楽書快評
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0189
書名 叛旗兵
著者 山田風太郎
初出 1976年 サンケイ新聞出版部
 副題に「妖説 直江兼続」とあるが、叛旗兵は直江山城守の直属の部下であった上泉主水、前田慶次郎、車丹波、岡野佐内である。叛とは岡野佐内に言わせれば「天の理のためにあえておのれの利に叛くもの」であり、かつて直江山城守が上杉景勝を担いで徳川家康に叛いた姿勢である。車丹後は「必死の叛でない叛は、もはや叛ではない」という。叛という旗を掲げて戦う兵士を指して叛旗兵と山田風太郎は呼んだのである。
 ところで、一気に読ませる山田風太郎の筆遣いで描かれた「叛旗兵」は、徳川幕府が固まっていく時代を背景として描かれている。直江山城守は養女伽羅に徳川家康の腹心である本多佐渡守の次男正重(長五郎)を婿として迎えるのを嫌い、宇喜多秀家とともに八丈島に流されていた大谷刑部の忘れ形見正木左兵衛をあえて婿とした。その婚礼の席で狼藉を働いた大名たち浅野、加藤、福島、蜂須賀、伊達、蒲生、平岡など―彼らは太閤恩顧の大名で徳川に寝返った、への意趣返しを4人の叛旗兵が行うのがこの小説のストーリーである。脇を固めるのは宮本武蔵、佐々木小次郎、猿飛佐助、可児才蔵、出雲お国、名古屋山三郎・・・である。
 4人の意趣返しは痛快に進んでいく。たとえば加藤清正である。彼が雪隠に入ったところを厠ごと担いで新築中の名古屋城に運び込み、太閤と淀とを幻想的に出現させて、名古屋城を築いている清正をなじる。「大阪とのいくさのためのこの名古屋城−その石垣を築いた者が、豊臣家への裏切り者でのうて何か」「肥後どの。・・・おぬしは家康を計ったつもりで、家康に計られておるのではないか?徳川が大阪を滅ぼすための城作りに、ただ骨を折っただけではないか?」魂消えた加藤清正であった。
 物語は京都一条下り松での蒲生秀行、浅野幸長との死闘としてクライマックスを迎える。養女伽羅が真田幸村の実子であり、また正木左兵衛が本多正重であることも明らかになる。上杉・直江がすでに徳川に叛しないことが明らかとなった。必死の叛は上杉家を滅亡に至らしめるとした直江山城守の言葉を得て、本多正重は安心して去り、伽羅と4人の叛旗兵も叛を貫く真田のもとに去って行った。
 それだけではない。本多正重にとっては寝返っていた太閤恩顧の大名たちもすでに用済みであり、彼らを魂消えさせた4人の叛旗兵の立ち回りは、本人たちの意気がりとは違って、別の役割を果たしていたといえる。本多正重と直江山城守が組んだ叛旗兵騒動は、徳川幕府への地ならしにとって有効な策謀であった。大阪の陣で上杉・直江隊へ突撃して果てた4人の叛旗兵の屍を眺めながら帰途に着く、その策謀の主もすでに「死者の列にはいったかのようであった」とは山田風太郎の言葉である。なお、直江家は山城守後、家は断絶する。徳川に一度でも叛した一族はつながってはならなかったのである。
 尾を振る者も、尾を振らぬ者も精神的に崩壊しながら歴史の舞台から去っていく。一人本多正重は、前田家の家老職を務め、徳川の目付けとして生きながらえ、その家も幕末まで役割を担っていった。伽羅のその後を書かないことが慰めであろうか。
 山田風太郎が取り組んだ明治物では維新に対抗する旧幕臣、自由民権の活動家は裏切りにあってことごとく心を病み、またヒロインは身を落としていくという悲劇を繰り返して描いた。山田風太郎は、叛という精神の高さへのわだかまりが書くことの原動力となっていたように思える。明治物に比べると、「叛旗兵」には書き込まぬことによるユーモアと救いとを感じる。直江山城守は必死の叛を貫くと見せて叛旗兵の躍動を演出した。その躍動感が物語へと読む者を惹き込む。しかし、一枚も二枚もしたたかな権力を担う人々。権力への抵抗の困難さ。この寂寥感はなんであろうか。(2010年5月28日