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書名 こんなもんじゃ
著者 山崎方代
初出 2003年 文芸春秋社
文芸春秋社の編集部が、山崎方代の歌を任意に選んで任意に並べた歌集である。この中から好みの歌を任意に選んでみる。
甕の中覗いてみると薄明りの春の夕がとけこんでいた
こんなにも湯飲茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり
せきれいの白き糞より一条の湯気たちのぼるとき祈りなし
視力なき右のまなこがきりきりと音をあぐるをいとしみ守る
足もとの石ころばかりに気をとられ歩き疲れて来てしもうたよ
ここ過ぎてうれいは深し西行の歌の秘密はいまも分からない
踏みはずす板きれもなくおめおめと五十の坂をおりて行く
行末のつかぬ俺の所業にてこずって身をけずる姉が浅間町にあり
あかあかとほほけて並ぶきつね花死んでしまえばそれっきりだよ
身近な一つ一つを大切にとらえながら歌うスタイルが好ましい。「足もとの石ころばかりに気にとられ歩き疲れて来てしもうたよ」である。石ころだけではない。湯呑茶碗、土瓶、甕など日常雑器に歌が宿るのである。歌集の末に幾人かの論評がある。当たっているところもあり、勝手に読んでいるところもあり、の雰囲気である。幾つかをあげてみよう。
東海林さだおは「卓袱台の上の土瓶に心中をうちあけてより楽になりたり」を「土瓶に頷いてもらえれば、そりゃあ誰だって気持は楽になる。よかった、よかった、と楽になった方代さんを心から祝福してあげたくなる。」山崎方代は「よかった、よかった」といわれるほどに、楽になったわけではないだろう。それは土瓶との日ごろからのかえあいのようなものではないだろうか。俵万智は「こんなにも湯飲茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり」を引用して「湯呑茶碗を前にして、限りない安らぎと、それゆえのどうしょうもない極まり悪さを感じて、身悶えしているのだ。まるで初恋の人を前にした少年のように。」と過剰に解説している。なぜ、「身悶えしているのだ。まるで初恋の人を前にした少年のように」なのか。しどろもどろと身悶えは別のことである。さらに、谷川俊太郎は「このようになまけていても人生にもっとも近く詩を書いている」を取り上げて「怠けているとは、何かをしよう、何かになろうとせずに、ただそこに『いる』ことだろう。誰でもがちょっとの間ならできるだろうが、ずうっとただ『いる』のは容易なことではない。方代さんが定職も妻子ももたなかったのは、ただ『いる』自由がほしかったからだ。」と僭越な言葉を発している。そこに「いる」ことの重要性は指摘のとおりだが、高等遊民のような人生を送ってきたかもしれない谷川俊太郎に「方代さんが定職も妻子ももたなかったのは、ただ『いる』自由がほしかったからだ。」と断言される理由はない。自由が欲しくて、定職も妻子も持たなかったなどと言われる筋合いはないのだ。山崎方代が定職を持とうとしないとなぜ思うのか。
「行末のつかぬ俺の所業にてこずって身をけずる姉が浅間町にあり」と歌った姉関くみのもとで36歳から51歳まで、19歳の年違いの姉が亡くなるまで間は嫁ぎ先の関歯科医院で歯科技工士として働いていたこともあるのだ。29歳のときにチモール島での戦闘で砲弾片を浴びて右目失明。左目も視力0.01となると略年表にある。「視力なき右のまなこがきりきりと音をあぐるをいとしみ守る」と歌っている。避けることのできなかった現実の厳しさに、独特の距離感、独特のいいまわしで迫ったのが方代和歌であろう。抱えている現実の厳しさに深読みをすることなく、また強いられた現実を選び取った現実だと思い込むこともなく、生きている現実の自分とそれを歌う自分との距離のとり方に山崎方代の魅力を感じ取って行きたい。1985年に肺がんで亡くなるまで、68歳まで生きた山崎方代は本当にしっかりと生きたのである。法要が営まれた鎌倉市二階堂紅葉が谷にある瑞泉寺には「手の平に豆腐をのせていそいそといつもの角を曲がりて帰る」の歌碑が建てられている。豆腐のやわらかさの感覚と角という語の硬さに対比が面白い歌である。竹林を登った山門前のその場所には、山崎方代の歌碑の傍に吉野秀雄の歌碑や吉田松陰の訪れたことを示す碑もある。
「甕の中覗いてみると薄明りの春の夕がとけこんでいた」は取り上げてみたい歌である。一体「薄明りの春の夕」とはどのような心象スケッチであろうか。水面に映った春の夕日になにを思ったのだろうか。いや、映っているのではない。山崎方代が「薄明りの春の夕」と感じたものの総てが「とけこんで」いたのである。彼の魅力的な歌を覗いて見ると、個的な経験による表現があり、それを必ずしも一般化しようとする努力は試みられていない。受け手がそこに過剰な思い込みを投げ込みたい衝動を呼び込む。先に見た歌集の末にあった幾人かの論評にも、それが見られる。好みの歌に任意の思いを読者が編みこめる余地を、山崎方代の歌はもっている。それは危ういことでもあるが、熱心な読者を獲得もした。(2006/6/27)