0141
書名 異形武夫
著者 高橋直樹
初出 2001年 新潮社(1998年11月〜1999年12月 小説新潮)
吉田兼好が時々顔を覗かせる3篇の小説をつないだのが「異形武夫」である。高橋直樹が描いた3篇のそれぞれの主人公は楠木正成、千種忠顕、高師直という異形の「武」夫である。楠木正成を扱った「葛の楠木」が優れ、好みで言えば高師直を扱った「悪名」がよく、千種忠顕の「われ、白鳥の皇子とならん」は評価が低い。
楠木正成の人物像は優れた描写である。東国武士でもなく、ましてや貴族でもない畿内の土豪のしたたかな人物が「葛の楠木」に現れている。吉田兼好は高師直の和歌の代作など権力者に取り入って世過ぎする人物として登場する。「山犬は山犬のみに従い、上に知りません」と語る兼好も、砂金の魅力につかれて今日は高師直、明日は楠木正成を訪れる。「正成はすぐに親しくなれた。正成は保守派貴族以外の誰からも好かれることで評判だったが、兼好にはその理由がよくわかる。正成は人の心をよく察し、決して相手が言ってほしくない言葉は口にしなかった。」経済的に豊かな、そして世慣れた土豪の風格であろうか。
彼は高師直に建武の親政に参加した理由を飾りげなく言う。湊川の戦いの場面である。「執事どの、それがしがお上にお味方申し上げた、なによりの理由は官位にござる。いかに無頼らしく構えておろうが、悪党は僻みが強い。」だが、そんなことは理由の一つにしか過ぎないだろう。畿内に定着した北条得宗被官であると見られる楠木正成が、商業活動も含めた政治的発展を見込んで蜂起したのが建武の新政に加わった理由であろう。湊川の戦いの前には、後醍醐天皇に新田義貞を切り、足利尊氏と和睦することを勧めているのである。勧める分けを尋ねられて武家を朝廷の飼い犬に戻すことはできないこと、新田義貞は武家の棟梁にはなれないこと。従って足利尊氏と和睦して武家との協調による政権維持を説いたのである。それは在地の要求でもあった。しかし、天皇親政にこだわる後醍醐天皇に受け入れられようもなく、湊川での孤立的な戦いを自ら望んだ。そして先のような高師直と楠木正成との会見の場面を高橋直樹は用意した。「不細工ないくさをして足利殿にはご迷惑をおかけした。これがお上の信任をたまわり殿上人に成り上がった正成の、なれの果てにございます。背負ったものが重すぎ、もはや昔のごとき気ままないくさはでき申さぬ。分限を超えて成り上がった悪党は、恥をかかずしては、己の生涯を全うすることもできませぬのじゃ。」珍味の砂糖もかなわぬふるさとの味・葛を振舞って分かれの儀式は終わる。湊川の戦いのあと、吉野に攻め入り南朝を武力で壊滅させた高師直も、やがて無残な最期を遂げることになる。それに比べれば楠木正成の最後は美しいとでもいえようか。だが、次のない場所に追い込まれたが故の諦めが色濃く感じられる美しさである。
高師直の存在感は「異形武夫」を覆っている。そこに至る前に貴族という優秀な階層は武においても優れていなければならないと錯覚した中級貴族出の千種忠顕の物語「われ、白鳥の皇子とならん」を読まなければならない。その「文」はもちろん「武」においても武家に上に立つのが貴種だ、というのが後醍醐天皇の信念であり、千種忠顕はそれを実践しようとしている、と高橋直樹は語る。千種忠顕をしてこのように語らしめている。「武家の心が帝の御新政を滅ぼす。武家は張り合うべき相手ではなかった。この世から抹殺すべき者どもだったのだ。」だが、ご恩と奉公によって結びついた武家の組織的な武力には勝つことはできない。抹殺されたのは貴種の思想である。例えば千種たちを攻め立てる足利軍の対応が貴族たちの「武」への錯覚を明らかにする。「『うぬら、天下に武勇を知られた坂東武士であろう。わしと一騎打ちせんか、越しぬけども』歯を剥き出してわめく巌童子。しかし武者たちはせせら笑った。『うぬと一騎打ちしたとて、たいした恩賞にはならんわ。』武者たちは巌童子を遠巻きにして、矢で攻めはじめた。」こうして比叡山にたて篭った持明院統の勢力は崩され、千種忠顕もその中で命を失っていった。ヤマトタケルに自分をダブらせて、白鳥伝説を忠顕は掲げたように物語をすすめているが、藤原氏の末流である千種家の出身者が「皇子」を名乗れるはずもない。小説としても最初のコンセプトで間違っている、と思う。皇子というならば、後醍醐天皇の皇子たち、例えば護良親王を主人公にした方が適していたのではないだろうか。
最後の小説は高師直の「悪名」である。だが、この悪名の高い高師直は鎌倉時代末期から戦国初期に至るまでの時代で、魅力的な人物の一人であると思う。戦国期の織田信長に勝るとも劣らない人物である。高師直は足利家の執事の家系である。そして足利軍最強の軍団を保持している。その軍団の特徴を高橋直樹は「師直は誰よりも早く、地縁血縁で結ばれた一族郎党によるいくさの限界を、察していたようだ。彼は勝つために何をすればよいか、直感力でつかんでいた武将だったはずだった。」四条畷の戦いで正成の嫡男・楠木正行に勝利した高師直にも落日が訪れる。それを琵琶湖の舟遊びで悟る。魚師がいう。「この強くさかんな陽ざし、いまも真夏のそれと変わらぬように感じられますが、じつは真夏の勢いはまったくございませぬ。勢いさかんに見えて夏の命脈尽きんとしていること、船底に入らればたちまち合点あそばされるはず。」
足利尊氏を頂き、その弟直義派閥と争う高師直に、源氏嫡流を滅亡させた北条一族のような腹黒さはなかった。それは高一族が北条政子という源氏嫡流の母をもたず、足利嫡流の母は上杉家から出ていたことも作用していたであろう。高師直一族の最後は政敵直義派であり、かつて父重能を抹殺された上杉蔵人達の手に委ねられた。状況はさらに展開する。高師直一族族滅の後には足利直義一派の粛清が用意されていた。
こうして「異形武夫」3篇の小説は終わる。吉田兼好は永遠であるのだろうか。建武の中興という魅力的な時代を生き抜いた吉田兼好の「徒然草」は異形武夫の「武」以上に魅力的な「文」であったのだろうか。(2006/12/26)