楽書快評
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0181
書名 海から見た戦国日本
著者 村井章介
初出 1997年 ちくま新書
 ウォーラーステインがかかげる16世紀からの世界システムを前提に、中国を中心とする東アジアの「華夷変態」(江戸幕府の儒家林家の使う)から日本の戦国時代を照射しようとしたのがこの「海から見た戦国日本」である。「日本史における統一権力の登場、中世から近世への移行という事態も、中国における明清交代という世界システムの激変と、共通の性格をもつものと考える」村井章介はその本質を「世界システムの辺境から軍事的な組織原理で貫かれた権力があらわれ、新たな生産力を獲得し、やがて中華に挑戦して崩壊させてしまう、という事態である。」と述べている。先の示した「華夷変態」という言葉がこの事態を見事に要約しているという。p19
 これに先立つ15世紀初頭には明による世界システム(政治的な帝国)が確定し、日本(室町幕府)もその冊封体制に組み込まれ、また鄭和による東アフリカまでの遠征も試みられた。冊封体制による交流は朝貢と回賜であり、いわゆる勘合貿易である。国家間の貿易しか認めず、国家による対外交通管理は、冊封・勘合・海禁という三点セットによって成り立っていたと村井章介は概括する。
 この国家管理による東アジアの交流は、16世紀になると崩れていく。日本では、4つの口があると捉えて、それぞれについて分析を行う。そのひとつは蝦夷地である。鎌倉幕府の崩壊の糸口となった奥州騒乱(御内人安藤氏の内紛)は、その背景にモンゴルによる北方支配が考えられ、これも東アジアの世界システムの現われでもあった。下北半島の付け根にある十三湊を拠点とする安藤氏の蝦夷地・環日本海貿易は、アイヌとの抗争の歴史でもあった。安藤氏の家老職にあった蠣崎氏(その婿武田氏)が江戸時代の大名家・松前氏を名乗り、蝦夷地の統括者として存在することになった。次に琉球の存在である。明の海禁政策は、海外からの物流を制限する結果となり、ここに冊封体制に乗った琉球が繁栄する道が開けた。14世紀中頃から繁栄を見、1458年の首里城正殿に掲げられた大鐘の銘には「舟棹(海舟)を以って万国の津梁(かけ橋)と為し、異産至宝は十万の刹(寺院)に充満せり」と謳われていることを村井章介は紹介する。この実務を担っていたのは久米村の華僑であった。だが、15世紀になると冊封体制にある琉球に南海貿易を独占的に行わせる必要性が薄らいできた。中国人密貿易が東南アジアから直結するルートを開発したからである。この密輸ルートにのってヨーロッパがやがて進出してくるのであった。その象徴が1511年のポルトガル海軍による南海貿易の拠点マラッカの陥落を村井章介は挙げている。翳り始めた琉球に薩摩は武力侵攻をかけて1600年に征服を行った。これのきっかけとなったのは朝鮮半島経由中国侵略の一環としての琉球への豊臣秀吉の着目であった。
 ヨーロッパのアジア進出は、キリスト教の布教や軍事物資(鉄砲等)とともに行われ、日本では結果として幕府直轄の長崎・出島貿易・交流となった。石見銀山が世界遺産となったが、これも17世紀の最盛期には全世界の銀産の3分の1を日本が、石見銀山ひとつで世界の15分の1を産出したからである。主な輸出先は中国であり、また一部はヨーロッパに流れ、アメリカのそれとともにヨーロッパの原始的資本蓄積過程に寄与した。
 それだけではない。この銀は朝鮮の政治体制を揺るがし、また女真族が多数存在した遼東半島にももたらされ、満州南部を拠点とするヌルハチによって、明を武力で倒す財力の一部となった可能性があると村井章介は考えている。中国を中心とする世界システム(政治的帝国)を打倒して東アジアひいてはインドにいたる帝国を築こうとしたのは豊臣秀吉支配の日本であった。銀という財力と戦国を勝ち抜いた武力を持って、明への挙兵を行った。これは朝鮮民族の抵抗と明軍の参戦によって敗北し、豊臣政権は没落し徳川政権が成立した。荒廃した朝鮮半島に侵略したのはヌルハチが建国した後金であった。すでに1619年のサルフ山の戦いにおいて明に勝利した後金は二度に渉って朝鮮半島への侵略を行い、また李自成の反乱により内部崩壊していた明に代わって女真族の清(後金を改め)を建国した。これを村井章介は「秀吉の蒔いた種を清が刈り取ったといえるかもしれない」p198と語っている。この言葉は江戸儒家林家の視点である「華夷変態」を受けて、新書というコンパクトな本の中で利いている。
 世界システムから戦国の世の日本を見れば、「16世紀から17世紀前半にかけての、日本列島および周辺地域・海域の歴史」と呼ぶにふさわしい、と村井章介は結ぶ。それは「華夷変態」という中国を中心とする帝国の移り変わりに日本も加わっていることの論述でもある。清が最終的な果実をもぎ取った後、敗れた日本は東アジアの伝統的な交流・交易スタイルである海禁(通称「鎖国」)に落ち着いていった。(2009/9/24