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書名 日本の難題
著者 宮台真司
初出 2009年 幻冬舎
宮台真司はこんな印象的なシーンを描いている。「僕の娘は、一歳半のときに、おばあちゃん(僕の母)の死に出会いました。死に顔を見、ぬくもりの残った手を触っています。僕や、僕の妻の悲しむ姿を、間近で眺めてきました。・・・ところが、半年経って、僕の母が愛してやまなかった山荘の花畑で、ひとしきり遊んだ娘が、花畑の対角線方向を指し、『オババがいたよ』と言ったのです。さあっと風が吹いたような感じがしました。もちろん、娘の<世界体験>が『狭義の現実』に対応していると考える必要はありません。でも、娘はオババの思いがどこにのこっているのかを知っていたのです。娘が遊んでいる姿をオババが死んだあとも見守っているという娘の<世界体験>は―それを報告しなければいけないと言う娘の意思は―我々が生きている<世界>の真実を告げて知らせているのではないでしょうか。娘の報告を聞いた僕たち夫婦が、花畑の傍らに立ち尽くしながら呆然としている姿を、娘はやはりちゃんと見ています。」p83
「第2章 教育をどうするのか」という章の中で人の死をどう教えるかを述べたところに出てくる。読む者は、風の流れを共有することができる。「重要な他者たち」との関係を豊富に持つことで社会を積極的に構築していくことができるようになると、主張している中での話だ。今日では誰でもいう「社会の底が抜けた現状」に対して、資本主義の枠内で社会設計をする人たちの高い公共性を宮台真司は、掲げている。公共性を支える心性として、「日本人は血縁主義の如きネットワーク文化がありません。でもかつては『故郷に錦を飾る』のを良しとする構えがありました。それが、『自分が出奔してきた故郷に恩返しするために国家に手段的に貢献する』という具合に公的貢献を動機づけてきた歴史があります。日本は既にそうした装置を失いました。」このような公的貢献を心する「良い官僚」の象徴に柳田國男を、宮台真司は選んでいる。少年期の飢餓体験から、国土保全を目指す「維新以降最高の農政官僚」だと、語っている。このような「良い官僚」がどのような文化的環境から育ち上がってくるのかを考えている。「日本の難題」は、日本的なエリート待望論である。
宮台真司は自身が発想する根拠をアメリカの社会学者タルコット・パーソンズの理論に求める。「そこでパーソンズは、内発性は生まれながらでなく、後天的に社会が埋め込むものだと考えました。でも、同時代の教育哲学者デューイと違い、必ずしも親や教員でなく、それらを含めた社会環境の全体が内発性を埋め込むと考えたのです。それを『社会化』といいます。教育意図の失敗さえ良い社会化をもたらすことがあり得ます。そうした全てを踏まえて彼は、社会成員に価値コミットメントを後天的に埋め込む社会環境の全体の設計を企図するニューディーラーを擁護しました。『社会成員が利他性を自然感情だと見なすように刷り込むには、どんな社会を設計すれば良いか』ということです。これは僕の立場でもあります。」「すなわち、『道徳感情』の共有によって『神の見えざる手』を支える『モラルエコノミー』と、『底の抜けた再帰性』を是々非々で制御する『共同体的自己決定』との間の、再帰的=相互強化的な循環を構築・維持するべく、価値の埋め込みを含めた社会環境の設計を行うのが、社会学の使命なのです。」p206
これらを踏まえて最終章では「日本をどうするか」という設問をする。柳田が掲げたのは「近接性」であるという。「ずっと一緒にいたという事実性。祖先崇拝に勤しむにしては血脈に全くこだわらず、家筋にだけコッミトするという特質が典型です。こうした在り方は労働集約的な稲の生産に適合した社会構成のひとつです。」p258
「日本には高貴な義務の伝統がないと言われています。半分は正しいのですが半分は誤りです。なぜなら、階級的な伝統はなくても、農村共同体的な代替物があったからです。それは柳田自身が注目している『[故郷に錦を飾る][故郷に幸いをもたらす]ために国家に貢献する』という感受性です。」p259「我々に可能なのは、国土や風景の回復を通じた<生活世界>の再帰的な再構築だけのです。」一言言わせて貰えば、故郷を出奔した行為は、利己的ではなかったのか。
人びとに社会変革への困難を乗り越える方向へと導くのは柳田國男のような「高貴な義務」を背負った人たちだと、宮台真司は確信的にいう。結びの言葉は、「そう。本当にスゴイ奴に利己的な輩はいない。ゲバラが2年も経ずに司令官に昇格したのも、ありそうもない利他性ゆえの感染力のなせる業でしょう。・・・これについても僕は楽観します。先にも一部紹介したように、僕の知る限り、東大でも霞ヶ関でも一番優秀な連中は軒並み利他的だからです。それは『オマエの信仰に過ぎない』と言われてみればその通りと言う他はありません。でも幸いなことに、そうした反論によって感染を揺るがすことはできないのです。」
そうか。宮台真司に近接した娘に、さぁーと吹いてきた風は故郷の家筋から発した高貴な義務をもたらすものであったのか。(20090809)