楽書快評
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書名 鉄から読む日本の歴史
著者 窪田蔵郎
初出 20033月 講談社学術文庫(1966年 角川書店)
 中国大陸に鉄はどこからもたらされたのであろうか。「鉄の古字が『銕』の意味から推測すると東夷のもたらした金属という意味になる。この東夷については、文字にこだわる必要はない。『史記』には『楚国の鉄剣は鋭く、極めて優れている』という記載もあり、いずれにしても外夷(ダッタン人だけでなく、おそらく華南方面から北上した民族も含む)がもたらしたのもではなかっただろうか。」と窪田蔵郎は製鉄技術の源泉地である中央アジアを追われたトルコ系民族の突厥・ダッタン人のかかわりを銕にもとめるとともにダッタンとタタラとの言葉の近さを示している。前漢の植民地であった楽浪郡が設置された時代は鉄器文化の最盛期であり、ここを経由して朝鮮半島、日本列島に鉄器文化が波及していったと分析している。当時日本は弥生文化の時代、そこから明治中期の富国強兵政策に伴う近代鉄鋼業の勃興までの「日本文化に果たした鉄の役割、そして鉄だけがもつ庶民的文化性を浮き彫りにすることができたら」と窪田蔵郎は本書の意図を語る。したがって記述は鉄が登場する日本通史であり網羅的な叙述となっている。通史の中から、興味深く読んだ箇所を見てみたい。
 近代になるまで日本列島での鉄の生産は中国地方が中心であった。その一つ吉備地方に注目してみたい。古墳時代には鉄器のみを埋葬した陪塚がある。岡山県の金蔵山古墳は中期の古墳である。鉄製品が多数出土している中に「5個の鋳鉄製斧とおぼしきものを出土している。古墳期の鉄はすべて鍛造品であることに対するただ一つの例外で、吉備製鉄の中心地であることと、その出土品が銑(ずく)の湯まわりが悪く、鉄滓もかみこまれていて、背の部分がどれも不規則に割れており、鋳型の中子なども作業中に動いてしまったことが認められ、いかに苦心して鋳造したことを示している。」国産品として日本の製鉄文化の古さを物語る証拠品であると窪田蔵郎は語っている。日本書紀に描かれる吉備下道臣前津屋の横暴や吉備上道臣田狭の反乱を「鉄による富がもとになっているものと思われる」とし、古今和歌集に載る「まがねふく、きびの中山、おびにせる、ほそ谷川の、おとのさやけさ」を紹介している。鉄器産業は鎌倉時代になると備前長船に代表される刀鍛冶につながっていく。後鳥羽上皇が「御番鍛冶」を制度化し月番で院内で鍛刀させた記録に備前鍛冶が7名で過半を占めている。他は備中3名、粟田口2名である。なお、上皇自らも刀を鍛え十六菊の紋をすえたとされている(一条兼良)。
南宮大社 もう一つは「鉄山師の信奉した宗教」である。特に稲荷信仰とのかかわりである。窪田蔵郎が東京周辺の鉄鋼工場の守護神を照会したところ、一番多かったのが稲荷でありその他は八幡宮、成田不動であったことから、稲荷信仰について調べたものである。京都の伏見稲荷は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀る神社系、三河国豊川稲荷は茶吉尼天(だきにてん)を祀る寺院系。全国の稲荷はどちらかの系統に属する。起源は711年和銅4に伊呂具秦公が伊奈利山の三峰に三社を祀ったのが始まりとされ、祭神倉稲魂命を売買(うか)にもじって商業の神とし、同神の別名が御饌津(みけつ)神であることから三狐神に転じ、この神が仏教の茶吉尼に当たることから狐そのものが稲荷信仰の対象となっていった、と概括する。この上で窪田蔵郎は稲荷信仰は陰陽五行説や十二支など中国渡来の道教的な色彩を持った風神信仰であると考えている。東南風はイナサとよばれ、これがイナリに変化したものとみなしている。東南風は五南宮大社への金属加工物の奉納行説に当てはめると巽の風であり、南宮大社を初め製鉄関係の神社建築は東南向きが多いことや野タタラの遺跡も山腹の東南向きの傾斜に多く、茨城、千葉方面では「東南風は黒金をも通す」という言い伝えがあるなどを傍証として示している。「江戸年中行事」(1751年)には10月8日の吹子祭には稲荷の神をまつる、と記されている。
 また、鉄の神様として有名な金屋子神は神職安倍氏によって守られてきた。大和国葛城の阿部が森に犬を連れて狩に来た安部正重に金屋子神が砂鉄採集から製鉄法間で一切を伝授したとされ、その子孫が中国各地に製鉄技術一切の技術指導をして回ったことを暗示しているのではないかとしている。八幡宮に関しては、八幡神が宇佐の菱潟の池のほとりに現れた姿が鍛冶の翁であったことを窪田蔵郎は喚起している。
 なお、常陸国鹿島や陸奥国月山鍛冶の叙述で俘囚臣川上部首巌美彦や同じく俘囚臣宇久利などの出自に関して一般的な捕虜工人として扱っている。俘囚とは帰服した蝦夷である。蝦夷における高度な製鉄業の独自な発展という視点を欠けているために、騎馬兵としての蝦夷人の工夫としての蕨手刀の価値を充分に評価していないのではないかと思われる箇所がある。鉄も含めた大陸との交易・文化の交流は必ずしも北九州・中国・近畿経由で広がったばかりではなく、日本海あるいは樺太経由で北陸・関東以北の地方にも直接もたらされたものもあることを考える必要があるのではないだろうか。(2007/8/6)