楽書快評
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書名 シルクロードと唐帝国
著者 森安孝夫
初出 2007年2月 講談社
 「明治維新以降の近代日本は欧米に倣って国家建設を行い、西洋中心史観をそのままに受容し、近代化の名のもと欧米列国と共にアジア諸国に多大の苦痛を与えた。」と森安孝夫は語る。そして歴史の見方を根本から変える必要性を述べている。教科書が示す四大文明をばらばらにとらえるのではなく、「近代以前において地上最強の軍事力を誇った中央ユーラシア遊牧騎馬民族の動向と、これら諸文明圏を結びつけ」て把握する必要があるとの視点から唐帝国(618年から907年までの300年間)を題材にして分析したのが本書である。日本列島は中国の圧倒的な経済文化的な影響下にあった。少なくとも明治維新による欧化政策が始まるまでは。森安孝夫はこれを「飛鳥・奈良時代から平安時代前期の日本にとって大唐帝国は、いわば唯一無二の絶対的存在であった。百済・新羅や渤海があったとはいえ、それらはいずれも漢字と律令と仏教文化を受け継いだ東アジア文明圏の兄弟であのようなものであって、父であり母であり師匠であったのはひとえに唐であった。」にもかかわらず、現在の日本列島に住む人々はこれらの歴史の蓄積を忘れ、人類の文明文化の歴史はユーラシア大陸の西のはずれにあって長く後進地域であったヨーロッパが作り出したと誤解している。近代国家の枠組みから、歴史を虚構する西洋中心史観、そして中華主義思想とも異なる歴史の叙述を森安孝夫は試みている。
 民族主義的な歴史の「捏造」を嫌う森安孝夫が叙述の主眼としたのは、シルクロード史と表裏一体のソグト人東方発展史、唐建国史とその前後における突厥(とつくつ)の動向、安史の乱による唐の変容とウイグルの活動の三点である。それは「中国を中華主義の呪縛から解き放つ」ことでもある。「草原を本拠地とする遊牧民族は決して客人ではなく、農耕漢民族と並ぶもう一方の主人であったからである。」五胡十国時代以前の西晋の文官である江統はすでに関中(長安を中心とする渭水流域とその周辺)の人口百余万のうち半分は戒狄であると述べているのを、森安孝夫は紹介している。北斉、北周に取って替わり、「江南までも手中に収めて再び全中国を統一した隋・唐は、いずれも鮮卑拓跋部の出身者が開いた王朝であるから、鮮卑系諸王朝とか『拓跋国家』(杉山正明)と総称してよい。」日本列島に住む人々にとって長く父であり母であり師匠であった中国は、イコール漢民族ではなく、農耕漢民族と遊牧民族との融合したものであったのである。別言すれば、奈良・平安時代の中国文化受容は鮮卑系王国・『拓跋国家』からの受容であったのである。
 唐を築いた人々は何者であったのか。中国東北部の大興安嶺方面の遊牧民族鮮卑が中国本土に建国した北魏(鮮卑族拓跋氏)から発する。北方に台頭した柔然や高車などの遊牧民族を防ぐために北魏は六つの辺境軍鎮「六鎮」を配置した。北魏が漢化政策を進め、ために辺境軍鎮への待遇悪化をきたし、523年に六鎮の乱が起こり、西魏と東魏とに分裂する。西魏を起こしたのが、現在の内モンゴル自治区フフトホの北方に置かれた武川鎮の出身者である。西魏のみではない。西魏から宇文氏の北周が起こり、次に楊氏が隋を起こした。そして次に起こったのが隋の山西省太原留守を預かっていた李淵である。李氏が618年に建国したのが唐である。
 鮮卑系王国である隋・唐を語るときシルクロードの存在を無視できない。
 近代以前、ユーラシア大陸の諸文明を結び付けていたのはシルクロードであった。このシルクロード貿易を支配していたのがソグト商人であり、森安孝夫はこれに注目して一国史観による歴史捏造を退けようとする。ソグト人はすでに歴史の波に飲み込まれてしまっているが、パミール高原から北西に流れアラル海に注ぐアム河とシル河に囲まれ、同じくパミールから流れて砂漠に消えるザラフシャン河やカシュカ河によって潤されていたソグディアナが故郷である(現在のウズベキスタン国とタジキスタン国の一部領域)。サマルカンド(康国)、キシュ(史国、現在名ハシャフリ=サブス)、クシャーニヤ(何国)、ブハラ(安国)、チャーチ(石国、現在名タシケント)、カブーダン(曹国)、ウスルーシャナ(東曹国)、イシュテキハン(西曹国)、マーイムルグ(米国、現在名ペンジケン)などの都市国家が存在した。「ソグト人は人種的にはコーカソイドであり、身体的特徴としてはいわゆる『紅毛碧眼』で代表されようが、より具体的には白皙、緑や青い瞳、深目、高鼻、濃い鬚、亜麻色・栗色ないしはブルネットの巻き毛が挙げられる。言語は、今は滅びたソグト語である。彼らはこれらの地域で農業を営むと共に商人や軍人としてシルクロード各地に広がっていった。李淵が起こった時、原州(固原)の史氏や涼州の安氏などのソグト人はこれに帰属した。唐が西域に進出するとソグト人石万年に率いられた伊吾(ハミ)地方の7城が唐に服属する。こうして西域をあらわす胡が拡がる。胡桃、胡麻、胡瓜、胡坐、胡粉、胡椒、胡床、胡瓶である。胡服は3000年前にユーラシアの騎馬民族が着ていたもので(「史記」に趙の武霊王が「胡服騎射」の風習を採用したとの記述があるように)、現在の日本人が普段に着ているズボン、開襟の上着はヨーロッパ経由で入って来て「洋服」と誤って呼ばれたものであることを森安孝夫は紹介している。李白は「落花踏み尽くして何れの処にか遊ぶ、笑って入る胡姫酒肆の中」「鞭を揮いて直ちに胡姫に就きて飲む」と歌い、白居易は踊り回る女性を「胡旋女」と詠んだ。李端も「胡騰、身は是涼州の児、肌膚は玉の如く鼻は錐の如し」と歌っている、とも紹介している。
 歴史を近代的国家的な意味における国境で分けるのでは、史実をゆがめてしまう。ユーラシアのシルクロードを行き来したソグト人たちは本国ソグディアナが8世紀中葉にアッバース朝の直接支配下に入り、各地に土着した人々も混血を繰り返して消滅して行った。ソグト人を含めユーラシア大陸の長い歴史の蓄積を受容して、大陸の東端の日本列島も存在してきたのである。西洋中心史観やそれを土台としつつ偏狭な民族・愛国史観を振り回すのは「美しい」ことではない。(2007/3/30)