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書名 新編琅かん記
著者 新村出(編 新村徹)
初出 1994年9月1日 講談社文芸文庫
新村出は「広辞苑」の編者として名高い。1930年に出版した「琅かん記」(改造社 「かん」は王に干)を孫・新村徹が編みなおしたのが「新編 琅ろう記」(1980年 旺文社文庫)である。新村出は自ら南蛮癖と称しているが「新編 琅かん記」には南蛮の臭いが強くでている。日本語の中に南蛮渡来のものの名がそれと知らずにたくさん含まれていることに興味がわく。そして、純潔な日本文化を想定することの無意味さがよく分かる。
たとえば「三国一」という言い方があるが、三国はどこなのであろうか。「唐土天竺我朝」である。中国・印度・日本が三国である。グローバルな発想でないか。「日本晴」は足利時代の海外渡航自由な雰囲気から、新村出の言い方に従えば「当時海上生活に慣れて、気宇雄大であった国民の思想界から生まれたものであろう。」と推断することから「新編 琅?記」が始められている。どんなにたくさんのものが幾多の地域から古代以来、日本列島にもたらされてきたことであろうか。合羽(かっぱ)やボタンはポルトガル語、メリヤスはスペイン語など衣服類や食べ物に多い。縞模様という着物の柄がある。縞模様は上品な柄ではない。島伝い渡ってきた着物であるから「シマ」というのであろうと述べている。日本の古代に倭文とかいて「シズ」と読ませる文様があり、なぜシズというのか疑問に思っていた。新村出によれば、シズは「島の意のスヂ」ではないかと推測している。食べ物については後でたくさん触れてみたい。
京都に先斗町(ぽんとちょう)がある。ぽんと、とはなんであろうか。新村出はポルトガル語のポンタは崎、岬の由である。カルタ遊びのポンタは「先」の意味で、慶長寛永年間から元禄にかけて日本では広まったと推測する。そして袋状の新開の町にそのポントがつけられたと見なしている。新村出いわく「京都のポント町のは、少しまわりくどくいったんカルタ用語になったのが、博打などをやる遊客連によっていたずら半分、しゃれまじりに命名されたものであろうと考えられる。」単に、ポルトガル語から先斗町が名付けられたというのではなく、名付けられるまでの経過を、あれやこれやと書物を漁りながら跡づけていくのが南蛮癖の本骨頂であろう。
「牛肉史談」では、徳川家康が1616年・元和2年の正月に駿府城にご機嫌伺いに来た貿易商茶屋四郎次郎の進めた鯛のテンプラに当たって急性腸胃カタルから亡くなった、という故事から始まり牛豚を食べる話に及んでいる。小田原征伐の折りにキリシタン大名高山右近に細川忠興と福島政則とが陣中で牛肉を食べさせてもらった話、京都では吉利支丹流行の時代には牛肉をワカと名付けて珍重した話などが述べられている。1785年・天明5年に長崎に遊んだ司馬江漢は日記に出島で牛肉を食べた印象を「味鴨の如し」と書いている。牛は日本語のシが朝鮮語のソと同語根であり、朝鮮語では牛をソということから大陸・半島渡りの言葉であろうとし、また、豚はぶたぶたしているから豚というのではないというのみで、ブタについては確定した語源は明らかにしていない。ただ、一ツ橋時代の徳川慶喜は豚肉が好きで「ブタ一」という仇名がつけられていた、という話題を紹介している。徳川幕府最初の将軍家康から始まり、最後の将軍慶喜に至る話である。食べ物の話が続く。南瓜が瓜類の産地として名高いカンボジアから来ていることは知られた話である。それで終わらないのが新村出である。南瓜は江戸時代にはボウブラといったともあり、これはポルトガル語のアボウブラ(瓜)の上略であると断じる。また、南京とも唐茄子ともいうがこれも伝わってきた経路から名付けられた物であろうと話題を広げている。ジャガイモは馬鈴薯という。マレイ(馬来)地方から嶺南地方経由でもたらされたことから、バレイショ。サツマイモは薩摩経由で日本に広がったから薩摩芋である。
新村出の膨大な語源趣味に付き合うのは体力がいる。酒の話に移る。「和蘭勧酒歌」には般若湯が出てくる。禅寺では酒を般若湯と称して嗜んでいた。なぜ般若なのか。新村出は、般若は梵語のフラジェニヤで智慧の汁の意味であると、指摘する。蘇東坡の「酒譜」「東坡志林」に僧侶が酒の隠語を般若湯としたとあり、中国からもたらされた禅宗で智慧の汁と言い訳をしながら飲んだのであろう、というわけである。
「南蛮酒に酔いて」では京都の烏丸通りの酒店の「南蛮酒」「ねり酒」「みりん」「焼ちう」という看板に惹かれて南蛮酒を買ってしまった経緯からはじまる。南蛮酒は南蛮渡来の酒一般の名称ではなく、葡萄酒の別名でもない。「一たいどんな酒なんだと私は尋ねた。まあ焼酎と味醂との間のものでございますという。私は少し失望せざるを得なかった。看板の並べあいでもすぐに察せられそうにもあったのだし、書物を見るなり人の話を聞くなりして自然会得がゆくはずであったのに、私は名にひかれて、何だかエキゾチックな香りのまだ失せないあるものを求め得るかのような気がしたので、突如とびこんでしまったのである。」家に帰ると新村出は早速「小さなコップで一口に飲むと、これはしたり、せめて屠蘇のつよいぐらいと高をくくっていたところが、飲みつけない私には、強さも強し、味もわるし、全くの幻滅のあわれさ」。幻滅の酒となってしまったのである。飲んでみないと味の分からないのが酒の味である。
別の本には南蛮酒は沖縄の泡盛の原型であると書かれていた。新村出も暑気払いに飲む焼酎まがいの酒、と後で聞いたようである。私も機会があれば盛夏に暑気払いに飲んでみたいものである。南蛮渡来のもろもろの幻影が現れるかも知れない。(2007/7/31)