書名 日本の道教遺跡を歩く
著者名 福永光司 千田稔 高橋徹
初出 1986年1月−1987年4月 朝日新聞大阪本社版文化面
日本の神社には道教の影響が計り知れないと思っている。特に、宇佐八幡を見た折りにはその考えを深めた。「日本の道教遺跡を歩く」は日本固有の文化と思われていたものが、実は道教(唐の時代には、国教であった)の影響を得て形作られてきたことを分かり易く解き明かしたものである。これは、現在、朝日新聞社の朝日選書737 「日本の道教遺跡を歩く」で読むことができる。
日本古来からの伝統、固有の文化がどのように古来なのか、いつ頃からの伝統なのか、明らかにされないまま、情緒的に語られる傾向が強い。東アジアの一角にある日本という地域が、人々の交流によって作り出されてきたこと、従って生活文化様式も様々な交流によって積みあげられてきたことは明らかなことであろう。また、日本という地域であっても南から北まで単色の積み上げ方でまとまっていたなどと想定すること自体が難しい。 儒教や仏教の舶来思想の影響は論じられてきたが、道教の影響は必要以上に軽んじられてきた。「日本の道教遺跡を歩く」は
道教の影響を遺跡の実体を以て評価を正しくしようとする意図によって描かれている。
たとえば、伊勢神宮である。「天照大神は、道教の最高神である北極星=天帝と同一のもの」であることを明らかにしている。そして「八角墳」では天武・持統陵に関して八角墳であることが斉明天皇一族の特色であること、その位置が藤原京(を企画したのが天武天皇であり、造営したのが持統天皇)から真南にあり、これは道教にいう南方の朱宮(死後に最初に至るところ)とみられ、死後の宮殿と位置づける。その後、道教では神仙となって東方の東海青童君の治める東華宮に遊ぶとされている。すなわち、伊勢神宮である。この、斉明天皇一族は近江の息長氏の系譜である、と言及している。ただし、この息長氏の系譜についての論述は不足していると思われる。
「歩く」では、個々の分析は深められていない。岐阜の南宮大社が道教に言う仙人達の住む南宮に由来する、という見解を出す。そして、同じ南宮として、諏訪大社や伊賀国の敢国(あえくに)神社(「梁塵秘抄」)を挙げている。さらに詳しい話を聞きたいところである。また、宇佐神社については「香春・宇佐」で、「『八幡大神』とは、道教の最高神の古代日本的表現であったのだ」と規定している。八幡の由来についても、八角墳の八と同じく八は道教では天地宇宙全体を象徴するもの。幡は神の依り代と見なしている。「宇佐託宣集」(巻5)に「辛国の城に始めて八流の幡を天降りて、吾は日本神となれり」と述べているのを引用している。この見解にも詳しい分析を今後期待したい。
「歩く」の理論的なバックボーンの一端は第2部 道教についてと題して福永光司が論じている。その中では、「天皇」が道教の神であることを明らかにしている。また、宇佐八幡についても、ご神体の水草の薦(こも)は祖宮と呼ばれる大貞八幡神社(大貞;「周礼」にいう国家的大事の卜定。薦神社)の巨大な灌漑用水池に生じたものが使われているという。薦は「周礼」や「説文」では神への供物となっている、など豊富な中国宗教思想書が引用されている。神道が日本独自であるという先入観念が間違いであることが、この「歩く」によってまたひとつ明らかにされた。
私も友人と宇佐八幡を歩いた。その折りにK氏がまとめた「宇佐八幡について考える」がホームページ「紙老虎」にあるので是非見て欲しい、と思う。

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