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書名 桃源
著者 火坂雅志
初出 1999年 徳間書店 「壮心の夢」所収
「赤松広通以外の武将は、是ことごとく盗賊であった」という藤原惺窩の言葉に収斂していく小説である。但馬竹田城主赤松広通という全く知られていない戦国後期の武将の話である。赤松氏といえば建武の中興の赤松円心を思い出させる。赤松氏は、楠木氏と同じく北条得宗家の被官であったろうといわれている。鎌倉幕府を担った北条家の家紋は、三つの鱗の紋である。海洋交易を得意とした一族である。権力を握ってからは一所懸命という言葉に表される田畑から上がる収益のみに拘ることなく、交易による財蓄に長じていた。北は十三湊の安東氏から南は喜界島を領した千竈氏まで、悪党と後日呼ばれるような人々も御内人として抱え込んでいた。楠木、赤松氏が反北条に回ったのは、歴史の面白さである。
赤松氏は、建武の中興の後は足利氏と連携をとり、強大な権力を室町幕府で得た。やがて強大な権力は足利幕府との緊張を生むことになり、嘉吉の乱を引き起こし族滅にあったことは知られている。六代将軍義政を自邸に迎えて討ち取るというセンセーショナル事件と共に。その赤松一族の再興も、後南朝方にあった神器を奪い返すという盗賊的な行為によってかちえたものである。
いわば名分よりも実利を尊ぶ家風にあっても、戦国の世は生き抜きがたいものであった。一番しぶとかったのが傍流で西播磨を領した龍野赤松氏(下野守家)である。毛利氏との対抗関係で織田氏につくか去就に迷う播磨、備前、備中、備後の小中豪族の一つであった龍野赤松氏は、若年の赤松広通を押し込めて織田氏の先遣隊長であった羽柴秀吉に下った。この状況から小説が始まる。話を進めるのは、孔子の教えの日本での祖とされる藤原惺窩である。藤原惺窩は、藤原定家から別れた下冷泉家が播州細川荘の領地に下って、土着した一族として生を受けた。この二人の生涯にわたる交流を描いたのが「桃源」である。
火坂雅志は主人公・赤松広通の生涯を藤原惺窩の目を通して美しく描いている。押込められた広通は、龍野郊外の景雲寺の僧・宗舜(後の惺窩)とめぐり合い「桃源郷を造りたいのです」「いまの世の中、天下は戦乱に明け暮れ、民はいくさに駆り出されて命を失い、重い夫役や年貢に苦しんでいる。私はいくさや争いごとのない、民が安んじて暮らせる国を築きたい。城を逐われ、侘びずまいで一人暮らすようになってから、日々、そのようなことばかりを考えています」と語るのであった。この思いは終生続いて、羽柴秀吉の部隊長の一人として再び領地を得るに及んでも変わりはなかったと描かれている。末代は実利よりも名分に拘る、といえようか。毛利攻め、賎ヶ嶽、長宗我部攻めと転戦し24歳で但馬竹田2万2千石の領主となった。この小説では述べてないいが、この厚遇は、隣国備前岡山の宇喜多秀家の姉妹を妻に迎えていたことが大きな要因と考えられる。
赤松広通は竹田の地に儒学に基づき「民を至上のものとして貴ぶ」桃源郷を造ろうとした。領内の年貢を3割(山間部は2割)にし、桑の木を植えて養蚕を起こし、科挙を実施した。このような国づくりが暗転したのは豊臣秀吉の死去である。藤原惺窩に向かって赤松広通はいう。「ひとたび合戦が起き、国破れれば、われらが竹田の小邑で積み重ねてきた苦心の国造りは、この世から跡形もなく消えてなくなろう。民の暮らしは昔にもどり、あなたと私のこころざしは永劫に忘れ去られる」と。
西軍を選んだ赤松広通は関が原の合戦に対応して丹後田辺城に細川幽斎を攻めるも東軍の勝利が確定する。その後、亀井茲矩の求めに応じて鳥取城を囲む城攻めに加わった。ところが鳥取城下の出火の責任を亀井茲矩に負わされて、徳川家康の命により鳥取信教寺にて、切腹してあい果てた。亀井茲矩こそ盗賊と言われるに相応しい戦国武将であった。尼子氏の家臣として山中鹿之助と共に主家再興を賭けて反毛利のゲリラ戦を戦う。織田・羽柴軍に加わり山陰地方で力を蓄えた亀井茲矩は琉球征伐を秀吉に願って琉球守を得ている。この亀井茲矩を主人公とした小説を火坂雅志は同じ「壮心の夢」の中で「おらんだ櫓」の表題で描いている。もっとも徳川家康にとっては鳥取城下の失火は口実であり、関が原の戦いの後、行方をくらました宇喜多秀家に連なる赤松広通を早めに処分した、との説もある。
藤原惺窩は赤松広通を悼んで「神無月おもふも悲し夕霜の置くや剣の束の間の身を」と歌っている。
後年、徳川家康の招聘を断り隠者のような暮らしを選んだ藤原惺窩を登場させて小説を次のように結んでいる。「民を至上のものとする広通の国造りと違い、家康は儒教を天下支配の道具として使おうとしているだけだと、惺窩は見抜いていた。晩年、惺窩はこう言い残している。『赤松広通以外の武将は、是ことごとく盗賊であった』とー。」
今日もなお、政治家は是ことごとく盗賊であるとの見方もできる。名分に生きた赤松広通を思い出させるのは円山川から湧き上がる霧でかすむ竹田城址である(2009年11月30日)