
書名 横井小楠
著者名 松浦玲
初出 1976年 朝日評伝選
「今までに恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南洲とだ」と勝海舟は「氷川清話」で述べている。幕末における天才的な思想家である横井小楠の恐ろしさを教えてくれたのは「文明の衝突と儒者の立場」という1973年に松浦玲が発表した論文であった。当時、幾人かの友人と会沢正志斉の「新論」など幕末思想書の読み合わせ会を行っていた。30年前の論文を今読み返しても抱えている問題は色褪せていない。この、論文を発展させたのが、朝日新聞社より評伝として書き下ろされた「横井小楠」である。この評伝に依りながら横井小楠は何が図抜けていたのか、そしてなぜに継承されなかったかを考えてみたい。
横井小楠の代表的な論文は「国是三論」である。これは五二歳の熊本藩士横井小楠が、松平春嶽の率いる越前藩に経営コンサルタントとして招聘された折りに、改革の方針として示した論文である。1960(万延元)年のことであった。三論とは富国、強兵、士道の三論であるが、要諦は富国である。横井小楠は儒学者(朱子学)である。夏殷周三代の治政に比して状況を分析し、方針を出す原理主義者である。ここで、越前藩に示した国是も日本全体へ波及し、やがては世界へ広げるための第一歩の経営方針案である。
外国との貿易について、このように言う。交易は堯舜の事跡にある。従ってこれは振興すべきものである。
「天地の気運と万国の形勢は人為を以て私する事を得ざれば、日本一国の私を以て鎖閉する事は勿論、たとひ交易を開きても鎖国の見を以て開く故開閉共に形のごとき弊害ありて長久の安全を得がたし。されば、天地の気運に乗じ万国の事情に随ひ、公共の道を以て天下を経綸すれば万方無碍にして今日の憂る所を惣て憂るに足らざるに至るべきなり。」
日本一国の利害で鎖国だ、開国だと言ってもかえって弊害が生まれるばかりである。横井小楠にとって儒学はグローバルスタンダードであり、西洋、東洋を越えた普遍的な公共の道を指し示す原理である。従って、日本のみの利害を優先させる論の立て方を行わない。開国鎖国の論議を越えた交易の必然性を主張する。水戸学や国学など前期ナショナリズムが生まれた時代に、更に高次な公共性を模索した人間がいることは驚きである。
そしてそれを実地に示す。藩が富むのが目的ではなく、民が富むのを目的にして、具体的には、越前藩の官営・官許の地域間(外国)貿易によって富を得る公共の道を提案する。これを受けて三岡八郎(後の由利公正。彼は五箇条のご誓文の原案をつくるとともに、明治初年の国家財政を担う。「日本歴史」1965年第204号掲載の「由利財政」の退場 中村尚美 参照)が、物産総会所を設立し殖産興業を実施。長崎貿易の初年度で売り上げが25万ドルに及んだと言われている。
徳川幕府の利害のみを考える「御一家の私事を経営するのみ」と幕政を批判し、英米諸国が発展した姿はより夏殷周三代の治政に近いと評価する。華盛頓(ワシントン)は三つの方針を立てたと語る。それは、争いをしない。知識を世界中から集め、そして大統領の権限を「賢に譲りて子に伝えず」「君臣の議を廃して一向公共和平をもって務めとし」としたことである。先帝三代が親子相伝をしなかったことからも血統による相続を重んじてはいない。ただし、西洋民主主義を礼賛しているわけではない。儒教に照らして正しい道であると評価しているだけである。従って、西欧的な近代個人主義を横井小楠は評価しているのではない。この点が,貴重でありまた思想的に複雑で大衆的に浸透しなかった点である。松浦玲はさらに、掘り下げて、西欧功利主義への批判分析が横井小楠において不足していたことを課題として取り上げる。
松浦玲は西洋の学(事業上の学)について、「小楠には、この事業の学の内部に立ち入って、事業の学が不道徳を生み出してくる構造を見きわめ、事業の学を拒否しあるいはつくりかえようとするまでの姿勢はない。これは朱子学の格物究理を性急に放棄した結果だと私は見る。そのため、事業の学の欠陥をカバーすることは、小楠という巨大な個性ゆえに確保している心徳の学に求めるほかはなかったのだ。小楠の学の継承されにくさも、おそらく、ここに起因する。」と論評する。自分達への課題として提起されて30年。事業の学の欠陥を乗り越える実践的な思想を2004年の今になっても私は知らない。
1866年、慶応2年4月。小楠の甥二人がアメリカ合衆国へ密航する。小楠は見事な漢詩を贈る。
明堯舜孔子之道 堯舜孔子の道を明らかにし
尽西洋器械之術 西洋器械の術を尽くさば
何止富国 なんぞ富国に止まらん
何止強兵 なんぞ強兵に止まらん
布大義於四海而巳 大義を四海に布かんのみ
西洋の知識を得るのは、日本の富国強兵のためではない。富国強兵は堯舜の大義を世界に広げるための手段だ、と言う。ここに、恐ろしくも突き抜けた横井小楠の思想の特色がある。「和魂洋才」という思想から遙かに離れた思想である。和魂というその魂の独自な在り方について儒学者が認めることはありえないはずである。記紀に依りながら和魂という特殊性論に傾いたとたん、大義は世界普遍性を失う。儒学は世界への普遍性がある学問。大義の深さが改めて問われている。
西欧モデルの近代的な自我の確立とそれを前提とした社会政治制度が必須だと説かれ、そのために100年経っても200年経っても後進資本主義の人間と社会の在り方のいびつさを指摘され続け、これからも続けられようとしている。洋才の受容の中で弱々しい和魂は溶解していったかのようである。受容の未熟さだけが強迫観念のように、相変わらず語られる。
そして公共の道に反する様な世界政治が公然と今日でも行われてる。それは黒船によって開国を迫った同じ国が同じ手口によって行いつつある。これに反対することは可能である。しかし、「布大義於四海而巳」を言う横井小楠の思想が継承されないままでは、ついには引きずられるか、感情的な反発に終わるのではないかと思う。
横井小楠は越前藩政改革とともに松平春嶽の政治参与として1862年7月から江戸藩邸に詰めて参勤交代の廃止、海軍創設などに寄与した。だが、外国公使を交えた朝廷、幕府、大名などの大会議を京都で行う計画途中で「士道忘却」を熊本藩より迫られて1863年には全国政治の舞台から退くこととなった。4年後、再び中央政界に復帰するも日本のみの富国強兵に邁進する新政府では、堯舜孔子之道は閉ざされていた。
1867年、慶応3年12月、明治政府から横井小楠登用の知らせが来る。年が明けて4月制度局判事。更に制度改正によって太政官の元に7官が置かれ、参与は議定とともに議政官の上局を構成する。その新しい参与制度(7名)には大久保利通、木戸孝允、後藤象二郎らとともに横井小楠も任命される。しかし、京都に上がった横井小楠が力を振ることはなかった。勝海舟が怖れたのは横井小楠の思想を西郷南洲が政治実践することであった。恐ろしいとは徳川幕府にとっての文脈であった。そして、明治政府にあっても「尋常の物差しでは分からない」小楠を使うのは困難であった。同じく「氷川清話」で「維新の始めに大久保すら、小楠を招いたけれど思いのほかだ、といつて居た。」と語る。日本のみの利益を優先させ、富国強兵に走ろうとしていた大久保利通には、「思いのほか」という違和感があったのだろう。
1869年、明治2年正月5日。太政官より帰宅途中、御所寺町門から出てきた横井小楠の駕籠は、寺町丸太町を下ったところで襲われる。61歳。「夷賊に同心し天主教を海内に蔓延せしめんとす」との理由で暗殺された。天才的な思想家は珍妙な誤解により志を断たれた。
(2004/1/5)
参考資料
横井小楠 松浦玲 朝日新聞社 1976年
文明の衝突と儒者の立場 松浦玲 思想NO592 1973年10月
明治維新私論 松浦玲 現代評論社 1979年
松浦玲はこの著作の中でアジア的近代を構想している。「『アジア的近代』とは、ヨーロッパ主導の近代がすなわち普遍的近代であるという状況に対抗して無理につくった消極的が概念で、言葉それ自身として無内容だから、嬉しがって使っているのでは毛頭なく、−−孫文の言うところの『西方覇道』に切替えないで、しかもヨーロッパ帝国主義の植民地にならない道、それがアジア型近代である。」と語る。
「仁」と「三代之道」 沼田哲 日本歴史NO332 1976年1月
「由利財政」の退場 中村尚美 日本歴史NO204 1965年5月
横井小楠について 竹内良知 現代思想vol4−4 1976年4月
横井小楠と長岡監物 鎌田浩 暗河第4号 1974年
横井小楠小特集 環vol5 2001年
この小特集で、渡辺京二は横井小楠を論じて、「小楠は利害をしりぞけて公明正大の仁心に立つ道義的世界を地球規模で実現しようと望んだ。西洋対日本、西洋対東洋という対抗意識は彼には存在せず、その意味では彼は近代ナショナリズム以前の儒学的普遍主義者だった。彼の国家観は到来しつつある近代に明らかに不適合だっだのである。だが、その不適合に私は今日における思想家小楠の意義を認める。小楠、西郷、海舟らに共有された東アジア的道義国家の理想は、現実の近代に対して迂遠であればあっただけ、もうひとつの、いまだ実現されざる近代として、われわれの夢を誘うのではあるまいか。」と結んでいる。(「還」2001年5月vol5「小楠の道義的国家像」)
特集「今 明治維新を問う」 環vol13 2003年
石津達也は次のように論点を提示している。横井小楠の思索が明治政府の施政方針「五箇条のご誓文」へ連なり、また康有為の国是へと広がっていき、他方熊本では明治3年実学派の藩政府により革新的な税制が実施されたことにも連なる。(「環」2003 vol13「康有為と明治維新」石津達也)。
横井小楠 源了圓 新版日本の思想家上 朝日新聞社1975年
横井小楠 圭室諦成 吉川弘文館 1967年
横井小楠 堤克彦 西日本新聞社 1999年
先駆者の思想 徳間書店 1966年
幕末思想集 日本の思想20 筑摩書房 1969年
日本思想体系55 1971年
佐伝 松枝茂夫訳 徳間書店 1997年
肥後と柳川の人びと 松浦玲 小説歴史 1975年冬
氷川清話 勝海舟 講談社学術文庫 江藤淳・松浦玲編
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