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書名 芋粥
著者 芥川龍之介
初出 1916年 新小説
「今は昔、利仁の将軍といふ人ありけり。」とはじまるのは、「今昔物語」の有名な鎮守府将軍藤原利仁のエピソードである。これを下敷きに、芥川龍之介は「芋粥」という短編小説で、五位のこころの移り変わりをテーマにして小説に仕立てた。「今昔物語」での五位は「長年仕えて幅を利かす侍」として立ち現われている。ところが、芥川龍之介にかかると、平安時代、摂政藤原基経に仕えているみすぼらしい五位はいつも嘲笑の対象とされていた、と変えられている。この文脈の中で、同じく仕える丹波出身の青侍のみは五位に「べそをかいた『人間』」を発見し、「世の中のすべてが急に本来の下等さをあらわすように思われ」た、と語らせている。このような人間の人格の発見は、芥川龍之介による近代的な設定である。芥川龍之介はこの年の7月に東京帝国大学英文科を卒業。24歳。すでに2月に「鼻」を発表していた。
小説「芋粥」では、このような前振りの後は、時の最高権力者・基経に恪勤している藤原利仁(後に利仁将軍と呼ばれた)から妻の実家の敦賀の荘園(敦賀市御名)に誘われ、五位が芋粥を食べに行く話となる。義父は敦賀にあって「有仁といひける勢徳の者」といわれる権力と徳とを兼ね備えた強大な荘園領主として描かれている。この富は、荘園のみならず敦賀という日本海の最重要港による交易による富も含まれていたと思われる。「婿かつぎ」によってこのような富を継承した藤原利仁。この富の集積は、摂関家との良好な関係とともに、在地の土豪の骨太で強引な実力行使によるものであり、武士の発生ともつながっていく。利仁将軍は武士の発生のさきがけとなり、北国武士団の祖となる。このような人間が関与するのが「芋粥」の物語である。「人呼びの岳とてある墓(つか)の上にて」一声叫べば、都と違って芋粥が無尽蔵に集まることは、それ以外の富についても無尽蔵に集まることを暗示している。
正月、基経の館での宴の後、残肴の相伴に与っている最中に、ふと漏らした芋粥を飽きるほど食べてみたい、「あはれ、いかで暑預粥に飽かむ」とのことばを引き取り利仁将軍が望みを叶えようとする。「五位」以上が貴族である。五位は「五位」という庶民が願っても手に入れることが出来ないほどの位を最高権力者に連なることによって都では得ていた。しかし、それは芋粥さえ手に入らないほど経済的な実力と遊離した名目となってしまっていた。かたや名目をステップとして実力に箔を付けて、さらにステップアップしようとしている若かいころの利仁将軍との対比が、物語の底にある。だが芥川龍之介は今昔物語の底ではなく、近代的な個人の悩みにしか興味を覚えなかった。これは日本の歴史の継承性の中で個人を発見することではなく、近代西欧の歴史の中でいわば日本の歴史の断絶を前提に個人を発見する手法ではないかと思える。
敦賀に行く途中で藤原利仁は捕まえた狐に敦賀への言伝てを命じる。客人を伴って赴くので高島まで迎えにまいれと。狐は利仁将軍の妻にとりついて伝言を伝え、加えて「遅れまいぞ。遅れれば、おのれが、殿のご勘当をうけねばならぬ」と泣くのであった。狐をも手足のように使う利仁将軍の武人らしい偉丈夫さが、べそをかいたような五位の心と比較される。藤原利仁は藤原北家魚名流の武人貴族で東国の国司を歴任し915年 延喜15 鎮守府将軍を勤め、北斗七星(北辰)の化身といわれ、加賀富樫氏、越前斉藤氏、美濃斉藤氏などの祖となった。武人として伝説化された人物である。
利仁将軍の義父の館において、芋粥を食べることが現実となりつつあった。五位は敦賀の館の寝床の中で、一生の夢がなくなっていく寂しさをあじわう。夜が明け、山盛りの芋粥が煮立っていく。五位にとって希少価値だからこそ一生の願いなのだ。それが山盛りになって飽きるまで食べられる敦賀の館では、すでに五位の食欲は減退してしまっている。その上に使いの役割を果たした狐にまで芋粥が振る舞われる。狐を見ながら、五位はここへ来ない前の「飼主のない犬のように、朱雀大路をうろついて歩く、あわれむべき、孤独な彼である。しかし、同時にまた、芋粥に飽きたいという欲望を、ただ一人大事に守っていた、幸福な彼である。」を振り返った。芥川龍之介によって描かれた五位はこれから何を守って孤独な自分を支えていくのか。近代的な人間は自分の下等さを芋粥のような些細な夢に支えられて耐えていた。それを取り上げられて嘆く五位。芥川龍之介は次ぎのような解釈を入れる。「人間は、時として、みたされるかみたされぬか、わからない欲望のために、一生をささげてしまう。その愚をわらう者は、ひっきょう、人生に対する路傍の人にすぎない。」言いようが大げさであることが気になるが、構図が透けて見えるようで、分かりやすい小説であった。
歴史の推移を懐に収めて、なお現代に通じるものを表現するのではなく、今昔物語を切り取って自分の関心事の素材に使うとき、素材そのものに復讐されはしまいか。初期武士団のヒーローであった利仁将軍に対して現実を喪失したまま「五位」という名目にすがりつく五位との対比は、芥川龍之介の意図とは別に日本の歴史の一コマを浮き立たせている。荘園や交易を通して財力と武力を蓄え、摂関家に近づいて律令制度を超えた位置に立つことでさらに実力を身につけて勃興する貴族出身の武士団の棟梁の姿。かたや律令制の「五位」という名目にすがりながら都大路をさまよう没落貴族。次の時代に向けて摂関政治はターニングポイントであった。
夏目漱石は芥川龍之介宛の手紙で、この芋粥への批評をおこなっている。前半のくだくだしさを指摘しているものである。前半のくだくだしさは、終わりの部分の愚かな夢を抱いて人生を耐えていた幸福な過去への回想に結びつく。前半がくだくだしさであれば、終わりも蛇足と言うことになる。小宮豊隆も「かなり出来が悪い」「それはこの作者の人生に対する態度に、どこか納まっているというような態度がチラチラするからである。」(大正5「時事新報」)と述べている。新進の作家に対する文壇が受けた印象を、この批評は述べているように思う。時代が下がると、作品分析から客観的な評価が行われる。三好行雄は「芋粥」は理想の幻滅を描いただけの小説ではないと断じ、「五位は確かに欲望をとげられるその瞬間に、幻滅を味わう。しかし、彼が真に絶望したのは、自己の生の代償が巨大な五斛納釜で煮られ、狐にさえ馳走される事実に対してである。勝ち犬の恣意によって、負け犬の生が犯される。そうした不条理な人間関係の中に、作者は青侍とともに〈世の中・・・本来の下等さ〉を見たのである。」(1950年 角川文庫版あとがき)人生は自我と自我との相克の中にある、という近代的な図式を組み込んだところに作品の意義を見出している。これは見事な解である。見事な解であるが、「勝ち犬」「負け犬」の歴史的な実態には日本文学の学者は踏み込まない。作品の出来としてはやはり夏目漱石の手紙が正しいように思える。圧巻は野原を駆ける馬のひずめであり、遠ざかる狐の姿であり、騒がしく芋粥を煮る敦賀の館の賑わいであり、そこで沈んでいく五位と面白げにそれを眺める藤原利仁とその義父の姿である。
「今昔物語」に、西欧近代的に解釈された人間を浮かび上げようにも、芥川龍之介が生きた大正時代でさえ西洋近代の基盤があったかどうか。その基盤の有無をめぐって思索した夏目漱石や森鴎外は抜きんでていた。日本における近代を問わない小説は、普遍性を獲得できない。歴史や古典を題材にする場合は、不易を問い、流行を見つめることが特に必要である。その意味では成功した小説とはいえない。例えば、重松泰雄は長野嘗一や吉田精一を引きながら「『芋粥』という作品は、<原話離れ><原典離れ>の不十分な、他の『羅生門』や『鼻』に比べて、かなり独創性の薄い作品だと言わざるをえない。」(国文学第15巻第15号11月号所収 「芋粥」)と述べた。ちなみに長野嘗一は「この小説『芋粥』に関する限り、鑑賞家としての芥川、仕上工としての彼には、最高の敬意を表するが、創作家としての彼には、さほどの敬意をはらう気にはなれない。少なくとも、この作品に対する往年の評価は、大いに改められるべきものと、私は考える。」と批評している(「芥川龍之介 王朝物の背景」 長野甞一 2004年 勉誠出版)。これはまた強烈ないいまわしである。
「芋粥」を読んで思うことは、個人の発見は日本という在地の歴史を踏みしめることなしには、ありえないのではないか、という一点である。(2005/10/30)