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書名 龍の子太郎
著者 松谷みよ子
初出 1960年 講談社
上田駅から上田電鉄で別所温泉に向うと、塩田平が開ける。この塩田平の伝説に基づいて松谷みよ子が長編童話「龍の子太郎」を編み出した。松谷みよ子の「作品覚書」には「わたしの一生を変えた」信州への民話の採集が語られている。それは小県中塩田で聞いた「大蛇を母として生まれ、うろこの形をした三つのあざを持った」小泉村の小太郎の物語である。怠け者の小太郎が手伝いの心算で採ってきた萩がはねたために、養ってくれたばばを喪った話である。他方、松本まで行くと成長し母の龍の背中に乗って湖の水を切って落として松本・安曇の平野を開いた小太郎の物語と出会う。「水とたたかうといいながらだれかが人柱になる物語が多い中で、なんとこの話は雄大で前向きだろう。それなのに、信州の人たちですらこの物語をわすれ去ろうとしている。わたしは太郎をよみがえらせ、新しい民話の主人公を出発させたいと思った。」とその意図が述べられている。
「龍の子太郎」は第一回講談社児童文学新人賞となり、また62年には国際アンデルセン賞優良賞を受賞した。時代を切り取った作品であったといえる。それはまた地方のにおいを失ったことにもなろう。
ばばに育てられた小太郎は野山を駆け巡って遊びほうけていた。ところが、死んでしまったと思っていた母が龍となって生きているらしいことをばばから聞き、母探しの旅に立つ。母龍は両眼を小太郎の乳代わりに与えて遠くに去っていってしまった。母探しに与えた試練は「つよい、かしこい子になって、わたしを訪ねてきてくれたら」という言葉である。強く賢いという中身を松谷みよ子がどのように考えているかは、母探しの旅でやがて明らかにされる。母恋、母探しは「恋しくば尋ね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」の白狐葛の葉と安部保名その子童子丸の物語にもみられるように古典的な物語である。だが、松谷みよ子は母子愛・家族愛のみに完結させず、ひろく人々全ての愛へと合致させようとした。「龍の子太郎」の特色は、ここにある。そして、この合致のつなぎは物質的な豊かさの実現であった。高度成長期の日本の当時の状況からこのような物語の構成が可能となったと思える。
水源を握ることで農民を搾取する黒鬼、朝から晩まで小作人を働かせて富を蓄えようとしたにわとり長者を負かすことで、龍の子太郎は農民が望んでいるものを自分の夢とし、豊かな穀倉地帯を作り出そうとする。
隠れ住む湖で母龍に会い、母が自然共同体のタブーを破ったために(岩魚三匹を独り占めにして食べた)龍になったことを聞かされ、そのタブーが農村の貧しさから発していることを感じて、母龍と共にその湖を囲う山を突き破って、広く豊かな耕作地を出現させた。
「おかあさん、おねがいだ。このみずうみをおらにくろ。おら、山をきりひらきて水をながし、ここに、見わたすかぎりの田んぼをつくって、山の人たちをよびあつめたい。そして、みんなが、はらいっぱいくえるくらしをつくりたい。せば、もうおかあさんのようにかなしいおもいをする人はいなくなるんだ。」
こうして母龍も自分が犯した自分ひとりの欲望のために共同の財産(岩魚)を独り占めした償いを行うことができ、人間の戻ることができたのである。「おまえがわたしを人間にしてくれたのだよ。」と述懐することばは、感動的である。強く賢いとは、農村を新しく切り開く指導者としての資質を暗示したものであった。
対外侵略の心性に響きあった桃太郎の伝説とは違い(それを風刺した芥川龍之介の小説「桃太郎」、1917年発表がある)、また王権護持を物語る源頼光の酒呑童子退治につながる足柄山の金太郎伝説とも違った、新たな民話を松谷みよ子は志したのである。だが、湖を干しあげて、耕地とすることは、母龍の住処を奪うことに暗示されるように、他方では自然破壊でもある。このような課題が当時の思想的な水準では、射程に入っていなかったもの無理はない。問題は、母子愛・家族愛という個人の幸せにかかわることを、社会の生産力向上に結びつける手法への評価である。物質的な豊かさへのあくなき追求は、それもにわとり長者のように富を独占するのではない社会のあり方でも、危うい要素を含んでいるのである。物質的な豊かさそのものが問われる時代となり、そのなかでどのような民話が可能なのか、考えるときであると思う。
もう一つ、興味がある。それは塩田平の民話はどうして母探しの旅のない物語なのか、ということである。塩田平と松本・安曇地方の二つの物語を結びつけることは、新たな民話としては成り立つだろうが、個々の民話の特色も大切であるとも思う。「民話紙芝居『小泉小太郎』」のホームページで中塩田小学校の教師を勤めた深町修司は次のような思い出を語っている。「6月の入梅の頃から『田植えが始まった』『水不足で困っている』などの話題から始め水争い、水番、雨乞い、など水にまつわるさまざまな話が、学級の朝の話題となった。その中から水にまつわるさまざまな伝承も出てきた。その中でみんなが興味を持ったのは、毎日見ている独鈷山、産川にまつわる小泉小太郎の話である。」「たとえば原作では、村人達は湖の水が流れ出してその後に、広い田畑が出きる事を一番願っていたが、塩田の子どもたちはそれより水不足に苦しむ、農民の水への願望を強く打ち出すよう、自分達の土地の言葉でせりふを作った。」平安時代には条里制がおこなわれ、既に鎌倉時代から二毛作が行われていたという塩田平は豊かな穀倉地帯である。また信州の鎌倉といわれるほど高い文化が根付いた地域でもある。安楽寺の八角三重塔など国宝もある。他にも北向観音、常楽寺の多宝塔、中善寺の薬師堂、前山寺、大法寺などが数えられる。経済的な背景を考えることができる。ただし、慢性的な水不足に悩まされる地域でもある。千曲川左岸に広がる標高400〜500メートルの地帯であり、土壌は粘土質で水田に向いている。ただし、年間降水量が約900ミリしかなく、江戸時代の宝永から天保にかけて干ばつが9回も起きている。近くは大正13(1917)年にコメを俵にした家は一軒もなかったといわれている。(「長野県土地改良のしるべ」http://www.nag-doren.or.jp/shirube/shirube02/shirube02_10.htm)。龍伝説は水への憧れであろう。塩田平には150近くのたくさんの溜池がある。そしてたくさんの水の伝承を持っている。(塩田のため池http://www.pref.nagano.jp/seikan/sato/agriobje/08sioda/00top.htm)。「水争い、水番、雨乞い」に関心があるのは当然であろう。したがって、湖を破って穀倉地帯を出現させるという伝承は在地の塩田平では生まれようもない。生産力信仰が基調にある「龍の子太郎」は今から見るときれいすぎる民話である。(2006/8/12)