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書名 贈范曄
著者 陸凱
初出 荊州記 劉宋 盛弘之
「一枝の春を贈る」という匂い立つ詩句がある。一枝の春とは梅の枝である。六朝・劉宋の陸凱(りくがい)が春の訪れの遅い北方の長安(隴頭 ろうとう)に居る范曄(はんよう)に、一枝の梅を駅使に託して贈るという。
折花逢驛使 花を折って駅使に逢い
寄與隴頭人 寄せ与う 隴頭の人に
江南無所有 江南 有る所無し
聊贈一枝春 聊か贈る 一枝の春
「一枝の梅を執って、梁王に遺る」(劉向『説苑(ぜいえん)』奉使篇)の故事を踏まえ、陸凱は梅を春に置き換えて歌ったのである。南の地方では何もないが、 聊か(いささか)、とりあえずこのかぐわしい梅の一枝を贈ると。中国大陸が南北に政府を分かち、それぞれに政変を繰り返した動乱の時代に、陸凱と范曄とがどのような友情を交わしたのか。范曄は宋の政治家であると同時に「後漢書」を編纂した(432年)歴史家である。范曄は左遷された時に編さんを始めたのであるが、浮沈の激しい人生であった。最後には帝弟擁立事件に関わり、「後漢書」も書き終えることなく、一家全員が処刑されている。
この詩を踏まえた「早梅」という詩がある。柳宗元(8世紀末〜9世紀初頭)は中唐の政治家であり、宦官排斥を掲げる改革政策を進めたが敗北。左遷されて南方に居る柳宗元は「早梅発高樹・・・欲為万里贈 杳杳山水隔」と万里の彼方を臨んで歌う。梅は高樹に咲いたが、都から遠く隔たりすぎて贈ることもできない。
春の魁としていち早く咲く梅には孤高のイメージがついている。
北宋の宰相であった王安石(11世紀)は次々と改革(新法)を行い、その革新的な政策は、大地主、大商人を抑えて農民、商人を重んじる政策である。赤字財政に悩む北宋において大地主、大商人そしてそこを出身階層とする大多数の官僚に対して、利権を奪い、貧富の格差を是正する政策であった。やがて大地主、大商人の反発にあって失脚し、その後は、南京郊外に隠棲した。「梅花」はその王安石が書いた詩である。
墻角数枝梅 墻角 数枝の梅
凌寒独自開 寒を凌ぎて 独自に開く
遥知不是雪 遥かに知る これ雪ならざるを
為有暗香来 暗香の来たる有るが為なり
墻角(しょうかく)とは塀の角である。そこに数枝の桜が見える。白い雪ではないことが分かる。ほのかに香りが漂ってくるからである。寒さを凌いで「独自に咲く」という詩句には、反対に遭いながらも、魁となって行った政治生活への気持ちが込められている。
詩と政とは不可分のものである。
日本列島にも中国原産の梅が古くに伝来した。いつ頃とは確定できないが、万葉集では花といえば梅であった。平安時代、藤原時平との政争(昌泰の変)に敗れた菅原道真が大宰権帥に遷任された901年に歌った「東風吹かば匂いをこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」も、陸凱の詩の影響下にあると考えられる。遣唐使廃止を主張し、国風文化に傾く菅原道真の飛梅伝説も、菅原道真一人の事柄ではなく、東アジアの共通の文化と歴史との積み重ねの中でふくらみがでるのである。梅には距離感が合う。それは地理的な距離であるとともに、時代に魁ることによる他の人々との距離でもある。その間に、一枝の梅の匂いが立ち込める。(2010年2月10日)