楽書快評
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書名 中世日本の内と外
著者 村井章介
初出 1999年 筑摩書房
 中世にあって国と国とを分かつ領土や国家意識が現在の近代国家の下の意識と同じだと考えることはできない。国家の外延部や国家間のはざま・重なりを村井章介は<境界>と呼ぶことによって、内と外を見ようとしている。そしてそこに現れるのは常識を覆す新たな中世日本の姿である。鎌倉〜室町時代に、博多には宋人街が形成され、また、海の武士である松浦党や宗像大宮司家では宋人との婚姻も行われていた事例をあげて民族間の交流が普通の姿であったことを描いている。それは倭寇と呼ばれた人々の実態でもある。
 日本と中国・朝鮮との関係を決定付けたのは蒙古来襲である。日本で摂関政治を覆した院政が成立し、その過程で台頭した源氏や平氏などの武士勢力が、国家権力を奪っていく中で中世が画期されたのである。それは日本だけの現象ではない。朝鮮半島でも武人による反乱と政変が繰り返されていた。武人として政権を掌握していた崔忠献の足元で、11986万人にも及ぶ奴隷の反乱が起こり、「賤籍を焚、三韓をして賤人なからしめば、則ち公卿将相、吾が輩皆これになるを得ん」と述べたことを村井章介は紹介している。奴隷の戸籍を焼いてしまえば貴族にも将軍にも政治家にもなれるのだと平等を訴えて蜂起したのであった。このような同時代的な共通性と、日本で武家政権が支配しえた地頭御家人制というような制度が朝鮮にはなく、「人の支配と土地の支配を統一して王権の外に自立的な基盤を築きあげる」にはいたらなかった相違点も村井章介は見ている。朝鮮での武人支配を終らせたのはモンゴルによる侵略である。1231年モンゴル軍に首都開京(ケギヨン)を包囲された武人たちは江華島(カンファド)にこもって30年間も抵抗した。文人によるクーデターで武人勢力が滅亡し国王はモンゴルへの忠誠を行った。が、武人政権下の軍事力の中核を担った三別抄は、なおも珍島(チンド)や済州島(チエジユド)に根拠地を移して1273年まで抵抗を続けた。朝鮮の支配のあとのモンゴルの侵攻目的が日本であることは明らかであったし、また抵抗を続けた三別抄からも1271年には援軍と兵糧とを求める使いが日本に派遣されている、ことを村井章介は紹介している。だが、日本の朝廷はその意味を理解することはできず、抵抗の国際連帯を築くことができなかった。ぎゃくに、2度の蒙古来襲の手引きを朝鮮が行ったとの思想が、日本の庶民にまでいきわたってしまったのである。神国思想と朝鮮蔑視観である。
 神国思想の中では「神風」が重要なキーワードとなるが、モンゴルの世界征服過程で、このようなケースは日本だけではなったことも村井章介は述べている。インドシナ半島への侵攻のときの様子を「元はいったんチャンパの都バィジャヤの占領に成功しますが、84年、チャンパに送った援軍15千・船2百艘が、暴風にあって壊滅してしまいます。92年のジャワ征討のときも、元の海軍は暴風で大被害をこうむっています。神風≠燗本でだけ吹いたわけではありません。」と書いている。このような内と外とを正しく記述することが必要である。日本に朝鮮蔑視があるように、朝鮮でも女真族を野人とよび「野人は犬羊とことなるところがない」とし、日本を島夷と呼び「島夷は人類に数えるに足りない」とあるとして、日本蔑視があることも描いている。
 さらに注目すべき論点としては、足利義満が明から国王の称号を得て中国貿易をしたことを、経済主義的な解釈だけではなく、天皇に代わるための仕掛けであった、としている。「明帝の冊封を受けることは、王権簒奪計画の仕上げとして至上の権威をうしろ盾にすることでしたが、対外的には、九世紀以来の伝統的孤立主義から脱却して、東アジア国際社会のなかに『日本国王』をまっとうに位置づけるねらいがありました。」と分析している。東アジア国際社会にまっとうに日本国王を位置づける狙いまで足利義満にあったかは、保留したいが、王権簒奪計画の仕上げに国際的な権威を得たいと、言う発想は納得である。現在でも、国内政治にアメリカ合衆国の意向を背景として力を発揮しようとする政治家や政府高官は数え切れないほどいるのであるから。
 最後に、中世ではないが、江戸幕府が行ったとされる「鎖国」について。これはわりと知られたことではあるが、繰り返して話さなければならないことでもある。つまり鎖国は「亀が甲羅のなかに身をすくめるように外との関係をいっさい断つことではありません。理念的には、国家が対外関係のすべてを掌握する体制で、国家政策上許容した範囲での関係をむしろ積極的に結んでいます。」と村井章介は述べ、明以降中国王朝で行っている「海禁」の一類型であると位置づけている。幕藩体制の「四つの口」、すなわち長崎を幕府直轄で治め中国人とオランダ人との貿易を行い、対馬藩に朝鮮との、薩摩藩に琉球との、松前藩にアイヌ民族との交易・交渉を「家役」とした、と村井章介は描いている。密貿易は琉球を介して中国と、アイヌ民族を介してシベリア等の大陸と行っていたことは、明らかとなっている。
 日本国内だけで、歴史を見ると自己完結した歪んだ視点しか出てこない。村井章介が提示したように、<境界>を介して東アジアの歴史に日本を組み込むことで古代・中世の、近代日本の歴史観に枠をはめられない、姿が見えてくる。(2008/12/21)