書名 スローカーブを、もう一球
著者名 山際淳司
初出 1985年 角川書店
山際淳司といえば「江夏の21球」である。「Number」に載せられたこの一文はスポーツライターの日本における本格的な登場を意味していた。「スローカーブを、もう1球」に収められている。
1979年11月4日。3勝3負で迎えた日本シリーズ第7戦。4対3とリードした広島がリリーフに江夏を送り込んだ。しかも、この江夏の21球は映像となっていち早く伝説化された。しかし、その映像は9回裏21球を投げた26分49秒の江夏の優れた投球術を映像化したものだ。それは、山際淳司の描いた「江夏の21球」の一面でしかない。山際淳司はスポーツをヘミングウェーの言葉を引用しながら「人生を教えてくれるもの」とみなしている。江夏のようにこころの襞がしっかりと刻まれているスポーツ選手を描くときは山際淳司の文章もくっきりとした線を描くことができる。たった21球のドラマに江夏の人生を集約させた手並みは優れたものがある。
山際淳司はドラマの進行に伴って同じ場面に立ち会いながら、思いがすれ違っている様子を描くのが得意である。「江夏の21球」においても、しっかりと描かれている。打者と投手の心理の読み合い。それは当然だ。読みが違っていることもある。勝敗は時の運があるだろう。だが、読みが上回る方が優れたプロ野球選手といえるかもしれない。優れた投球術は熟練した投手だから可能となった。
山際淳司が打者との読み、思い違い以上に描きたかったのは、広島ベンチとの思い違いである。9回ノーアウト、ランナー1,3塁。そこで広島の古葉監督はブルペンで池谷にピッチング練習を命じる。江夏は信頼されていないことを感じる。古葉監督の対応に
「なにしとんかい!」
プライドが引き裂かれ、動揺した江夏はノーアウトフルベースまで追い込まれる。しかし、江夏を救ったのは衣笠の一言。
「オレもお前と同じ気持ちだ。ベンチやブルペンのことなんて気にするな」
これで江夏の集中力はよみがえった。
思い違い。古葉監督にはその時点で交代を考えていなかったのだ。古葉監督の考えは、仮に一点をとられて延長戦になったとき、やがて江夏のところに打順が回ってくる。そのときどうしてもピンチヒッターを送りたい状況になった場合の布石として次のピッチャーにウォーミングアップを命じたというのだ。これを山際淳司は冷静さ、実務的と評している。このすれ違いに、人生を見ようとしている。
同じように成功した事例。「スローカーブを、もう1球」の高崎高校川端投手の場合。山なりのスローカーブを得意として、選抜で甲子園に出た川端投手の雰囲気は山際淳司好みである。ここでも思い違いを描く。群馬大会、対沼田高校。素人の高崎高校飯野監督は4回裏、川端にランナーをセカンドに送るためのバントを命じる。ごく常識的な戦術だ。しかし、川端はサインを見逃してしまう。2球ボールを見逃した後、バントのサインを送るとバントはファウルとなる。沼田高校はサインを川端が見逃した後今度は気がついてバントをしたことなど分かるはずもないない。どのような戦術を使うか沼田高校は相手が読めなくなった。そして気がついたらゲームが終わっていた。
関東大会決勝。印旛高校との対戦。すでにプロ野球からマークされている相手の3番バッターでキャッチャーの月山に対抗意識を持つ。「月山は野球を通じて、直線的な人生を歩んでいくタイプなのかもしれない。川端はまったく逆だった。」「川端は曲がりくねった道を歩いていきそうな自分を、感じることがある。夢がそのままの形で実現することはないだろう。ヒーローになんて、なれるわけないんだと思う。人生、劇画のように動きやしない。」だから無性に月山を抑えたくなった。それも得意なスローカーブで。川端の心の襞がくっきりと描かれている。
山際淳司の描くスポーツの世界は根性物とは違って人生を垣間見せてくれる。だが、読物として巧いな、と印象に残るだけ。どうしてだろうか。他人の人生を覗いて見てもそれほど面白いものではないからかも知れない。山際淳司の描いた世界で、すごいと思ったのは「8848メートルのラッシュアワー」(「彼らの夏、ぼくらの声」)である。エベレストを登る冒険が、たまたま他の2団体と山頂近くで重なったため、帰る時間を逃してしまったクライマーたちの話し。技巧はラッシュアワーという着想のみで、あとは文章での技巧はない。このような淡々とした物語の進行で、あえて人生を描こう描こうとしないものがいい。だが、山際淳司もすでに次の世界に行ってしまっている。 (2004/1/26)

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