楽書快評
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書名 結びつきが私たちを強くする
著者 内山節
初出 20097月 月刊自治研7月号 自治研中央推進委員会
 読み応えのある7月号である。村民1500人の群馬県上野村に住む内山節の「結びつきが私たちを強くする」は飛田博史の問いに応える形での2009年自治研全国集会特別講演を載せたものである。まなざしの深さが感じられる講演の記録である。いわく「経済不況の中、彼らの人件費を企業がむしろ抱え込むことによって、日本の資本主義の暖かさをアピールしたほうが、市場経済としてはずっとよかったはずです。日本経団連会長の御手洗さんのキャノンは、先頭に立って派遣を切ってしまった。このことで、資本主義としてうまくやるということと、自分の会社をうまくやることの区別がついていない人たちが経済界のトップについていることが、はからずも露呈されてしまった。」また「マルクスは資本主義と同じ立場に立ち、無限の経済発展をめざしたわけですから、今はそういうことも含めて再検討しなければいけないと思います。」
 そして「人間が個人になっていくことで、むしろ人間が均質化し、社会全体が弱くなっている。自分のことだけで精一杯、社会や政治のことに関心を持つ余裕もない。近代の発想はこのように根本的な間違いをしてきたと世界の哲学者は思っています。だからこそ、共同性や関係性をもつことによって、強い人間をつくるのだという発想に転換してきているのです。」
 「上野村には、昔の雰囲気が残っていて、村全体でいつも助け合いながら生きています。上野村役場はそんなにお金をもっていませんから、住民と行政がたえず分担し協力しながらやってきたため、伝統的なローカル社会が残っています。・・・上野村では、こうした助け合いや畑仕事や山仕事、寄合への参加といった地域社会を持続させていくために必要な行為を「仕事」と呼んでいます。お金になるかならないかは関係ありません。逆に、自分の生活に必要な収入を得るための仕事を『稼ぎ』と呼ばれています。」この仕事と稼ぎとの関係との相違は重要だと思う。稼ぎしか眼中にない人間を作ってきたのが近代的な個人思想であったのだ。村役場などの自治体に働く人たちへの言及もある。「僕の友人にも自治体職員がたくさんいますが、自分のことを自治体職員ではなく自治体職人と自称している人が結構います。」自治体職人はいい言葉の響きである。地域の共同性を維持することを仕事とする強い思いがこもっている。
 月刊自治研7月号の特集は「江戸時代に学ぶ」である。内山節の講演と呼応した特集である。戦国時代から江戸時代への転換を描いた田中優子の「現代人は江戸時代に何を学ぶか」。耕地の協働所有やセイフティネットとして生活と労働の場となっていた村の意義を論じた渡辺尚志の「セイフティネットとしての村」。生活を守るために立ち上がる江戸時代の村人の知恵を語る谷山正道の「江戸時代における訴願の発展」。リサイクル社会であった江戸時代を人肥に焦点をあてて展開した菅野俊輔の「江戸庶民の生活と近郊農業」。水の都であった江戸の町の復活を提唱する渡部一二の「江戸・東京の川を復活しよう」。
 鋭い切り口を見せるのは田中優子の文章である。「室町時代から江戸時代初期、年代で言えば1530年代から約百年のあいだ、日本は海外貿易と大規模開発をともなう拡大の時代であった。・・・(江戸幕府は)金儲けの最大の手段であった海外貿易を縮小したのである。しかし貿易をやめたわけではなく国を閉じたわけでもない。流通の担い手になることをやめ、その部分をオランダ東インド会社というグローバル企業に外注したのである。・・・銀の輸出を禁止し、オランダ東インド会社には銅で支払うようになった。海外戦争がなくなったので、鉄砲生産も放棄した。参勤交代制の確立で、国内戦争の可能性も極めて少なくなった。次は環境政策である。」「戦国時代から1670年ごろまでに、城下町建設や各種建築、大河川工事など、それまでの日本の土木工事の約36%が集中していた、と言われる。しかし1640年ごろまでに、侵略戦争、鉱山開発、大規模な貿易や輸入などをやめ、外交と内政を転換し、土木工事や木材の伐採や大都市の混乱も、おおよそ1670年ぐらいまでには縮小された。まさに『治められた』のである。縮小とは、産業がなくなることではない。『合理と開発』と表現したように、縮小は開発への道であった。江戸時代にとって開発とは、産物の発見と職人の出現のことである。」
 さらに自らを「おさめる」仕組みついて言及する。「江戸時代の町や村が基本的に自治組織である、というのは、『長』のつく役職がなかったことからもわかる。町長、村長は明治以降に出現するのだ。」江戸の町は三人の町年寄が管理し、町名主が自治を実施する。実務は家主が手伝う。村々では名主、年寄、百姓などの村方三役が寄合による決定事項を実現した。そこに住まう人々の姿を幕末に訪れた外国人の目から見た様子(「逝きし世の面影」)として「陽気さ、満足感、幸福感、そして、自己顕示欲や競争心がなく欲しいものもなければ余分なものもない簡素な生活」と表現する。「その満足は、自ら治めることのできた満足であり、鼻先にニンジンをぶら下げられた馬のような人生を送らなく済む安定感である。自らを治めるためには、一揆も必要であった。搾取構造が固定化されていれば、自治のために絶えず異議を唱える必要があり、自治は一揆によって保たれていた。」と喝破する。
 この異議申し立てが必ずしもむしろ旗を立てた武力闘争が主流ではなかったことを論じたのが谷山正道の文章である。多数の村々を組織化した上で、合法的な訴願によっていたのである。ここで問われるのは、政策立案能力と組織化の力量であった。
 江戸時代の人々の自ら治めることの発見、そこにおける満足や幸福感。それは公共への仕事と稼ぎとを分ける発想につがなって、広く現代に甦って欲しいものである。(2009年7月13日)