楽書快評
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 書名 平安妖異伝
著者 平岩弓枝
初出 2000年 新潮社(小説新潮1999年5月号〜2000年2月号)
 「人はまだ、人ならぬものの気配に畏れを懐く時代」華やかな京の都に現れる老桜や楽器の精が引き起こす妖異に藤原道長と楽所の頭の三男秦真比呂とが立ち向かう物語である。妖異を起こすものの精にはそれぞれのいわれがある。そのいわれを解きほぐすことで妖異を鎮めることができる。
 最初の物語は道長の父・兼家のこだわりが起こした悲劇である。二条京極邸にある樹齢500年の五百桜は土に還る時に当たって、今一度の花の盛りを強要されたために兼家に取り付いたのであった。それを五百桜の精は「自然の命を黄金によって買い戻そうとする天命にそむく行い」として非難している。西域の血の流れている秦真比呂が奏でる篳篥「亀滋」の音に導かれて五百桜は望みの「穏やかに、土に還り、静かに睡」りにつく。
 藤原道長はまだ若く、兄道隆が氏の長者を兼家から引き継いでわが世の春を謳歌した時代の話である。ここに描かれている中納言道長は一族間の対立にも加わらず、一族に絡み付いてくる妖異に雄雄しく立ち向かうさわやかな人物として登場している。このような道長を平岩弓枝が小説の狂言周しに選んだのかは分からない。後の世からみれば権力への執着によって最も物の怪を呼び起こす人物としてみなすことができる道長の、探偵気取りの姿には、いささか腑に落ちないものがある。
 ここに登場するのは父兼家、姉詮子(円融天皇妃 一条天皇母)、兄道隆、その子伊周、隆家、定子(一条天皇中宮)、道長の妻倫子とその父源雅信、同じく妻明子とその亡父源高明、そして源頼光とその娘光姫である。これらの人物をつなぐ糸は969年(安和2)に起こされた安和の変である。藤原北家の意向を受けた多田源氏・源満仲が、為平親王(妻が高明の娘)を擁立して左大臣源高明が陰謀を企てている、と密告した事件である。高明は大宰府員外権帥に左遷させられた。これにより藤原氏による摂関政治の体制が固まっていく。安和の変の当事者の一人伊尹は兼家の兄である。実行した源満仲の子には河内源氏の祖となる頼信と摂津源氏の祖となる頼光がいた。河内源氏は頼義・義家・義親・為義と続き頼朝によって武家政権を築くことになる。なお、「平安妖異伝」では妻明子と倫子とは同じように道長が扱ったように描かれているが、実際は倫子の子供たちが優遇されている。頼道、教通、一条天皇中宮彰子、三条天皇中宮妍子、後一条天皇中宮威子、後朱雀天皇皇后嬉子は全て倫子の所産である。だが、平岩弓枝はこのようなおぞましい政治の争いに足を踏み入れない。あくまでも背景として物語のついでに述べられるに過ぎない。
 史実では源頼光は兼家の四男道綱を娘婿としている。さらに道長の信任も厚かった人物である。「平安妖異伝」では娘であり、琵琶の名手である光姫は富と権力、愛憎の渦巻く宮廷から牛車を引く黒牛に導かれて来世へ飛び立つ。これにかかわったのも秦真比呂の奏でる琵琶「曙光」であった。
 道長の妻の一人である明子の父は元左大臣源高明であった。安和の変で、高明は藤原氏によって罪を着せられ恨みの中で亡くなっていった。残された別宅・西宮殿は荒れ果てたままになっていた。その西宮殿跡で高明の三男源俊賢(藤原公任、藤原斉信、藤原行成と並んで四納言と呼ばれ、藤原氏の摂関政治を支えた有能な官僚)の家人三宅広元がミイラのようになって発見された。道長も?道士の使うあやかしによって危うく三宅広元のようになるところを、秦真比呂が吹く笛「大水龍」によって救い出される。このように主に楽器の精をめぐる妖異伝10篇がまとめられたのが「平安妖異伝」である。平安時代は天皇家と藤原氏の幾重にも重ねられた血の系譜が形作られ、その中で激烈な権力闘争が繰り広げられた。敗北した一族は勝者にすがりながら命運を保つしか方法がない濃厚な時代であった。妖異はそのようにして生きる貴族社会の人々が自ら抱いた闇の中から生まれる。しかし、平岩弓枝はその闇に入り込まない。覗いては引き返してくる。
 藤原道長を狂言回しとすると、輝ける主人公は秦真比呂である。彼は父を宮廷の楽団(大内楽所)の長(楽頭)に持ち、二人の兄も楽団(伶人)に属している。三男の真比呂だけは母が西域の血を引いているとの設定である。覗いては引き返してくることができるのは、日本以外の西域の血を対比する小説の構図によって可能となっている。母が「月光の中で女神が愛らしい子を授けた」霊夢を見て身籠ったという伝承をもち、どのような楽器も瞬く間に会得してしまう秦真比呂。特に篳篥は西域から渡来した楽器のためか、父も真似のできない旋律を奏でることができるとされている。高麗国や宋国にも数日で行って帰ってくる不思議な少年である。その少年もやがて10篇の妖異伝をつむいだ後に去っていく。
 残された道長は、権力へのこだわりを持って平安の世に妖異を引き起こす側に立つのかもしれない。こだわりを超越した真比呂に未練を持つ道長は「もう一度、聞きたい。あの『春鶯囀』を今一度、聞くことが出来たなら、富も官位も、なにもかも要らない」と叫ぶ。これを真比呂はたしなめて言う。「美しい楽の音は、代償を求めません。それを希む人の心に、いつでも湧き上がって参ります。」真比呂に代わって梅の花が歌いだす。
 父は月天子にして空に有り
 母は伎芸天なるが故に楽の内に棲む 
 その子、何処行かむ 
 空は渺々
 人は眇々

 (2006/12/21)