何故かこの世には不思議なことに「番外」というものがある。西国33箇所も例外ではない。それにもましてまたややこしいことには番外にも正規なものとそうでないものとがあるようだ。
西国33箇所の番外として案内書には、法起院、元慶寺、花山院の三箇所が書かれている。しかしこれ以外にも番外があるのだ。参拝者は観音めぐりを行うに納経軸を買って朱印をしていただくわけですが、この番外を入れた36箇所では埋まらない事を自覚する。私の納経軸には信州善光寺の朱印をいれて完成した。この訳は参拝した人でもわからない謎であるが、ここでは案内書に書かれた正規?の番外のみを紹介する。断っておきますが、私の納経軸は昭和60年ごろに青岸渡寺で買ったものでかなり古い。このため最近の納経軸は36箇所で良いのかもしれないので、納経軸を購入するときに確認されることをお勧めする。
法起院
西国33箇所の巡礼を創めた徳道上人が晩年に隠棲したところ。
ご詠歌「極楽は よそにはあらじ 我が心 おなじ蓮の へだてやはある」
元慶寺
西国巡礼を再興された花山法皇が落飾された寺。
ご詠歌「待てといはば いとも畏し 花山に しばしと啼かん 鳥の音もがな」
花山院
花山法皇が晩年を過ごされたところ。
ご詠歌「有馬富士 ふもとの霧は 海に似て 波かときけば 小野の松風」
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| 花山法皇像 | ○ | |
| 徳道上人像 | ||
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西国33箇所の一番札所は青岸渡寺である。これは本当か
と疑問を投げかけたい。
実は私も古来から一番札所は青岸渡寺と思っていました。ところが昭和61年に「壺阪寺」にお参りに行ったときに頂いたしおりに書かれたある文章を発見しました。
なんと古く鎌倉末期ごろまでの一番札所はボタンで有名な「長谷寺」だったとは。
ちなみに沢市、お里の壺阪霊験記で有名な「壺阪寺」は当時は3番札所だったそうです。これらは「寺門高僧記」行尊伝に記されているそうです。
現在のルートは、伊勢参宮ののち西国に向かう東国からの巡礼が盛んになってから定着したものと考えられています。
長谷寺
8番札所
ご詠歌「いく度も 参る心は 初瀬寺 山も誓ひも 深き谷川」
壺阪寺
6番札所
ご詠歌「岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭の砂も 浄土なるらん」
世話浄瑠璃「壷坂霊験記」
寛文年間(今より三百年余り昔)この壷阪寺のふもと高取町土佐に住む盲人の沢市と妻お里の夫婦愛の物語である。
美しい妻「お里」が夜ふけになると家を抜け出るので、ほかに男ができたと思い、ある夜お里の後をつけてみると、愛する夫の眼を治そうと観音様に三年の大願をかけ一身に祈願するお里の姿をみて、自分の眼を治すために通っていた妻の愛情を知り、一度は疑いをもったお里に申しわけなく思い狼谷(本堂右手朱塗りの欄干の向う)に身を投げた。
お里もあとを追って飛びおりるが不思議なことに観音様の霊験によって二人の命が助かった上に沢市の眼まであいた。
沢市はお里と共に改めて観音様にお礼を申し上げるのであった。
この「お里、沢市」の夫婦愛の物語は美しい日本女性の心をたくみに表わしたものである。
(壺阪寺パンフレットより)
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船が便りの札所はここだけ。30番の「宝厳寺」。この寺は琵琶湖内の北に位置する竹生島にある。
母と妻と私の三人でお参りした。時は平成元年5月1日。この日は竹生島へ最短乗船時間で行ける今津へ車を走らせた。今津に午前中に着いた。が、駅員の話では午前中は風が強いので欠航しているとのこと。しかし午後には就航する予定だという。風が収まるのか少々不安であったが、仕方なく駅員の言葉を信じて午後1時まで待った。午後1時を回ったころ、湖上にぽつんと黒い点がみえ、見る見る大きくなって船と分かった。待った甲斐があった。
竹生島に着いた後大きな失態を起こしていることに気がついた。
実は船に財布を置き忘れてきたようだ。下船のとき船長から口すっぱく忘れ物なきようにと言われたのに。気がついて船着き場に戻ると船は岸を離れて今津へ戻っているところだつた。船長からはお灸をすえられたが、やはり親切だ。わだわだ戻ってきてくれた。感謝しました。
宝厳寺
30番札所
ご詠歌「岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭の砂も 浄土なるらん」