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書名 武士から王へ
著者 本郷和人
初出 2007年 ちくま新書
中世の在り方について、天皇・律令制を中心とする歴史観がいまだはびこっている。「武士から王へ」はこのような枠組とは相違した発想を持って歴史を解釈する。解釈の肝は当為(ゾルゲン)ではなく、実情(ザイン)である。例えば、源頼朝の武家政権創業を次のように評価する。
権門体制論やそれを批判してきた学者も含めて、その発想には「先行する公権力である朝廷は、すべての『源泉』となる。後発の諸権力は過去に存立の許可を求めるから、彼らの視野には必ず朝廷がすがたを現してくる。その解釈を維持する以上、中世に生れた武士政権が古代以来の朝廷を乗り越えがたいのは、理の当然である。」朝廷の認証や許可が新たな現実を生むのではなく、実情こそが朝廷からの対応を引き出す、という視点から考えると中世は別の様相を現してくる。
「源頼朝が自らの才腕で達成した成果にこそ、私は瞠目する。彼は関東地方から周辺へ、土地を媒介にした主従の結合を拡大していった。彼が既存の権力とは一線を画する『新しい王』である証しとして、私はおまえの当知行を正当なものとして認めよう。そのかわりに、おまえは私に臣従し、奉公してほしい。一旦合戦になれば、命を賭して戦って欲しい。これが頼朝の主従制の本質であった。土地への権利の由来や伝統を重視する律令制的諸権力と常日ごろ対立し、格闘していた東国の武士たちは、現状を優先させる頼朝のもとに競って馳せ参じたのである。」土地の所有権は律令制によって帳面上は決まっている。武力や知恵で、土地の実効支配をしている東国の武士には帳面上の所有権はない。頼朝は実効支配(当知行)を頼朝の名前で保証したのである。御家人の実効支配地に手出しをすれば、頼朝が乗り出すという図式で、東国を頼朝は実効支配したのであって、征夷大将軍に任命されたから「王」であるのではない、というのが本郷和人の主張である。この見解からすると、鎌倉幕府の成立時は頼朝が東国の御家人を従えて鎌倉に入った1180年(治承4)10月6日「以外にはあり得ない。」
実にシンプルで中世的な解釈ではないか。平将門が新王を名乗って以来始まる東国の王権は、鎌倉時代後期になると流通経済の発展にのって北条一門が富と権力とを集中していく。それを不動産(土地=東国的な要素)と動産(貿易=西国的な要素)の相克から時代の転換を、本郷和人は描いていく。東国出身の足利氏が京都の室町に幕府を開き、やがて南北朝を統一し、天皇を抱え込んで明との外交で「日本国王」を名乗り、動産を基盤として実効支配したのである。だが、動産を基盤とした支配だけに、限界を持っていた室町幕府は戦乱の世をもたらした。武士政権は再び動産を基盤とした「王」として東国に帰ってきた。徳川氏は江戸に幕府を開いたのである。当時の判断を本郷和人は次のように推測する。一つは朝鮮・明との関係を積極的に展開できないために外国貿易からの利益が確保できないこと。もう一つはキリスト教が西国を中心に広がっていたが、一神教は地上の王=武士政権と相容れなかったからであるとしている。国際的には海禁、国内的には勧農の徳川幕府が生れた。
ここで本郷和人は宗教政策に言及する。律令国家とともにあった従来の仏教に対して鎌倉仏教と呼ばれる新興仏教の意義を述べていく。一方で権門体制論の一翼を担っているとされた宗教観を否定しつつ、新興仏教が一神教的な教義に近づいていったことを論述してみせる。仏教のさまざまな教えではなく、阿弥陀仏の教えのみを推奨する法然の浄土宗、同じく阿弥陀仏にすがれば悪人でも救済すると説く親鸞の浄土真宗、そして法華経のみを奉ずる日蓮宗などに、一神教的な色彩を本郷和人は見いだす。この教えが、地上の王国を作り始める。「仏の前での救済と平等を説く浄土宗、一向宗の教えは、村落のリゾーム構造にはまるごとに適合的であった。惣村構成員にももちろん政治的・経済的な差異は存する。だがそうした違いを越えてみなが一味することを、阿弥陀仏の教えは力強く推奨する。かくて一向宗とは融合し、中世後期になると、世俗的な権力を武士から奪取する地域も見られるようになる。」この一向宗への惣村との適合性は、キリスト教との適合性にも当てはまる。惣村における中世の横断的な人々の結合をドルーズやガタリが作り出した「リゾーム」という概念を持ち出してきて、本郷和人は評価する。リゾームは、樹木やその根(ツリー構造)をイメージするタテ社会とは違い、地下に広がる中心のない茎が比喩とし使われた概念である。一神教が地上の王を否定して中世の惣村を基盤とする千年王国を築く媒体となる、そんな話だろうか。
「武士と農民と宗教者の、まとめていえば、在地に生きる普遍的中世人のリゾーム。そのリゾームがツリーを基軸とする武家王権に最後の抵抗を試みる。島原の乱とは、王権の存在を否定された、最後の戦いであった。」全国的な地上の王権が成立するとによって中世は終焉を迎える。源頼朝からはじまる「武士から王へ」は、すると中世はリゾームと自立・自律的な王権とをともに生みながら、地上の王権が勝利することで終わりとなる過度的な時代であったことになる。もっとも、いつも完成されない過度的な時代であることには違いがないが。中世の実情は魅力的であり残酷でもある。(2009年12月29日)