書名 哲学の冒険
著者名 内山節
初出 毎日中学生新聞 1983年8月−84年3月
 「お前は好きにすればいいよ。お前が何をはじめたとしても父さんは反対しないよ。今から思うと父さんにはこれまで何度か生きるための冒険に飛び出す機会があった。その度にちゅうちょした。ところが、いま頃になって父さんは自分が自由でないことに気付きはじめた。」
 励ましの言葉に背中を押されて15歳の少年がものを考えはじめる。このような設定で内山節が、毎日中学生新聞に連載をしたものをまとめたものが「哲学への冒険」(平凡社ライブラリー294)である。エピクロスからデカルト、マルクスまで多様な西欧哲学をベースに、人間の自由や金儲けではない幸福について少年が考える1.2章と父さんと語り合う3章とで構成されている。
 1983年当時にはようやくマルクスやレーニンを批判することが社会的にも抵抗感なくできる雰囲気が出来つつあった。マルクスについて「哲学は民衆の精神や意識、しかも新しい未来を築こうとする意識から出発し、最後はその意識のなかで解体されると言うことがよく理解できていなかったのではないかという気がする。」と、15歳の少年が考える。
 「たとえば人間の自由のなかには労働の自由が含まれなければならないと言う考え方や、本当の人間の自由を確立するには、すべての人たちが連帯し平等な権力を分かちあう社会=共同社会がつくられなければならないという考えもこのなかから生まれた。それが現在の社会主義国家の思想とは異なる、もうひとつの民衆社会主義ー存在論的社会主義の流れだった。」とも、語られる。内山節は非マルクス系の初期社会主義思想を評価している。(第2章哲学ノート14章) 

 私たちが義務教育で学ぶ人間の概念はヨーロッパモデルである。社会経済がこのモデルを基盤としてつくられている。そのことは戦後社会のなかでは当然のこととされてきた。マルクスを含めた西洋哲学は地球上に住む人類共通の普遍的な概念であると今もって理解されている。確かに、資本主義はヨーロッパで生まれ、アメリカ合衆国がそれを巨大化させ普遍的なシステムとして君臨している。この社会経済システムに応じた(批判も含めて)哲学が世界を覆うこともやむを得ないことであろう。毎日中学生新聞に連載された哲学へのアプローチは、このことを前提にしていた。西欧哲学を学ぶことは大切である。私もそう思う。だが、それだけでいいのであろうか。
 1999年、14年後に内山節は平凡社版のあとがきで「現在なら私は、ヨーロッパ社会が生みだした近代思想の系譜を、ヨーロッパというひとつの文化伝統のうえに成立したローカル思想として、もつとはっきりと描いていたことであろう。すべての思想はローカル性から逃れることが出来ないのに、それを普遍思想に転じてしまった近代の悲劇を、私はもっと書き加えていたことだろう。」と述べている。よい反省である。
 ぜひ、非ヨーロッパ社会から発するローカル思想をもって、近代的観念を克服する15歳の少年少女と、それに応える大人とが語り合う光景を、描いて欲しいと思う。非マルクス系の初期社会主義思想もヨーロッパ社会が生み出した近代思想である限り、ローカルなものでしかない。近代の悲劇を転じるにはそこが肝要だと思う。
楽書快評
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