書名 チョコレートの箱
著者名 アガサ・クリスティ
初出 1924年 
 わたしにとってのエルキュール・ポワロは、「爆ぜる火花」である。卵頭の頭にいつも整えられたひげをつけたデビット・スーシェ。彼が演じる映画の世界が、原作より優先される。「爆ぜる火花」という形容は映画『チョコレートの箱』でヴェルジニー・メナールがくすんだベルギー警察内部でひとり輝くポワロを賞賛した言葉である。ベルギーからの亡命先イギリスで異邦人として彼は冷たい視線にさらされている(例えば「二重の手がかり」のロサコフ伯爵夫人の辛辣な語り口)。繰り返しポワロ自身が自分の犯罪推理の力を誇示する言葉として発する「灰色の脳細胞」は力みかえっていて気持ちのいい言葉ではない。ポワロがいかに成果をあげても、いつでもイギリス社会では部外者である。能力は評価されていても、それ以上ではない。ポワロはイギリスではいつも不安そうである。
それに引き換え「はぜるひばな」はポワロを包む美しい言葉である。ベルギーではポワロを爆ぜる花火として受け止める共感の社会的基盤があるのだ、と感じられる。
 残念ながら、原作には「爆ぜる花火」と言う言葉は出てこない。クリスティーの「チョコレートの箱」はポワロが犯人を間違えた失敗談であり、推理の仕掛けはチョコレートの箱の色という軽い短編小説である。そこでは、休暇中のポワロと初対面で事件の捜査を依頼するヴェルジニーの言葉は「個人的なこともお調べいただけると存じまして」(早川文庫版 訳者小倉多加志)と唐突だ。
1920年に「スタイルズ荘の怪事件」でデビューしたアガサ・クリスティが、1926年に「アクロイド殺し」で作家としてブレイクする以前の小品である。それでも、日本のミステリーに見られるおぞましい怨念が引き起こす事件や人間模様ではないところは好感が持てる。日本のそれが封建的な家族や因習との相克が背景にあるのに対して、ポワロが直面する多くは、金と毒薬の世界である。当時、先進資本主義社会であったイギリスでは金銭と契約(遺言)とが人々を結びつける。
映画の中ではどうだろう。クライブ・エクストンの脚本によって、ポワロが故郷ベルギーの思い出とともにある追慕の物語となる。デビット・スーシェの胸に飾られている花束のブローチの秘密も明らかになる。身だしなみのよいポワロの背広にはいつもブローチが飾られている。それは一人信じて捜査をしてくれたポワロへのヴェルジニーからのお礼の贈り物。爆ぜる火花は人々に幸せをもたらし、灰色の脳細胞は人々に利益をもたらす。イギリスで得るものは探偵家業の対価としてのお金。
 蛇足を。1978年、映画「ナイル殺人事件」でポワロ役を演じたピーター・ユスチノフほど私のポワロ像と似て非なる者はない。いや、それ以上に1974年に「オリエント急行殺人事件」でポワロ役を演じたアルバート・フィニーは品のない探偵であった。
(2003・10・8)

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楽書快評
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