れを読み解くキーワードとして、XとZとWの三種を挙げる。
Xは、「奥の手」を表す記号である。
Zは、「次善の手」を表す記号である。
Wは、「最善の手」を表す記号である。
法則T XとZとは、抱き合う関係にある。
法則U XとWとは、反発しあう。
法則V ZとWとは、反発も引き合ったりもしない。
属性T X国とX国は、互いに反発し、戦争を引き起こす可能性がある。火種としては顕在化している。
属性U Z国は、アジア的である。一般的に、いやいやながらの政治を強いられている。火種は潜在化している。
属性V W国は、ヨーロッパ的である。国としては独立格的な存在である。
用語の説明
この用語のポイントは、「奥の手」と「最善手」を二つに分けた点である。これまでの私たちは、「奥の手」が最善手と単純に信じ込まされていたのだ。日本で言う「奥の手」は、アメリカでは「神の手」となる。それが何を意味するかは、火を見るよりも明らかである。
記号自体に絶対的な意味があるのではないし、目に見える形で現れているのではない。
例えば、目の前にある政策aは、最良のWとして目に見えているのではない。XでもZでもないとすれば、Wである可能性としてあるという程度の認識で、それ以上の何者でもない。象徴的な意味では、Wとは「国連」のような政策的な機能を指している。
法則の説明
これまでの私たちは、既に述べたように、X=Wと信じ込まされていたのだ。これが誤りで、事実はX=Zであった。XとWの関係は、X≠Wに他ならないことは、仮説の状態で、これから弊論の中で証明すべき事柄であり、同時に、メイン・テーマでもある。
こういう例がある。
困ったとき、「最良の方法」は警察に頼ることだと、普段の私たちはそのように信じ込んでいる。が、これが誤りであることは、女子高生コンクリート詰め殺人事件や長野のサリン事件の例で既に明らかだ。彼女の110番通報は、「奥の手=次善手」だったのだ。逃げ出せるチャンスがあればその場から逃げ出し、自己の身の安全を確保して後、警察に助けを求めるべきであつたと考えている。長野の事例では、最善手は119番通報であろう。それを110番通報することは事件の犯罪性を見抜いてのことと疑われても致し方ない一面があつたことは否定できないと思う。警察に頼ったために、冷や汗をかかせられることは多く、訴えたい相手が暴力団の関係者ならば、その前に警察と暴力団の癒着がないかどうか見極めた上でないと、逆に、リスクを呼び込むことになりかねない。
属性の説明
X国とは、Xなる政策を常用する国という意味ではない。構造的には、国民の政治的熱情に後押しされて政策決定をしやすい国家(大統領を首長に持つ国)や個人の意思で政策が決まる軍事独裁国家を指す。国民の政治的熱情が「奥の手」を希求することは、犯人逮捕の報がマスメディアを通して流れると、インターネットの中の掲示板がすぐに「極刑に処せ」という声で占められることで見ても分かる。政治は国民の政治的熱情によって動かされてはいけないのである。
([奥の手]を教えると、その便利さに安住して人としての成長が止まってしまう傾向がまま見られる。野党議員は特にこの傾向が著しく、これぞ奥の手と思い込んでしまうと、そこで成長の止まった例をいくつか観察できる)
第一章 憲法について
1 法理論について
ここで述べる法理論は、私人の一見解にすぎず、権威ある法学博士等の法のエキスパートの法理論から学んだ上のことではないことをば最初に断っておきたい。理論的な考え方が生まれた背景は、言葉の問題をクリアした後、何気なく六法全書に目を通していたら、その間に、理論的な枠組みが出来上がったもので、安産といえば安産といえ、それゆえの安易さは絶えず付き纏っているかもしれない。
T法には、二種の体系がある。
U一つは、緩い体系である。
V もう一つは、緊張の体系である。
見られるように、理論と称するものはシンプルこの上ないものである。上にある「緩い」法とは、「憲法」をいう。「緊張」の法とは「民法」や「刑法」等をいう。両者の違いは、述べるまでもなく、憲法の言葉は曖昧性を有するために厳格運用できないが、刑法等では用語が厳密に定義付けられたために厳格に運用できるという利点が挙げられる。そのくせ、「憲法」は最高位の法である。
「憲法」が緩い法と呼ぶことに対して、反対意見が当然予想されることで、そのことに対して説明の手間を省いてはならず、極力言葉を尽くしたいと考えている。
緩い法とは、言い直すと、緩い規定の法という意味である。一方の下位の各法は、最高位の法の持つゆるさを補完するためにあり、この両者が相俟って初めて法は効力を持つと言える。
| 前 文 | ||
| 第1章 | 天 皇 | (第1条〜第8条) |
| 第2章 | 戦争の放棄 | (第9条) |
| 第3章 | 国民の権利及び義務 | (第10条〜第40条) |
| 第4章 | 国 会 | (第41条〜第64条) |
| 第5章 | 内 閣 | (第65条〜第75条) |
| 第6章 | 司 法 | (第76条〜第82条) |
| 第7章 | 財 政 | (第83条〜第91条) |
| 第8章 | 地方自治 | (第92条〜第95条) |
| 第9章 | 改 正 | (第96条) |
| 第10章 | 最高法規 | (第97条〜第99条) |
| 第11章 | 補 則 | (第100条〜第103条) |
上は、日本国憲法の目次(所収は「houko.com=http://www.houko.com/index.shtml」)であるが、ざっと見渡したところで、第二章ならびに第九、十章はその条文の持つ規定の緩さを補完すべき下位の法を持たないという点を指摘できる。
下にあるように、各章の条文には厳密規定も罰則規定もない。憲法が最高法規と謳っていても、私法、特に会社の社則等で社命は憲法より「絶対」と明記しても、違憲状態は判断可能だとしても、それを罰する(憲法の精神に則った)下位法の規定がない。同じように、第九条は「戦争の放棄」を謳っても、自衛隊なる存在そのものに対しては、(かかる憲法の精神に則った)下位法による罰則規定がない。憲法改正については、公職選挙法に準ずることは述べるまでもなかろう。
第二章 戦争の放棄
〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第九章 改正
〔憲法改正の発議、国民投票及び公布〕
第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
A 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
第十章 最高法規
〔基本的人権の由来特質〕
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
〔憲法の最高性と条約及び国際法規の遵守〕
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
A 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
〔憲法尊重擁護の義務〕
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。(いずれも衆議院・憲法調査会より転載)
2 第九条と自衛隊法のねじれた関係
第九条と自衛隊法は、前節で述べたように一対の法と考えられる。しかし、条文にある言葉、特に、「その他の戦力の保持」に該当するために、憲法の精神とは相容れないものとなっている。だからといって、違憲状態即自衛隊の存在そのものの否定にはつながらないと考えている。
第九条に盛り込まれた崇高な精神は、厳密に規定された下位法に支えられることによって、その憲法の精神は効力を発揮する。こういう考え方が許されるならば、憲法の理念の空文化ではなく、その実効的な法としてとにもかくにも「自衛隊法」なるものをわが国は持ったといえる。
第九条と自衛隊法の関係は、ねじれてはいるが、次のような関係式において中間的な法(点C)を仮設するだけで、両者の関係は正される。
C
A・−−・−−・B(A=第九条、B=自衛隊法、C=未定)
上にある点は、「逸脱」を意味し、線は「回復」を意味する。ここでは、線は線的論理の意味で用いている。つまり、第九条と自衛隊法はねじれているために、直線的な論理で結び付けることはできないが、中間にある法を介在させると、両者の関係は正せるはずである。ただし、その法は未定とする。
憲法を「逸脱」とする意味は、スタート地点の意味であり、この場合は、「はじめに第九条ありき」とおいて何の支障もない。同じように、自衛隊法を「逸脱」とする意味は、ゴール地点の謂いである。また、未定としたCなる法については、別の機会に述べることになる。
下は、中日の記事を丸写しにしたものだが、自衛隊の誕生の経緯と海外派遣に至るまでのアウトラインが描かれている。
■自衛戦争も放棄 1946年の憲法制定議会。吉田茂首相は九条の戦争放棄規定について「自衛権の発動としての戦争も放棄したものだ」と答弁した/吉田氏は、過去の戦争は仮に侵略戦争に近いものでも、「自衛」を理由にして行われたものが多いと指摘。交戦権を全面的に放棄することで、世界平和実現の先頭に立つ決意を示している/敗戦の傷跡が生々しかった当時。(ママ)吉田氏の姿勢は多くの国民に歓迎された。このころは、「戦争放棄」[戦力不保持」をより明確にするための改憲論が議論されていたほどだった/五十年、朝鮮戦争が起きると、「治安維持が目的」の警察予備隊が創設。そのころ、吉田氏は「自衛権を放棄するとまで申したことはない」と答弁を修正、政府は迷走した/実は憲法制定時、衆院で改正案を審議する委員会の芦田均委員長らの手で、九条二項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言が書き加えられていた。この[芦田修正]は、吉田氏が答弁を修正し始めたころから、「自衛の戦争は禁じていない」という政府見解の根拠として利用されるようになっていった。
■海外出動行わず 警察予備隊は保安隊を経て、自衛隊に。こうした動きは、戦争放棄を支持する勢力からは「逆コース」と批判された/ただ、国会や政府は、誕生間もない自衛隊の活動を厳しく制限しようとしていた。五四年、参院は「自衛隊の海外出動は行わない」と決議。その際、「一度この限界を超えると、際限なく遠い外国に出動することになることは、先の戦争の経験で明白だ]との提案理由が説明されている/六〇年、日米安全保障条約改定の際、岸信介首相は「自衛隊が日本の領域外に出て行動することは、一切許せない」と断言した。岸氏は歴代首相の中でもタカ派として語られることが多いが、当時の答弁はかなり自制が利いていた。
■"禁"を破り出動 ところが、こうした積み重ねも、一九九一年の湾岸戦争の発生を機に変質する。自衛隊はこれまでの"禁"を破り、海外出動の道を歩み出す。キーワードは国際貢献だ/湾岸戦争後にペルシャ湾に遺棄された機雷の除去が目的で、海部俊樹首相は「憲法の禁止する海外派遣には当たらない」と力説した。九二年、自衛隊は国連平和維持活動(PKO)協力法に基づいてカンボジアへ。[武力行使と一体にとならないものは憲法上許される]という政府見解を根拠にしていたが"外国領土"での活動に初めて道を開いた。
■その後、自衛隊の活動は、対米協力の色彩を強めながら、さらに広がっていく/九九年には周辺事態法が制定。九六年の日米安保共同宣言に基づいて、日本周辺地域での米軍支援(後方地域支援)を可能にするものだ。この時、小渕恵三首相は同法の対米支援にいて「中東とか、インド洋とか、地球の裏側は考えられない」と答弁していた/ところが、二〇○一年には、米国によるアフガニスタンでのテロ掃討作戦支援のため、テロ特措法をつくり、インド洋に海上自衛隊を派遣することになる。小泉純一郎首相は[武力行使はしない。戦闘行為には参加しない」と強調したが、自衛隊の海外活動は"戦時"に広がった/自衛隊の海外活動をついに"戦地"まで広げたのが、〇三年のイラク特措法。武力行使との一体化を避けるため、政府は活動地域を非戦闘地域に限定したが、この定義について、小泉首相は「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域だ」と"迷答弁"。今国会でも議論は続いている。(9条「骨抜き」の歴史/自衛隊の活動領域 なし崩し的に拡大/海外派遣 湾岸戦争が節目に[中日]05/2/12)
しかし、下の総則にあるように自衛隊法には[自衛隊の任務」として「国の安全]や「公共の秩序の維持」を挙げているが、その場合の「国=公共」の意味が定かではない。つまり、憲法には、「国」の規定がないのに、「国」について[防衛」するとあるのだから、読む方としては唐突の感じを受けずにはいられない。
自衛隊法
第1章 総 則
(この法律の目的)
3 下位法の問題点
昨年の夏ごろ、六法全書に目を通した時、襲ってきた疑問は、下位のこの法は憲法の精神とどういう関係にあるのだろうか、という素朴な問いである。
下の国会法を読むと判るように、総則が欠けており、いきなりの感じが拭いきれずにいる。
国会法
第1章 国会の招集及び開会式
国会法の持つ唐突な感じは、下にある公職選挙法と比較すると歴然とする。
公職選挙法
第1章 総 則
(この法律の目的)
上にあるような公職選挙法の総則の内容をもって理想とするならば、国会法のようなケースは下の下となる。
主だった下位法は、次の表に目を通されると判るように、ばらつきがある。
| 法の名 | 冒頭は | 総則 | 憲法の精神 | 施行 | ||||
| 教育基本法 | 第一条(教育の目的) | × | ○(欄外) | S22/3 | ||||
| 刑法 | 第一編 総則 第一章 通則 (国内犯)第一条 |
○ | × | M41/10 | ||||
| 公職選挙法 | 第一章 総則 (この法律の目的)第一条 |
○ | ○ | S25/5 | ||||
| 国会法 | 第一章 国会の召集及び開会式 第一条 召集詔書の公布 |
× | × | S22/5 | ||||
| 裁判所法 | 第一編 総則 第一条(この法律の趣旨) |
○ | ○ | S22/5 | ||||
| 内閣法 | 第一条[職権] | × | ○ |
|
||||
| 民法 | 第一編 総則 第一条[私権の基本原則、信義誠実 の原則、権利濫用の禁止 |
○ | × | M31/7 | ||||
上の表を参照する限り、国会法だけが例外となるが、「憲法の精神に則り」と明記しないのは、それなりの理由があるからである。忘れたのではなく、意図的だと考えている
4 芦田修正の狙い
☆芦田均(あしだひとし)☆
1887(明治20)年〜1959(昭和34)年
|
京都生まれの政治家。東京帝国大学卒業。外務官僚、ジャパン・タイムズ社長を経て、衆議院議員。 第2次大戦後、厚相・日本民主党総裁・外相を歴任。吉田茂内閣下で衆議院帝国憲法改正委員会の委員長。 1848(昭和23)年3月、民主・社会・国民協同の3党連立内閣を樹立したが、半年後の10月、昭和電工疑獄事件で総辞職。
|
京都府天田郡中六人部村(現福知山市)の豪農の家にうまれた政治家。父・鹿之助も衆議院議員を務めた。
1912(大正1)年、東京帝国大学仏法科卒業後外務省に入り、外務官僚となり、ロシア、フランス、トルコ、ベルギーに駐在した。このとき、ロシア革命に遭遇、また、ベルサイユ講和会議を経験する。
終始、軍部に批判的で、特に、満州事変における軍部独走に対する政府の軍部追従の姿勢に疑問をもち、1932(昭和7)年退官。1933(昭和5)年から1940(昭和15)年までジャパン・タイムズ社長に就任した。
同年立憲政友会から衆議院議員に当選、また、1942(昭和17)年の翼賛選挙(東条英機首相招請の各界代表が結成した翼賛政治体制協議会による推薦候補者381名が当選、全議席の8割余を占めた選挙)では非推薦で当選した。
第2次世界大戦後は親欧米リベラル派(自由を重んじるような立場の人々)として知られ、1948(昭和23)年、1945年10月幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣の厚生大臣に就任、同年11月には鳩山(はとやま)一郎らとともに日本自由党創立を立ち上げた。
1946(昭和21)年5月22日成立に吉田茂内閣の下に同年6月28日に設置された衆議院帝国憲法改正委員会の委員長に就任、第9条に「芦田修正」を行う等、日本国憲法制定に重要な役割を果たした。また、制定後の憲法普及会の会長として新憲法の普及活動にあたった。
1947(昭和22)年3月、日本進歩党に転じて同月犬養健(いぬかいたける=1896〜1960。東京の生まれ政治家。1929年の5・15【ごういちごう】事件で軍人に射殺された犬養毅【つよし】の子。第2次大戦後は第4次・5次吉田内閣の法務大臣【法相】を務め、造船疑獄事件で指揮権を発動、その責を負って辞任)らと民主党を結成し、その総裁となった。
同年6月、民主・社会・国協3党連立の片山哲内閣(社会党首班)に副総理兼外相として入閣。翌1948(昭和23)年3月の片山内閣総辞職後、同じ3党連立の芦田内閣を組閣、外務大臣を兼務した(いわゆる「中道内閣」=左右あるいは保守・革新のどちらにも偏らないことを旨とする内閣)。
このとき、衆議院が芦田を、参議院が吉田茂(日本自由党)を指名、両院協議会でも決着せず、憲法第67条2項により第47代内閣総理大臣(就任時60歳;在任1948年3月10日〜1848年10月15日)として選ばれた。
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憲法第67条(内閣総理大臣の指名、衆議院の優越) @ 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だって、これを行う。 A 衆議院と参議院とが異なった指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて10日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。 |
芦田内閣は、GHQ(連合国最高司令部)の命令で公務員は、「同盟罷業・怠業的行為の脅威を裏づけとする拘束的性質をおびたいわゆる団体交渉権を有しない」とした公務員のスト権を剥奪(はくだつ)する政令201号や公安条例などを制定、昂揚した労働運動に介入、厳しい弾圧政策を断行する等、GHQの命令を忠実に執行したことから、「イエスマン内閣」といわれ、その支持率は終始低迷した。
組閣から半年後の同年10月、化学肥料の王手メーカーである昭和電工に対し復興金融金庫(復金)から融資された30億円という巨額の融資をめぐっての贈収賄事件であったいわゆる「昭電疑獄事件」で西尾末広(にしおすえひろ=1891〜1981。香川県生まれの政治家・労働運動家。第2次世界大戦後、日本社会党を結成して書記長に就任。1959年の日米安保条約改定問題で社会党を脱党、1960年民主社会党を結成して委員長に就任)はじめ多数の閣僚が逮捕されて総辞職、本人も逮捕されるという憂き目に会った。
以後、党の主流から離れたが、1957(昭和32)年衆議院議員勤続25年の表彰を受ける。
事件の判決は1958(昭和33)年2月に下され無罪とはなるが、以後、政界のリーダーとして復帰することはなかった。
1959(昭和34)年6月20日71歳で死去。同月23日築地・本願寺で自民党党葬が行なわれた。
1905(明治38)年から死の直前の1959(昭和34)年まで綴った日記を残しており、そのうち、1944(昭和19)年9月から1959(昭和34)年5月までの部分が公刊されている(『芦田均日記』全7巻【岩波書店】)。
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『芦田均日記』憲法審議(1946【昭和21】年6月25日記) 新憲法の審議はいよいよ今日から始まつた。午后一時半に開会。吉田総理から提案理由の説明があつたけれども、我国の劃期的憲法として何等ふさはしき説明が聞かれず、極めて事務的な熱のない説明であつたことを遺憾とする。 第一陣の北 憲法審議の特別委員会にハ私が委員長に据ることになつた。これは劃期的な仕事であるだけに私にとつては厚生大臣や国務大臣であるよりも張合のある仕事であると考へてゐる。 憲法の審議は全院委員会に於て行はふとの論も小会派から提議されたが、全院委員会は此種の仕事にハ適しないことが判明して、特別委員会を設けることになつたのである。
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代表的著作に『最近世界外交史;米国参戦より連盟脱退まで』『第2次世界大戦外交史』などがあり、郷里・福知山市に2002(平成14)年5月18日開館の芦田記念館がある。
なお、国際法の研究で法学博士の学位を授与された。
死後、小泉内閣財務大臣谷垣禎一(たにがきさだかず)の父谷垣専一(せんいち)がその地盤を引き継いだ。
(たむたむのHPより)
第二章 自衛隊海外派遣、何が問題か
2 違憲状態にある?
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朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ萬世一系ノ帝位ヲ踐ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ發達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ與ニ倶ニ國家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履踐シ茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム
國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ將來此ノ憲法ノ條章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ
朕ハ我カ臣民ノ權利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範圍内ニ於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス
帝國議會ハ明治二十三年ヲ以テ之ヲ召集シ議會開會ノ時ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有效ナラシムルノ期トスヘシ
將來若此ノ憲法ノ或ル條章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ繼統ノ子孫ハ發議ノ權ヲ執リ之ヲ議會ニ附シ議會ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ
朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ爲ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク朕カ現在及將來ノ臣民ハ此ノ憲法ニ對シ永遠ニ從順ノ義務ヲ負フヘシ御 名 御 璽
明治二十二年二月十一日
内閣總理大臣 伯爵 黒田清隆 樞 密院議長 伯爵 伊藤博文 外務大臣 伯爵 大隈重信 海軍大臣 伯爵 西郷從道 農商務大臣 伯爵 井上馨 司法大臣 伯爵 山田顯義 大藏大臣
兼内務大臣伯爵 松方正義 陸軍大臣 伯爵 大山巖 文部大臣 子爵 森有禮 逓信大臣 子爵 榎本武揚 大日本帝國憲法
第一章 天皇
第一條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二條 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス
第三條 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四條 天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
第五條 天皇ハ帝國議會ノ協賛ヲ以テ立法權ヲ行フ
第六條 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
第七條 天皇ハ帝國議會ヲ召集シ其ノ開會閉會停會及衆議院ノ解散ヲ命ス
第八條 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル爲緊急ノ必要ニ由リ帝國議會閉會ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ發ス
此ノ勅令ハ次ノ會期ニ於テ帝國議會ニ提出スヘシ若議會ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ將來ニ向テ其ノ效力ヲ失フコトヲ公布スヘシ
第九條 天皇ハ法律ヲ執行スル爲ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル爲ニ必要ナル命令ヲ發シ又ハ發セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ變更スルコトヲ得ス
第十條 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ條項ニ依ル
第十一條 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第十二條 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第十三條 天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス
第十四條 天皇ハ戒嚴ヲ宣告ス
戒嚴ノ要件及效力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム
第十五條 天皇ハ爵位勳章及其ノ他ノ榮典ヲ授與ス
第十六條 天皇ハ大赦特赦減刑及復權ヲ命ス
第十七條 攝政ヲ置クハ皇室典範ノ定ムル所ニ依ル
攝政ハ天皇ノ名ニ於テ大權ヲ行フ
第二章 臣民權利義務
第十八條 日本臣民タルノ要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
第十九條 日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得
第二十條 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ從ヒ兵役ノ義務ヲ有ス
第二十一條 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ從ヒ納税ノ義務ヲ有ス
第二十二條 日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ居住及移轉ノ自由ヲ有ス
第二十三條 日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問處罰ヲ受クルコトナシ
第二十四條 日本臣民ハ法律ニ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ權ヲ奪ハルルコトナシ
第二十五條 日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外其ノ許諾ナクシテ住所ニ侵入セラレ及搜索セラルルコトナシ
第二十六條 日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ祕密ヲ侵サルルコトナシ
第二十七條 日本臣民ハ其ノ所有權ヲ侵サルルコトナシ
公益ノ爲必要ナル處分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
第二十八條 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
第二十九條 日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス
第三十條 日本臣民ハ相當ノ敬禮ヲ守リ別ニ定ムル所ノ規程ニ從ヒ請願ヲ爲スコトヲ得
第三十一條 本章ニ掲ケタル條規ハ戰時又ハ國家事變ノ場合ニ於テ天皇大權ノ施行ヲ妨クルコトナシ
第三十二條 本章ニ掲ケタル條規ハ陸海軍ノ法令又ハ紀律ニ牴觸セサルモノニ限リ軍人ニ準行ス
第三章 帝國議會
第三十三條 帝國議會ハ貴族院衆議院ノ兩院ヲ以テ成立ス
第三十四條 貴族院ハ貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス
第三十五條 衆議院ハ選舉法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス
第三十六條 何人モ同時ニ兩議院ノ議員タルコトヲ得ス
第三十七條 凡テ法律ハ帝國議會ノ協賛ヲ經ルヲ要ス
第三十八條 兩議院ハ政府ノ提出スル法律案ヲ議決シ及各々法律案ヲ提出スルコトヲ得
第三十九條 兩議院ノ一ニ於テ否決シタル法律案ハ同會期中ニ於テ再ヒ提出スルコトヲ得ス
第四十條 兩議院ハ法律又ハ其ノ他ノ事件ニ附各々其ノ意見ヲ政府ニ建議スルコトヲ得但シ其ノ採納ヲ得サルモノハ同會期中ニ於テ再ヒ建議スルコトヲ得ス
第四十一條 帝國議會ハ毎年之ヲ召集ス
第四十二條 帝國議會ハ三箇月ヲ以テ會期トス必要アル場合ニ於テハ勅命ヲ以テ之ヲ延長スルコトアルヘシ
第四十三條 臨時緊急ノ必要アル場合ニ於テ常會ノ外臨時會ヲ召集スヘシ
臨時會ノ會期ヲ定ムルハ勅命ニ依ル
第四十四條 帝國議會ノ開會閉會會期ノ延長及停會ハ兩院同時ニ之ヲ行フヘシ
衆議院解散ヲ命セラレタルトキハ貴族院ハ同時ニ停會セラルヘシ
第四十五條 衆議院解散ヲ命セラレタルトキハ勅命ヲ以テ新ニ議員ヲ選舉セシメ解散ノ日ヨリ五箇月以内ニ之ヲ召集スヘシ
第四十六條 兩議院ハ各々其ノ總議員三分ノ一以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開キ議決ヲ爲スコトヲ得ス
第四十七條 兩議院ノ議事ハ過半數ヲ以テ決ス可否同數ナルトキハ議長ノ決スル所ニ依ル
第四十八條 兩議院ノ會議ハ公開ス但シ政府ノ要求又ハ其ノ院ノ決議ニ依リ祕密會ト爲スコトヲ得
第四十九條 兩議院ハ各々天皇ニ上奏スルコトヲ得
第五十條 兩議院ハ臣民ヨリ呈出スル請願書ヲ受クルコトヲ得
第五十一條 兩議院ハ此ノ憲法及議院法ニ掲クルモノノ外内部ノ整理ニ必要ナル諸規則ヲ定ムルコトヲ得
第五十二條 兩議院ノ議員ハ議院ニ於テ發言シタル意見及表決ニ附院外ニ於テ責ヲ負フコトナシ但シ議員自ラ其ノ言論ヲ演説刊行筆記又
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