書名 下天は夢か
著者名 津本陽
初出 日本経済新聞社朝刊1986年12月から1989年7月
「嵐のような呼吸、太刀打ちのひびき、槍で胴をつらぬくときの、樽を叩くようなおそろしい音響。軍兵たちは横頭につけた手貫き緒の輪を、ひとひねりして手首を通しているので、指を斬りとられて、鍔を割られても刀をとりおとさず、血だるまの死闘をつづける。」
津本陽の新鮮な描写はたとえばこのようなところにある。桶狭間の合戦のシーン。微細な部分に至るまで見えるような表現である。人間の胴を貫くとき樽を叩くような音がするのか、知らないが、聞こえてきそうな気がする。指を落とされても太刀を握れる工夫もしっかりと描かれている。このようなデティールが小説の醍醐味である。
もう一つ、会話の妙である。今川義元の尾張侵攻を間近に控えた会話で信長「分かるであろうがや、蜂小。――」。蜂須賀小六が応えて「かしこまってござあーいまするに」。このような言葉が実際に交わされたか誰も知りようもないが、妙にリアリティがある。
「信長は少年の頃から、いつ死に見舞われてもふしぎではない、危険な環境で生きてきた。合戦の場での、打ちものとっての殺しあいは、砲弾撃で敵をふきとばす現代戦とちがい、ひとりずつしらみつぶしの手仕事であった。信長は血みどろのぼろくずのような、さまざまな形の屍体を見なれてきた。人間といえども、死ねば腐敗分解して土になるだけの、鳥獣虫魚とまったくかわらない生きものにすぎない現実を、脳中にたたきこまれている信長は、自分に敵対する人物を見るとき、生命のない物体を見るような目つきになった。」
対面した足利義昭が萎縮する場面で、このように表現する、秀逸である。しかし、これは信長の特異性を表すエピソードではない。戦国武将であれば、この様な目つきをしていたであろう。いや、武将でなくとも合戦の手仕事に慣れるとこのような目つきに、人はなるであろう。
織田信長を現代に読みがえらせた昭和の軍記物である。織田信長は生まれてから死ぬまで一秒たりとも「軍記物」の世界から離れることはなかったかのような記述である。私は織田信長の卓越性は、楽市楽座のような民政にあると思うが、これさえも実現するには軍記物の世界を渡らなければならなかった。わたしは津本陽が描く織田信長の先進的な「軍記物」に魅了される。先進性とは職業軍人の養成である。兵農分離政策であり、長槍や鉄砲の重要視である。そして、合戦に当たっての迅速果敢さである。
本の表題の「下天は夢か」は信長が愛したと言われている幸若舞の「敦盛」の一節「人生五十年、下天のうちをくらぶれば 夢まぼろしのごとくなり」からである。下天とは仏教の具舎論にいう四天王のことであり、四天王は六欲天の最下層の天であることから、下天と呼ばれる。人生五十年は下天では一日一夜にあたるというから一瞬の出来事。その一瞬にあっても、青年期の信長はことのほか魅力的であり、リアリティある人物が浮かび上がってくる。生駒屋敷を巡っての信長の若い日常は誰も描ききれなかった。一日一夜でも、その前半生では信長をめぐって人々が躍動している。
同時に、後半からの信長の姿は、急速にぜんまいが伸び始めた人形を思わせる。石阪本願寺の戦いの後、宿老達を追放する信長を表現して「猜疑心ふかく執拗な、信長の暗黒の部分が、制御を失い表にあらわれてきていた。」とみる。だが、本当に信長は自制心を失って心を暗黒に覆われたのであろうか。このような表現が信長の一生を描くのに適当な展開だろうか。信長は幼いときから暗黒を背負い、いつも自制心を失っていたと、つまり暴君であったと思う人々も多い。また、津本陽のように、天才であったが徐々に精神が病んでいったのだと分析して自分に納得する人も多い。
秋山駿の「信長」(新潮文庫)は、織田信長の精神を解き明かそうとする無謀なことを狙っている。確かにナポレオンと比較しながら論述したい気持ちも分かる。近代精神をもって1500年代の人間模様を解き明かそうとすることが、はじめから粗忽な意図であるという反論があるのは、道理である。しかし、西欧近代を旨とする近代精神など虚妄の理であることもまた、道理とはいえないだろうか。手法は別として秋山駿は最後の最後まで「日本人の精神をより高度なものへ鍛える」信長の一貫性を軸としている。この軸が大切だ。この軸を維持するために秋山駿は自分の知っているかぎりの西洋の知識で武装したに過ぎない。今日では安土桃山文化と呼ばれる日本文化の中で異彩を発する精神のありよう。これに対して信長に対抗する勢力には明日がなかった。秋山駿はこのように断ずる。
「一揆軍にも現実的な目標はあった。自分の生まれた場所の確保、自分の生活の場の確保、そして先祖の崇拝である。別にわるくはないが、この力のヴェクトルは過去に向いている。」なるほどと思う。
織田信長を描いた歴史小説は世にたくさん出ている。しかし、津本陽は新たに次元の違う信長像を提示した。だが、なぜ、秋山駿のように信長の一貫性を評価した小説を仕立てなかったのか、疑問の残るところである。津本陽はすぐれた軍記物を著した。だが、軍記物でしか過ぎなかった、これは残念なことである。この小説が日本経済新聞に連載され、また4冊の単行本として同社から発行された当時、「人間信長、現代に蘇った」と帯が巻かれていた不思議。「下天は夢か」をビジネス本と勘違いしたのは日本経済新聞社であったか。それとも読者であったか。掲載された新聞の読者である「ビジネス戦士」がまさか本当の戦士と自分自身を思ったわけではないだろうに。「自分の生活の場の確保」でしかなかったビジネス戦士の人生を、いま自分自身で噛みしめるときである。(2004/2/9)

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