楽書快評
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0129
書名 神話と国家
著者 西郷信綱
初出 1977年 平凡社選書53
 選書の最初に収められている「役行者考」は古代における亡命のことと副題が付いている書き下ろしである。この「役行者考」と次に収められている「八幡神の発生」を中心にアプローチしてみたい。
 文武天皇の代に現れた役小角(えんのおづぬ;西郷信綱はえんのおづのとかなをふっている)は修験道の伝説的な祖とされる人物である。西郷信綱はこのような人物にどうして興味を持ったのであろうか。それは大和朝廷を護る葛城山の一言主を使役し、ために「天皇を傾けんとす」とされて伊豆に流されたことにあらわれる国家との関連にある。西郷信綱はいう。「役行者−霊異記にすでに役行者という呼称を用いている−の本質は、一言主という神との関係の中に端的に現れていると見るべきである。」そこで西郷信綱はまず一言主は何者かと推論する。雄略天皇が葛城山に狩に登ったおり、尾根の向こうに天皇と同じ行列が見える。行列の主は一言主。天皇に問われて「我が悪事も一言、善事も一言、言離の神、葛城の一言主神ぞ。」そこで天皇は畏まって「わが大神、ウツシオミ有らんとは覚えざりき」と述べて、大刀、衣服を献じて山を降る。これを一言主は山口まで送った。一言主は名前から見ても託宣の神である。大和朝廷を護る土着の神々、その中心に国譲りの三輪の大物主がいる。その子で宇奈堤(うなで 高市御県坐鴨事代主神社)に坐る事代主と一言主は同体あるいは分身ではないかと、西郷信綱は考える。
 この国家守護の神である一言主を使役しようとした役行者は、高鴨神をいつく高賀茂氏の出身で「葛木ノ上ノ郡茅原村ノ人ナリ」である。一言主は「高鴨神の変形または分身であり、少なくともその眷属であるとすれば、一言主をこきつかい、それを縛った役小角の行為が、いかにただならぬものであったか分る。」と西郷信綱は述べる。ただならぬとはいかなる理由からであろうか。「彼は古代国家がその有力な基盤とする同族共同体を離脱し、それとは別の一つの世界を樹立しようとしたのである。」と。
 役小角の験力は孔雀王呪法を修していたからである。密教の秘法の一つであり、「天変、介意、祈雨、出産、病悩、疱瘡等のために修されるものだが、記録によるとやはり出産と病悩にかんする例が多い。看病禅師として宮廷に入った道鏡なども孔雀王呪法を学んでいる。」西郷信綱は役小角が、河内の出身で葛木山で修行した道鏡のように栄達する道もあったのではないかとも思いを馳せる。道鏡と同じ時代に、高賀茂氏から僧綱政治に参与した円興という人物も出ているというのだ。だが、大宝律令が制定され律令国家が成り立った時代に役小角は異端となった。その姿は行基に近いとも西郷信綱は目配せを行う。行基も又律令国家から禁圧された。だが、行基は道を歩いて布教し橋を架け慈善事業をした。これはやがて国家の利用することとなる。それに対して役小角は山林に亡命するのみであった。亡命の「命」は名籍の事であり、律令国家の基礎となる班田収受の基礎となる戸籍である。「戸籍を脱して本貫を去るのが亡命である。」「いうなれば役小角は村の生活、つまり昔ながらの共同体を棄てて山林に『亡命』したのである。彼が同族の神・一言主を鬼神として駈使し呪縛したのも、この『亡命』と不可分の関係であるはずである。」と述べ、精神史上の飛躍、絶対的な新しさと西郷信綱は断じている。共同体の轍から自ら解き放って「個人の志をもって山沢亡命の民となった」役小角は大陸伝来の道教や密教の影響を受けて、国家守護の神と転じた在来神・葛木山の一言主を使役し、また大陸伝来の統治形態・律令国家へ転換を成し遂げた天皇への「反逆行為」に等しい亡命を行った。この文脈を豊富な知識に任せて横道にそれながらも論じ尽くそうとする。役行者の時代性(律令国家の完成)と精神史の新しさ(亡命の意識性)を述べたのが「役行者考」であった。
 「八幡神の発生」も律令国家との関連で解き明かそうと試みられている。中野幡能氏の「八幡信仰史の研究」に即発されて書かれた論文である。八幡神についての柳田国男の「玉依姫考」「炭焼小五郎が事」、土田杏村の先行論文を批判しながら文章を整える進め方をしている。
 宇佐神宮には三体の神が祭られている。最初の神は比売神であると断定して西郷信綱はその性格を次のように規定する。「比売神はたんに祖神や地主神であるのではなく、巫女であり、神の母であり、そのことによって、比売神としていつき祀られたのである。」「比売神は地の女として『天つ神の霊を受けて神の御子を生』み、ともに祭られた」とする。「宇佐に祀る比売神と八幡大神とは母子の間柄であり、この一点を外すと、現にそうなっているのだが、八幡神の研究はいたずらに混乱するだろう」とも述べる。
 次に八幡神の名前についての論考である。「ヤハタ名義考」で先行した論考を次々と論難し、「灌頂幡こそ菩薩幡であり、そして八幡神のヤハタはそれにもとづく名に相違ないと私は考える。」「八幡神が『八流之幡ヲ天降テ』(託宣集)示現したというのも、垂下するこの灌頂幡の姿を彷彿させるものがあるではないか。八苦、八相、八識、八正道、八大竜王その他、仏教で重んじる『八』が、大八島、八尋殿、八百万神などの伝統的な『八』とおのずから流れあう点があるのも、右にいう意味での八幡の神の成立を容易ならしめたであろう。『三宝の奴』と称した聖武天皇であってみれば、その宣名中の『広幡ノ八幡大神』も、たんにハタをほめたというより、すでに仏法のこの幡(バン)を念頭にもつ言葉ではないかと思われる。」西郷信綱は渡来系種族の秦氏がたくさん住んだ豊の国の在地の神であるからヤハタというのではなく、焼き畑からヤハタが生まれたのでもなく、機織りの布でもなく、安鎮法を修する場合に用いる八流の幡でもなく、灌頂幡に由来するとの推測を掲げた。だが、これも直感でしかない。なお、灌頂は古代インドの帝王の即位に行われた儀式を、仏教で取り入れ、密教ではこれに深い意義を与えたものという。灌頂は、頭の上に散杖(さんじょう)という50センチほどの棒で、如来の五智を表す水(聖水)を灌ぐ儀式。灌頂幡は大きく垂れた幡で、垂れた幡が人の頂に触る様子が灌頂のようである事から名づけられている。法隆寺献納宝物に飛天が描かれた大小の灌頂幡(飛鳥時代 7世紀)があり、国宝となっている。寺伝では聖徳太子が法華勝曼経を講賛した折に掲げられたという。
 宇佐八幡が歴史上に名を馳せたのは、東大寺大仏と道鏡の件である。託宣する神である特異な性格を持つ神である。そしてこのような案件を介して国家守護の神として成長する。この国家守護の神への成長に係わるのが大神(おおが)氏である。「大神氏は中央から宇佐に差遣わされたのではなかろうか。なぜ、大神氏が選ばれたかといえば、それは大和の三輪氏(大神氏)のいつく三輪の大物主神が国つ神として宮廷『守神』であったことと関連すると思われる。」と西郷信綱は分析する。妥当な見解である。在地の宇佐氏や辛島氏ではなく、宇佐八幡の全国的な登場は大神氏によってもたらされた。「もっとも、この宇佐の大神氏が大和の大三輪氏の血を分けた同族であるかどうかは不明である。大三輪氏は古い大族の一つとして諸地方に部民を所有していただろうから、宇佐の大神氏はその裔だとも考えられる。― ―筑後国山門郡と豊後国速見郡に大神郷(和名抄)が存する。とくに速見郡大神郡は、豊後国宇佐郡に接しており、宇佐社に仕える大神氏の居住地であったはずだ。」
 さて、八幡神の歴史への登場である。その必然を西郷信綱は次のように語る。「しかし出雲の大国主と一体であるところの三輪の神は、天つ神への国つ神たちの服従ということを主題とした、いわば神話時代の守神であったに他ならない。周知のごとくこの神は蛇体であって神殿もなく、山の洞窟を棲み家とするデーモンであった。どんなに偉大であるにしても、このような原始的デーモンが大化の改新以後の律令制国家時代の守神の任にたえうるはずがない。大物主に代わって新たな鎮護の神が当然必要となったわけで、そしてその必要に応じるものとしてあらわれてきたのが八幡神であった。だが、それは、神話時代の伝統を負う大神(三輪)氏を媒介としてのみ可能であったらしい。」この辺の分析が西郷信綱の特長である。すでに同じ太陽神であっても、東大寺の大仏建立自体が古来のローカル神である天照大神から世界性をもつ仏教の大仏・廬舎那仏に国家護持を祈願する転換を示すものであった。それにふさわしい神として、西郷信綱のいうすでに仏教と一体化した八幡神の助力が必須であったというのだ。「八幡神は大物主の新たなメタルモファーゼであり、しかもそれが九州という地に成立したことに独自の意味があると考える。廬舎那仏はむしろ天照大神のメタルモファーゼと見ていいのではなかろうか。」と。あるいは「八幡神は古い神話時代の『皇孫命の近き守神』たる大物主に代わるものとして定立された護国の神であり、神々のいわば棟梁であった。だからこそそれは東大寺の鎮守になるとともに、やがて男山にも勧請されるに至ったのだ。豊前は大陸からの日本への入り口を扼する地、男山は瀬戸内からの京都への入り口を展望する要衝であった。」
 西郷信綱はこの強引で魅力的な論考の最後を次のようにまとめる。「山上に屹立する霊石から、一挙に、仏法を背負い黄金を神体とする国家守護のヤハタの神へ、それから武神へ、さらに村々の鎮守へというその閲歴に照らし、日本の神々のうち八幡神はもっとも波乱に富んだ存在であり、そのそれぞれに時代の歴史が深く刻みつけられているといえる。『炭焼小五郎が事』は、八幡神を実に『自然宗教』の見地からとらえ直そうとしてものである。現に比売神はそういう神であったし、私もこの志向を共有する。だが比売神の子・八幡神は、たんなる自然宗教の見地から眺めるにしては、いささか高く離陸した神であったということになろう。」
 この他「神話と国家」には「スメラミコト考」「イケニエについて」「神話と昔話」「古代詩歌の韻律」が収められている。それぞれにキーワードを用いた魅力的な論考である。(2006/8/7)